仕事と、いま考えていること

ホームページは資産としてのストレージ化・及び、企業の文化のメソッドやあり方などを明示する役割になっていくのかも。
えっと…
昔は、アクセス数を集めて、自らのホームページがメジャーな大通りになり、お客さんを引き寄せるステーションになるしかないと言われていました。そのために必要なのが、SEO(サーチエンジンオプティマイズ)という検索順位上位を狙う施策でした。
検索順位上位が獲得するメリット=売上
それが、繁忙店をネットで作り上げる大前提だったのです。

人通りが多い場所に店舗を設置するというのが、ビジネスの定石ならば、ホームページはもう店舗機能を満たすものではなくなった。
ホームページ自体は本社機能になるのかもね。
と、そう思ったのです。
今、僕が担当している某YouTubeチャンネルのデータを見ていると、圧倒的にアクセス数がホームページを超えています。
メインの店舗は、もはやホームページではない…。
どうしようかなと、考え込みました。
大通りに軒を連ねた店舗は、明らかにSNSに移行してしまっていると思ったのです。
WebでのSEOなどという言葉をあまり聞かなくなった気がするのは気のせいでしょうか…?
こういった状態で、ホームページ自体の存在って意味があるのか?と問いかけるようになりました。
そして、最近考えたのが
ホームページ自体はストレージ化(倉庫化)が進んでいく、もしくは本社機能が進んでいくんじゃないかと思ったのです。
つまり、ホームページ自体の役割が変わってくるということ…。
きっといまの段階では、見えていないことなのですが、今後5年後には、必ず表面化するプロセスだと思っています。
この僕の考え方は、ホームページを作る…という限定的なことではなく、その企業が、どう企業内部から社会一般の方々へ本質的なあり方へ展開していくかという時に考えていた思考のプロセスを書き記したものです。
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さて、ちょっと現代の現状を見てみると…
リアルビジネスと、オンラインビジネスとの違いはあれど、僕には、ビジネス自体が生産性の管理となっているように見えています。
つまり『マニュアルの徹底』『ルールの徹底』による管理。
しかもそれらのマニュアルやルールが有効的な手段だと検証されることもなく実行されています。
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これらは、生産性の管理のために必要なことではありますけれど、それが、組織の運営・営業効率に対して貢献しているかといえば…?
管理が、現状なんとも言いようのない『売れない時代』を乗り越えるために機能しているか?
と、そう考えてみてもそうでもない、むしろ逆機能を起こしているような気がしています。
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僕が今まで在籍していた企業は、ほとんどが管理に集中していて、従業員を精神面で縛り上げ、すりつぶしているだけのように見えていました。
一人に大きな予算を割り振り、達成できなければ個室で吊し上げとも言える面談が行われていましたが、逆にその上司を超えるような成果を出すと「俺はお前のやり方を認めない」と恥ずかしげもなく宣言するような社風でした。
あまりの理不尽さに泣き出す女子社員、更に怒鳴りつける役員。
陰惨な雰囲気が面談が行われる時には流れていました。

また、別の企業のある店長は、雨の中ずぶ濡れで正座させられたり、妊娠した女性店長に堕胎しろと言う、そんな社長が運営している企業でした。

更に別の企業は、風邪をひいて熱がある時にも出社させ「明日までに風邪治してこいよ!」と苛立ちを隠しもせずに言う上司が当たり前でした。
しかも毎日殆ど徹夜続きで、今日も明日もどのように途切れているのかわからないような働き方をしている時でした。明日っていつからが明日なんだろうと、生真面目な僕はそれまでにできることはあるかなぁと考えながら、結局治ったふりをするという手段でしか対応できませんでした。


僕は、そんな企業で暮らしを立てなければいけないような時代を過ごしていました。今だったら人権問題かもしれません。
そして、そういった恐怖で従業員を管理しようとする会社は、ほとんど今、潰れかけています。また更に言えば、人権的にもひどい管理を行う会社は早々に潰れました…。時代を乗り越えられなかったからです。
殺伐とした功利主義、成果主義に凝り固まった管理の時代でした。
まだ存在している会社は、時代錯誤にも同じようなことを繰り返しているかもしれませんが…。
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実際にそんな時代を生きてきて僕は、これからの組織に必要なのは『文化』なのだと感じています。
その理由をこれから述べていきます。
『文化』で利益が確保できるのか?って思われるかもしれませんが、実は『文化』がなければ利益が確保できない時代になってきているというのが僕自身の感覚です…
ここで感覚とかいう言葉を使うと、説得力が駄々下がりなのですが…とにかく興味がある方はもう少しお付き合いください。
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僕自身が思っている企業自体の目的は、
『維持』・『存続』・『発展』と定義しています。
つまり、最大限の利益追求をおこなって、潰したり売り払って逃げ切って売却利益を得る経営方法ではなく、社会で永く続く企業のことを設定して話しています。

そして、文化がある企業として存在し続けるためには、
【1.行動】【2.心理】【3.認知】この3つが必要で…。
これをチーム全般で共有できているかどうか?これがポイントになるのです。

その前に前提として…
今、自分達が存在している企業の従業員は、その組織に対して、どれだけのことを知っているかということを問いかけてみてください。
●形式知(当然知っていなければいけないこと)と
●暗黙知(なぜこれを行わなければいけないのかという理由)
これがあります。

それぞれを解説すると…
●形式知(当然知っていること)
 【1.行動面のケア】
  マシンの使い方やオペレーション
 【2.心理面のケア】
  サンクスカードなど従業員のプラスの感情の働きを活性化させる仕組み
●暗黙知(なぜこれを行わなければいけないのか?)
 【3.認知面のケア】
  組織のミッションやバリューの認知が行き届いているか
  更に言うと…
   自分達は今どんなフェーズにいて
   どこを目指しているのか
   なぜこの取り組みをやらねばならないのか

暗黙知の【認識面のケア】これを根付かせることが、企業文化を作る上において大事なことで、それができていない状態で突き進むと組織の中で軋轢を生んだり、モチベーションが低下したりということが起きます。
企業認知が深く浸透していなければ。

考えてみてください。
【1.行動】【2.心理】【3.認知】この3つの中で、どれだけのことを実行している企業にあなたは属していますか?
これまで、僕自身が渡り歩いてきた企業は、実は【1.行動】しかマネジメントを行なっていませんでした。

 【1.行動面のケア】
  マシンの使い方やオペレーション

のみです。


『バブル期の超強烈な成功体験に毒された自社企業の在り方』を変えられずに焦燥感を募らせ社員に人権を無視した働き方を強制していた企業でした。


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さて…
この【3. 認知】の構成に必要な要素は…
全く違った『パラダイムの共有』ができるか否かです。
パラダイムとは、[ある時代のものの見方・考え方を支配する認識の枠組み]です。
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『パラダイムの共有』を行なった上で、どれだけの『パラダイムシフト』をその組織が発生させることができるのかということ。
これらがかなり肝要になっています。

人は、一人残らずパラダイムによる『認知バイアス』に支配されています。
『認知バイアス』とは、物事の判断が、直感やこれまでの経験にもとづく先入観によって非合理的になることを言います。
僕自身は、認知バイアスもパラダイムもさほど変わらないと思っていて、「人は正しいものの見方を『人間である限り』できない」というのを前提としています。
そして、認知バイアスという、これが一人一人のパラダイムになっています。
その認知バイアスで対立が起きた時、それを理解できるか?理解しようとしているか?というスタンス。
「私はこう思うけど、あなたはどう思っているの?」
という対立している人同士のお互いの違いを重んじる問いかけができるかどうか?
それが、その企業の中でのルールとなっているか?
その問いかけが、苛立ちや闘争心をもたらすことなく普通にできる雰囲気を維持できているか?
苛立ちや闘争心をもって人と対峙した時に、関係性を修正回復する能力を持っているか?


つまり、それが大事だと僕が思う理由は、『人』が『人』を『人』として判断するための問いかけの始まりだからです。

人を【モノ化】しないための問いかけとなるもの。
「私はこう思うけど、あなたはどう思っているの?」
これが最低限必要なのです。

そして、その問いかけが成立するためには、大きな枠の中での大前提が必要となります。
大前提は、普遍的な考え方であるのが好ましい…というか、そうでなければ、いまの変動の時代に振り回され、組織自体が疲弊していくのが目に見えています。

広くすべてのものに当てはまるような普遍的な考え方とは、今までの歴史を読む力や、宗教・哲学・もしかしたら、武道なども。
それを組み込んだ考え方だと思っています。
そして、それは検証され、修正を加えられながら、日々アップデートされるものだと思っています。

社会や人が抱える矛盾のある立場を、互いに理解し認めながら、もし、それが自分のあり方で認められないとしても、自らは認められない理解し合えないという前提で、理解し得ない考えであっても別の道を尊重して歩くということ。
そういった考え方の仕組みを生み出すことができる企業。
それが、世の中にすり潰されない場(従業員も企業自体も)をつくる方法。
そう、最近確信に近いものが生まれてきました。

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最初に書いていました。
こういった状態で、ホームページ自体の存在が、ストレージ化(倉庫化)されていくんじゃないかと思ったりしています…と、いう言葉。

その結論に至る筋道には、どうしてもそういった企業が持つパラダイムの説明をしないと難しいな、と思っていたのです。

つまり、より効果的なWeb制作や効果的なSNS運営においては、企業自体の思想が必要というのが、次の時代においては必須となっていく。(そうでなければ、企業の『維持』『存続』『発展』が成されない)

そんな中で、ホームページの役割自体が変わると思っているのは、ホームページ自体に『機動性がない』こと。
僕自身の考えは、
ホームページ自体の『機動性がない特性』
それを踏まえた上で、固定化したものをアピール・表現する場にすべきだということにつながっています。
そのものが持つ特性を、最大限活かすためには、適材適所の役割を与えることが必要になってきます。

例えば、
『紙の印刷物や本』がネット内のSNSよりも情報の質が高いと思われているのは、高コストだからです。
コストというのは、制作するための『資金』のみではなく『携わっている人の手間』『制作するための時間』『選別されるための時間』など多くの構成要素があります。
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SNS自体は、まるで流れ落ち、いずれは揮発し姿形をもたなくなる。そんな液体のようなものです。
いや、実は、デジタルタトゥなどの問題を考えると、液体・気体ではなく呪術的なものかもしれません。(また一気に知能指数が落ちる例えを出してしまいましたが…)


その呪術的な(良い祈りも、悪い祈りも)発生する流れを、固定化しストレージ化しているホームページへ誘導する。

より企業の思考を知っていただくために『組織の思考』『組織のパラダイム』を体系化したものが掲載されている場所として成立させる。
おそらく、それが今後の選別される企業のホームページの中心コンセプトとすべきものになるのではないかと考えています。
でも、考え方は体系化できるんだろうか?
体系化した途端に、硬直化してしまうのであれば本末転倒になるんじゃないか…などという問題なども引き続き考えていたりします。


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