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文鳥

日本人なら馴染み深い飼鳥りといえば
やはりこの文鳥ではないでしょうか。

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昭和40年代、幼いとき、
手乗りでないカナリア1羽と文鳥の番を、
父が祖母の為に連れてきて....。

卵を産んでも温めない夫婦を無能呼ばわり
しながらも、青菜をあげたり、お掃除したり
している祖母の傍で子供だった私も
眺めていたことを思い出します。

成鳥で迎えたその、夫婦らしき文鳥らは
「文太」と「文子」と安易な名でした😅

初めて目にした美しい声で歌う西洋の赤い鳥と、
グレーと黒のツートンカラーの
ぴょんぴょん跳ねてはガルルル...と鳴く、
そんな小鳥たちに、
子供の私の目はくぎづけになりました。

祖母は可愛い可愛い言うタイプの人では
なかったのですが、世話はきっちり
しているようでした。
明治産まれの人でしたから
日本髪に、着物、その上から割烹着姿でした。

世話が終わると朝日のあたる軒先で、
綺麗になった鳥かごの中、
気持ち良さげに水浴びをする文鳥たちを
煙管に火をつけ、煙を燻らせながら
満足げに眺める祖母が印象的でした。

今、思い起こすと、
「粋でいなせなお江戸の鳥飼いさん」
だったのだなぁ、と、
今更ながらに思います。

そんな、祖母がそれなりに、
大切にしていた文鳥を、
手乗りに憧れた
無知で考えなしだった私は
祖母の留守に勝手に手に乗せようと.....

無論、乗ってくれるはずもなく、
夏でしたので開け放していた窓、
簾は垂れていたものの、
部屋の中を何周か旋回した後、
程なく隙間から勢いよく飛び立っていきました。

大変なことをしてしまった....!

大目玉を喰らうことを何より恐れ、
カゴを軒先に戻し、勝手に逃げたていを
作るため、扉を開け放したままにする、
という、隠蔽するための小細工までして、
完全犯罪を試みたわけですが.....

幾つだったかは忘れましたが、
たぶん、4歳、5歳くらい
だったのではないかと。

とんでもない、クソガキでした。はい😓

それでも祖母や母が帰宅する間、
生きている心地がしませんでした。

文鳥に対する罪悪感よりも、
怒られる恐怖の方が勝っていたと思います。

祖母が帰宅後、しばらくして、
文太と文子の不在に気づきます。

知らんふりを決め込んでいても
やはり、そこは子供です。
様子のおかしさに、母がすぐに気づき
問いただされました。

嘘はあっけなくバレてしまい
ものすごく怒られました。

保身のため嘘をついたこと、
小賢しい小細工までして
隠蔽しようとしたこと。もちろん激怒です、
が、更に
母と祖母は昭和中期によく見られた
いわゆる嫁姑問題の典型。
犬猿の仲で、関係はあまり良好では
なかったものですから、
だからこそ尚更、
祖母の大切な愛鳥に自分の子供が
失態をやらかしてしまった、
と言うことが
許せなかったのかもしれません。

ひとしきり、ガッツリ叱られて
泣きじゃくった後、母が言いました。

「カゴの鳥は外では生きられない。羽を少し切っているらしいから、そう遠くへは行っていないかもしれない。探しに行こう」と。

その時、カゴの鳥が外では生きていけない、
あまり飛べないなら、もう、野良猫やカラスに
やられてしまっているかも、
と、初めて自分の頭で考えて、
今度は叱られる恐怖からではなく、
文鳥に対しての懺悔と後悔、
文鳥の身に今何が起こっているのだろう、
という恐怖。
自分の愚かさが身につまされて、
いろんな感情がごちゃまぜになり
更に大泣きしたことを覚えています。

そんな様子で母と2人、
捜索にあたっていたものですから、
狭い町です。
ご近所中に知れ渡っていたようです。
(母が会う人会う人に事情を話したのでしょう)

その日はついに見つかりませんでしたが、
翌朝、ご近所の方から連絡が入り、
裏山の茂みの木の根元に文鳥が2羽、
身を寄せあってうずくまっているが、
お宅のと違うか?と。

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なんと、奇跡のような話ですが
あっさりと、ブン太とブン子は帰ってきました。

前日は嫌みの嵐を私と母に浴びせていた祖母。
ほんとうに、もう、全面降伏。平謝りでしたが。

帰ってきた文鳥たちを観るや否や、いつもどおり、あっさり世話を始めました。

私はと言うと...その日からは小鳥に近寄れなくなりました。神様、帰してくれてありがとう!
だなんて、悠長な事言えないほど、
たぶん、人生初めての大失態でしたから。

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以上が、私にとっての文鳥初めて物語でした。
文鳥は苦い思い出から始まりました。

大人になり、鳥飼いを始めたのは
インコからになったのは、潜在意識の中に
後ろめたさや懺悔の念があったからなのかと。

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しかし、今では、すっかり再び
文鳥の魅力にハマってしまっています。

もちろん、きちんと本の数冊は読み、
理解し、勉強しながら関わらせて
もらっています。

何羽かは今は亡き...にはなりますが、
画像は最後まで大切にしつつ
共に過ごしてくれた
私の文鳥さんたちです。
一番上はサクラ10歳まで一緒にいてくれました。

2番目のシロ、3番目のチャコ。
この2羽は夫婦で、10羽以上の
白文鳥を世に送り出してくれました。
8歳まで、一緒にいてくれました。

最後はシロとチャコの忘れ形見。
今年、9歳になります。

文太と文子とのお別れの時のことは
記憶にないほど、離れてしまった。
とんでもない愚かな子供だった
自分ですが、今の自分であるならば
もう一度、手乗りではない彼らを
理解した上で、共存したい....
今ならばやっと言えます。
素晴らしい文鳥という鳥に
出逢わせてくれてありがとう。
.....そして、ごめんなさい。


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