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エッセイ「スウェーデンの職人たち」

会社員時代、「太田あい」というペンネームで原稿を書いていた時期があります。

サッカーのユーロ2004大会に際して「NumberPLUS(文藝春秋)」に寄稿した、エッセイのような小説のようなものを、再掲します。

当時、サッカーにもユーロにもまったく関心はなかったのですが、旧知の友人の話に着想を得て書きました。

今年はこういう、何の役にも立たない=情報もテクニックも含まれていない文章を、多く書いていきたいと思っています。2017年の抱負です。ご依頼お待ちしています。

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尚子さん(仮名)は、当惑していた。「ミャルビーがいない…」

尚子さんが、スウエーデンのヨハン・ミャルビーに目をとめたのは、2002年の日韓ワールドカップの時だ。

当時キャプテンマークをつけてフィールドを駆け回る彼は、「金髪・長髪・ワイルド系」と、尚子さんの好みのど真ん中だった。

ディフェンダーゆえになかなかテレビに映らない彼を丁寧に目で追いながら、「ああ。。。かっこいいなぁ。」とつぶやく毎日だった。日本とスウェーデンが当たったらどっちを応援しようかと、本気で小さな胸を痛めていたほどだ。

今回のユーロ。実は、開幕当初はそれほど興味がなかった。ところが、イングランド対フランスの一戦に、うたた寝をしていたサッカー熱がすっかり呼び醒まされた尚子さんは、すぐにWOWOWに電話する。

「週末のスウェーデン=イタリア戦を見たいんです。これからお願いして間に合いますか?」WOWOWのすばやい対応のおかげで、無事にあの興奮の一戦を観戦することができ、大満足。そこからは、ユーロの毎日が始まった。

ところが。ところがである。ミャルビーがいない。あのミャルビーが、どうも見当たらないのだ。

おかしいなあ。大会前の「NumberPLUS」を見ると、出場の予定ではあるようだ。でも、テレビ中継の中には一向に現れない。。。。

え?まさか、このメルベリという選手が、そうなのか?まさか。さすがに顔が違う。でも、キャプテンマークを付けてるし。

そういえば、スウェーデンのスポーツ選手は、例えば昔、エドバーグがエドベリと言われていたように、ちょっと変わった発音をされることもあるようだ。ミャルビー。メルベリ。似てる。言われてみれば似てる。

でも、待てよ。「NumberPLUS」には、この二人はDF陣の中央に並んで書かれてある。ということは別人のはず。おかしい。どこにいったのだ、ミャルビー。一体、どうしたんだろう?

結局、ケガで欠場していることがわかり、安心なような残念なような思いをした尚子さん。にせミャルビー=メルベリも、よくみればいい人そうだ。好青年風だし。でも、やっぱりミャルビーを見たかったなあ、しかたないけどなあ、とポリポリかりんとうをかじりながら静かに思った。

尚子さんのスウェーデン(国、サッカー、サッカー選手)好きの歴史は古い。

小学校のころ、リンドグレーンの手による児童文学「やかまし村の子どもたち」を読んで以来、北欧ならではの落ちついた、清冽な雰囲気が好きになった。

学年が進むと、北欧の社会民主主義についても知識を深め、大学では社会保障制度について論文を書いた。

この国のサッカーが好きになったのは94年のワールドカップアメリカ大会からだ。ユニフォームのキーカラー、黄色はもとも好きな色。そこへ加えて、実直な国民性が反映された堅実なプレースタイルに好感をもった。

98年予選敗退、2002年ベスト8と、いつも結局「8強どまり」な感じの立ち位置も、“ど・アンチメジャー”志向の尚子さんとしては、いたく気に入った。そこへとどめを刺したのが、ミャルビー、そういうわけだったのだ。

もともと、尚子さんのスポーツ選手の好みは、「渋い」「通だ」と友人から評判だ。

昔から、圧倒的な強者、メジャーな人気者、王道な感じや能天気な明るさはどうも苦手で、好きになる選手は、アウトローだったり、いぶし銀と呼ばれていたり、どこかひ弱だったり。

そもそもの始まりは、日向小次郎だ。今思い出してもあれはかっこいい。プロ野球では、「投げる誠実」大野豊のピッチングにしびれた。

エドバーグの、流麗ながら土壇場で弱っちいところも好きだった。NBAが日本で見られるようになると、バークレーやジョーダンには目もくれず、ロビンソンやムトンボに届かない声援を送った。

サッカー日本代表では、中田よりも城。チャンスでシュートを外しつづける犬顔がいとおしかった。

最近では、職人肌タイプのスポーツ選手が特に気に入っている。

実直かつストイックに与えられた仕事をこなし、「日の当たる晴れ舞台なんてものぁ、他のやつにまかしておけ、おれはおれの仕事をするだけだ。だいたい、好きな仕事を1日やって、日が暮れてからビールをいっぱい飲る。それ以上の幸せってのは、どうだろう、あるもんかね?」、そういうメンタリティがびしびし伝わってくるスポーツ選手が好きだ。

そういう意味でも、華麗さはないが堅実なディフェンスを90分間続け、粛々とFWにボールを配給するスェーデンのあの人たちは、ぐっとくる。

そう、同じ「守り倒し」でも、イタリアの選手はどうもいけすかない。

だいたいなぜあの人達は、試合が始まる前から髪が濡れているのか?途中出場の選手達も、かならず濡れている。ウォーミングアップの汗だけでは説明できないあのつやつやとした「フェロモン充填!」な趣きが、どうにも好感が持てない。

きっとあのホストたちは、ロッカールームで、自然に見えるように計算しながらきちんと濡らしているに違いない。水をかけて。あるいは、こってりポマードで。いずれにしろ、いやだ。

そもそも、スウェーデンの選手の汗は「さらっ」としていて、イタリアの選手の汗は「ネトッ」としている気がする。そんな気がする。

今大会でもその頑固なプレースタイルを貫き通し、きちんと8強に残り、きちんと8強に終わったスェーデンの職人達が、いまのトッティやデルピエロのように、普通に日本の女性達の間で話題に上る日も近いかもしれない。

そんな可能性を考えると、尚子さんはちょっと淋しい。それはいやだなあ、困ったなあ。どうしようかなあ。ポリポリ。

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