短編小説「ダース・ベイダーの休息」

 なにがつらいって、朝のミーティングが一番つらい。元夫の顔を間近で見なければいけないからだ。毎朝9時から始まる幹部ミーティングは、フロアの中央にあるガラス張りの会議室で行われる。

 社長である元夫と離婚したのは、つい先月のことだ。正直まだ全然傷は癒えてない。悔しくって悲しくってしかたないのに、こうして毎朝顔を合わせなければいけないのだから、副社長はつらい。
 
 この会社は前の会社の仲間と5年前に立ち上げた。メンバーのひとりだった彼と結婚したのも同じころ。全部で20人ぐらいの小さな会社は順風満帆とは言わないまでもそこそこうまくいっていたし、夫婦関係も同じく、なはずだった。
 
 様子がおかしくなったのは半年前だ。経理部に中途採用で入ってきた女の子は、どんくさくてトロトロしていて私とはまったくタイプが違う。なのに結局、彼がお定まりの「あの子は俺が守ってあげなくちゃいけないから」などと言ってその女に走ったときには、ショックで二の句が告げられなかった。
 
 よくよく聞けば、テキパキとした性格の私は彼のタイプではなかったらしい。今さら言われても困る。
 
 会議資料がバラバラと配られる。始まったばかりだけど、私は一刻も早くここから逃げ出したい。
  
 社内ではその冷徹な仕事ぶりから「ダース・ベイダー」と怖れられている私だけれど、彼が家を出て行ったときには、かなりこたえた。泣きじゃくり、暴れ回り、仕事が手につかず、8キロ痩せた。自分の中にまだそんな柔らかい気持ち、どろどろとした女の部分が残っているとは知らなかった。
 
 廊下ですれ違うときにわざと肩をぶつけてみたり、その女が大事にしているコーチのバッグ(いい年してコーチ!)の中に、目の前でとんとんとタバコの灰を落としてみたり。権力をかさに、幼稚でくだらないじめを繰り返した(おかげで私は悲劇のヒロインになりそこねた)。
 
 彼はそんな私を非難し、罵倒し、脅した。結局離婚が成立し、女はそれを待っていたかのように退社。ふたりはそのままめでたくくっつくのかと思いきや、最近うまくいってないという噂も聞く。
 
 ミーティングが元夫の司会のもと、淡々と進行していく。内容はまったく耳に入らない。周囲から「夫を寝取られた女」「よく会社にいられるよ」という哀れみの視線が注がれているような気がして、まともに顔を上げられない。
 
 今回の件で、彼も私も社員からの評価を落としている。身持ちのゆるい社長とヒステリックな副社長。けれども私には私の生活があるし、いま会社を辞めたってどこにも拾ってもらえない。なにがなんでもしがみついてやるという決意を固めたばかりだ。
 
 なによりも悔しいのが、彼のことをまだ好きでいる私自身の感情だ。
 
 彼が先月の売り上げについて話しているのを聞いている今でも、涙が出そうになる。自信に満ちた横顔、ぷっくりとした唇、セクシーな髭。どれも私だけのものだったのに。なんでこうなってしまったんだろう。
 
 「で、結局あの女とはどうなったの!?」と叫び出したい衝動に駆られ、あわててフリスクをたくさん口に放り込み必死に耐える。ここしばらく、彼とは仕事上の話(プラス離婚の手続きの話)しかしていない。
 
 あぁ、こんな地獄があとどれぐらい続くのだろう。やはり辞めたほうがいいのだろうか。せっかくの決意があっさり鈍り、頭の中がどろどろになる。コーヒーゼリーにミルクをかけてぐちゃぐちゃにかき混ぜたイメージ。
 
 職場恋愛はリスキーだ。仕事と恋をおなじところでまかなえるのは一石二鳥だけれども、ひとたび恋を失うと仕事も失いかねない。34歳の私には、これからいったいどんな未来が待っているのだろう。
 
 ようやくミーティングが終わった。たったの15分間が30分にも1時間にも感じる。息を押し殺し、ダメージを最小限に抑え、なんとか耐え抜いた。発言を求められても、ただ首を振るだけ。それでもなんとかやっていけてるのは、副社長という地位のおかげ。皮肉なものだ。
 
 コーヒーを手に席を立った元夫が、出口の近くに座っていた私の横を通り過ぎる。瞬間、なにか優しい声をかけてくれないかと強く期待する。もちろんそんな奇跡は起こらない。おそらくは永遠に。
 
 心底疲れ果て、格好だけ広げていたノートパソコンを閉じ、みんなから遅れて最後に会議室を出る。まるで帰還兵の気分だ。
 
 そのまま席に戻ろうとも一瞬思ったが、今日もやはりダメ。このままでは身がもたない。
 
 私はアイフォーンから短くメッセージを送ると、よろめく足でエレベーターに乗り込んだ。会社から歩いて3分ぐらいの小さなカフェになんとかたどり着き、アイスコーヒーを注文し、”彼”を待つ。
 
 ”彼”はちょっと前から交際している7歳下の会社のスタッフだ。「死んじゃう。助けて」というさっきの私からのSOSを見て駆けつけてくれるはず。ここのところのルーティンとなっている。
 
 社内離婚の傷を社内恋愛で癒やす。学習してないと言われればそれまでだが、私にとって会社は私自身だ。もはや違うところで恋愛できる気がしない。もちろん”彼”だっていつか私の元を去っていくかもしれないけれど、その時はその時だ。
 
 小走りでやってくる”彼”の姿が窓の外に見える。こちらに気づき小さく手を振る。いつもの優しい笑顔だ。ふたりの関係は社内にはまだばれていないけれど、こんなに頻繁に呼び出していたら早晩ばれてしまうだろう。
 
 よくないとは分かっているが、それでも今の私には”彼”がものすごく必要なのだ。ちょっとだけ。ほんのちょっとだけこの傷を癒やしてもらったら、すぐに会社に戻る。ダース・ベイダーにでもなんにでもなろうじゃないか。だからちょっとだけ・・・。
 
 カフェの扉がからんからんと音を立て、私は一瞬気が遠くなる。

photo by JD Hancock

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五百田達成

小説まとめ

以前、他の媒体で小説の連載をしていたことがあります。その時の作品を中心にまとめました。
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