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短編小説「あなたへ」

 あなたにこうやって手紙を書くのは、初めてですね。緊張もするし、なにをどんな風に書けばいいか迷うけれど、せっかくだから最後まで書いてみます。

 私はあなたから「愛された」という実感が、これまでの30年の人生で一度もありません。あなたもそれには同意してくれるはず。もちろん育ててもらった恩義は感じるし、いくつか楽しい思い出がないわけではないけれど、それはいわゆる「愛」とはやはり違うような気がしています。
 
 22歳で娘の私を身ごもり、そのせいで結婚することになったあなたは、よっぽどそのことが悔しかったのでしょう。「ほんとならもっといい条件の男と結婚できたはず」そう思うとやりきれない気持ちでいっぱいだったんだと思う。だからあなたは、小さな私をたびたびなじったね。「あんたさえいなかったら、お母さんは自由になれた」そう言われるたびに、私は居心地の悪いような、申し訳ないような気持ちになったのを覚えてます。
 
 だからかな、うちでは私の誕生日がお祝いされることが一度もなかったね。私がこの世に生を受けた記念日は、あなたにとってはちょっぴり残念な運命が決まってしまった、忌まわしい日なのかもしれない。
 
 あれは幼稚園に入ったばかりのころ。クラスのお友達と話していて、みんなが「昨日は誕生日だったからケーキを食べた」「わたしんちはプレゼントは何だった」とかそういう話をするものだから、私の頭の中は「?」でいっぱいになったよ。
 
 心から不思議に思ったし、しまいには「みんなで私のことをからかっているの?」と疑ったほど。それでも一回「うちはお祝いなんかされないよ」と言ってみたら、その場がシーンと変な空気になったから、私はそれ以来、クラスの他の誰よりも早く愛想笑いを身につけることができた。
  
 とはいえ、あなたは私のことをたたいたりはしませんでしたね。その点は純粋に偉いと思う。けれども、冷静に考えればあなたはそこまで追い詰められてはいなかったのでしょう。実際、お父さんはまじめだけが取り柄の働きバチで、あなたはそこそこ高い水準の暮らしができたから、決して認めたくはないだろうけど、意外と満足するような気持ちもあったんだと思う。
 
 あなたは私が中学生になったぐらいから「将来は収入の安定した男性と早く結婚しなさい。それが女にとって一番の幸せなんだから」と説いてきました。周囲よりは大人びていた私も人並みに思春期を迎えるわけで、生き方を押しつけてくるあなたに反発したり、無理矢理納得させられたりを繰り返しました。
 
 結局は、手に職を付けたいと思い医大に進んだけれど、あなたは当然、高い学費を出してくれようとはしなかった。それでも私が一生懸命勉強するのを、「変わった子ね」とひとごとのように見ていて、邪魔しないでくれたのは助かったよ。私は大学進学とともに家を出て、奨学金をもらいながらひとりで暮らし始めました。
 
 あなたが私の人生にちょっかいを出してくるようになったのは、7年前にお父さんが亡くなってからでしたね。ある朝、布団の上でひっそりと冷たくなっていたお父さんの代わりに、あなたはこんどは私に依存するようになりました。
 
 家のローンは終わっていたし、お父さんが遺した少しの財産はあったけれどあなたは少し不安になったんだと思う。当時研修中だった私に連絡してきては、「医者ってもうかるんでしょ?」と、お金をせびるようになりました。
  
 あなたは変なところで行動的だから参っちゃう。ほら、前に、私が勤める病院にまでおしかけてきたことがあったでしょう? ちょっと忙しくて電話に邪険な態度を取ったのもいけないんだけど、あの時は驚いたな。
 
 慌てて近くの喫茶店に連れて行くと、私が25歳になったら受け取れる契約になっていたお父さんの生命保険の受け取りを放棄するように言った。そうすれば代わりに受け取れる、と。
 
 もともとそんなもの期待してなかった私は、もちろんすぐに書類にサインしました。あなたはその後、ひとしきりなんだかんだと日々の生活に対して文句を言ってから、けろっとした表情で「じゃあね」と帰って行ったね。私はどっと疲れが出て、その夜の当直で大変なミスをしそうになったんだよ。今思い出してもヒヤヒヤします。
 
 行動力と言えば、私が当時つきあっていた人の連絡先をどこからかかぎつけて、直接お金を要求しに行ったこともありました。彼には確かに奥さんも子どももいたけれど、愛人の母親から直々に脅迫されるなんて想像もしてなかったから、驚いてすぐに別れようって言ってきた。結局、弁護士だのなんだのと大ごとになりかけて、お金はもらい損ねたみたいだね。
 
 私は実際、若いころから恋愛が上手じゃなくてろくでもない人とばかりつきあってきた。それを100%あなたのせいにするのは、フェアじゃないことは分かっています。
 
 それでも私はあなたに育てられたおかげで、人にどこまで甘えていいか、どれぐらい愛情をかけてもらえるものなのか、いまひとつ分からないままオトナになってしまったみたい。それが原因でひどい目にもたくさん遭ってきました。
 
 だから、いま横にいるこの人が私のすべてを受け入れてくれたのは本当にうれしいこと。もちろん幸せに不慣れな私が、いつこの満ち足りた関係を自らの手で台無しにしてしまうか、自分でも分かったものではないけれど、とりあえず試してみようと思うんだ。彼も「とりあえずで、いいんじゃない?」って言ってくれてるの。すごいでしょ。
 
 このおめでたい席にあなたを呼ぶかどうか、ずいぶん迷いました。というか、最初は来てもらうつもりなんてなかった。どうせ、あなたはひねくれた嫌みを言い、彼と彼の家族の素性を知りたがり、お金の匂いがするかどうかをチェックするだろうと思ったから。
 
 でも結局、あなたを呼ぶことに決めたのは、なにも彼のやさしい説得に耳を貸したわけじゃありません。あなたと私の悲劇の出発点である「結婚」を、私自身がスタートするにあたり、あなたに立ち会ってもらうのもいいかなって思ったのです。ひとつのけじめというか。ううん、「実験」に近いかな。そのとき自分はどう感じるんだろうって。そんな好奇心からあなたを呼んでみたのです。
 
 私は今日から新しい家族を作ります。うまくいかないときもあるだろうけど、それでも私はくじけない。いつでも自分の幸せに貪欲でいようと思うよ。そのしたたかさだけは、あなたから教わった数少ないこと。大丈夫、私はやっていける。
 
 だからもう、私のことはほうっておいて。今日を最後に、会うのもよしましょう。
 
 いままでのすべてのことを許す(許すっていうのもおかしいけど)から、もう今後一切連絡してこないで欲しい。もちろん、私の家族にも。もしお金を要求してくるようなことがあったら、その時は私にも覚悟がある。そのことを、きょう集まってくれたみなさんの前ではっきり宣言したかった。それも、あなたを式に呼んだ理由のひとつです。どう、びっくりした?
 
 花嫁のあいさつの締めくくりは「いままで育ててくれてありがとう」あたりが定番だろうけど、そんな言葉はあなたも聞きたくないはず。もっとシンプルな言葉こそが、私たちふたりにはふさわしいと思う。人の言うことはまったく聞かないあなただけれど、今日ばかりは耳を貸してね。
   
 さようなら、お母さん。元気でね。

photo by Jan Kaláb

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