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財布は平成に置いてきた。令和はウォレットレスで行く【財布をやめたらお金の意識が変わった】

先ごろ、かれこれ40年以上のつきあいになるものを、やめました。

財布です。

スイカつきのスマホと、スマホケースにクレジットカードだけを入れて、あとは紙幣を何枚か、じかにポケットに入れる。

小銭が出るような買い物は、なるべくしない(現金しか使えないお店には極力入らない。迷ったら、電子マネーが使えるほう)。

保険証とか、運転免許証とか、診察券とか、ポイントカードととか、そういうものは家に置いておいて、必要なときにその都度持って出る。

お釣りとかで万が一小銭が出たときには、ポケットに突っ込んでおいて、帰宅したら、小銭入れボックスみたいなものに放り込む、あるいは、小銭が発生したそばから、一緒にいる人にあげちゃう。

キャッシュレスの先に待っていたウォレットレス。

なにしろ物心ついてからずっと続けてきた習慣をやめたわけですから、心境の変化はあります。

まず、キャッシュレス習慣についてよく言われることですが、お金への意識が薄れたように思います。お金を払うという感覚があいまいになる。

とはいえ、浪費癖はないほうで、使いすぎ注意、っていうほど、使わない。

むしろ、逆に、お金についてはネガティブなイメージを持っていて、使えないし、怖い。ぱーっと使うというよりは、将来のお金の不安をかかえがちなクヨクヨした性格だったので、お金への意識が薄くなることは、個人的にはよい効果を生んでるように思います。

お金のことをあまり考えないというか、本当のお金持ちが必ず言う「お金なんて記号に過ぎない」っていうのを、多少なりとも実感できたというか。

ですから、本当に本当にお金に困るようになったら、ふたたびきっちりと財布を復活させるかもしれません笑

店員さんとのやり取りが減るかなとも思ったのですが、意外と変わらない気がします。

むしろ店員さんにきちんと聞こえるように「スイカで払います」「カードで払います」と発声するように心がけているので、コミュニケーションとしては丁寧になったかもしれません。

あと、これはささいなことですが(そんなこと言ったら、この原稿自体がささいなことだらけですが)、現金を手で触らなくなったので、手が汚れなくて、なんとなくいいなと思ってます。

「欧米や中国でキャッシュレスが進んでいる」という趣旨のドキュメンタリー番組を見ると、「キャッシュは取り扱いがめんどう(運ぶとき重い)」「リスクしかない(盗難される危険がある)」という点はクローズアップされますが(実際に、なるほどと膝を打ったものですが)、実生活の消費者レベルだと、この、手が汚れないというのは、いいです。

いやまあ、もちろん、「そもそもケータイの画面には菌がいっぱい」とか、そういう話はあるわけですが、そこはほら、あくまで心情的に。

あ、そうそう、「金は天下の回り物」ということわざも、肌感覚としては実感できなくなっていくかもしれません。「この1万円札は、一度俺の手を離れるけれど、いつか返ってくる」とは思いませんからね、キャッシュじゃないと。

ことわざつながりで言うと、「お金持ちは長財布しか持たない」とか「財布はお金の寝床なんだから、いい財布を持たないと金運が下がって、お札が逃げていく」とか「お札は寂しがり、ある人に寄っていく」なんていう、お金にまつわる言い伝え・宗教的なものから自由になったのも、うれしいことです。

うーん、そうですね、ファッションとしては後退でしょうね。数少ない男のおしゃれを手放したわけですから。

でも、札の詰まったブランド長財布をスーツの胸ポケットからすっと出す、という、かっこよさ(かっこいいか?)はとっくに諦めたので、その点もいいです。

スーツと言えば、会社を辞めたタイミングで手帳を辞めて、スマホでスケジュール管理するようになったときのことを思い出します。あれもなにかこう、解き放たれた感覚がありました。

というわけで、いま、次に狙っているのは、名刺入れの廃止です。

仕事の場、社交の場のときには、わざわざ名刺入れを持っていくわけですが、もうこうなったら、名刺自体、ビジネスシーンからなくなってくれてもいっこうに構わないけどなあ、などと。

断捨離といえばそれまでですが、長年連れ添ってきた相棒、持つことを疑わなかったアイテムを手放したことは、スッキリさが違います。

財布は平成に置いてきました。令和はウォレットレスで行きます。

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