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短編小説「婿を買いに」

 婿を買いに行く前の日、私は美容院に行った。
 
 いつも担当してもらうミナさんが休みだったので、本当なら別の日にしたかったのだけれどしかたない。顔見知りではあるけれど切ってもらうのは初めての若い女の子に、頭を委ねる。
 
 「バリですか!? うわぁ、うらやましいなぁ~」
 
 世間話のついでに明日から旅行に行くと話すと彼女は素直に感嘆の声をあげた。私に対して緊張しているそぶりはない。私のほうはさっきから彼女の手さばきが不安でならないのに。
 
 「あっちでは、観光ですか? あ、あれ? お仕事ですっけ? たしか山本さん、そういうお仕事を・・・」
 
 ここにはもう10年以上通っているので(ミナさんと気が合うのだ)、私が輸入雑貨を扱う会社を経営していることは知られている。
 
 「そうね。仕事でもないし観光でもないかな。強いて言えば、買い物?」
 
 「うわ~~。いいな~。私も、ぱーっと海外で買い物したいですよ。あったかそうだし、物価も安そうだし。いま円ってあれ? 強いんでしたっけ、弱いんでしたっけ? いいなぁ」
 
 彼女の手さばきが口の動きに応じて安定してきたので、一息ついて雑誌をめくった。ちらっと鏡の中の一生懸命な横顔を盗み見る。あごのラインがすっとシャープだ。まだ20代前半だろうか。
 
 私も彼女ぐらいの年の時には、海外で買い物をするのは大変な楽しみだった。休みのたびに海外旅行を組んだものだし、その趣味が高じて28歳のときに独立・起業したようなものだ。あのころは、なんでも欲しかったし、安く買えることはそれだけで快感だった。
 
 ところが40歳を少し超えたいま、私が欲しいものはそれほど多くない。私がバリまで何を買いに行くのかこの子が知ったら、長いまつげをしばたたかせてびっくりするだろう。当の私ですら、まだ現実味がない。それでも鏡の中で徐々に整っていくシルエットを見ていたら実感が少しずつ湧いてきた。髪の毛がぱさり、ぱさりと落ちる。窓の外では雨がしとしとと降り止まない。
 
 翌日、私は朝から慌ただしく旅支度をととのえた。仕事柄、海外へ行くのは国内旅行(たとえば青森へ。たとえば瀬戸内海の離島へ)よりも手慣れたものだが、今日ばかりはなにか勝手が違う。
 
 長年使っていた化粧ポーチがついにはち切れたり、どうしてもはねてしまう髪の毛をスプレーで説得したり。落ち着かない時間を過ごしてバタバタと出発した。
 
 昼過ぎの電車は空いていて、車内の人影はまばらだ。窓からは春の訪れを予感させる温かな陽射しが注いでいる。3歳ぐらいの男の子が親の手元から離れて、私のほうへ寄ってきた。大きなスーツケースが珍しかったのだろう。ピカピカ光る表面に手を伸ばし、まっすぐな瞳を無遠慮にこちらへ向ける。
 
 「ショウくん! だめでしょ! こっちきなさい!!」
 
 遅れて気づいた母親がようやく子どもに声をかける。私は軽い会釈を彼女に返す。
   
 今回の旅が決まってからというもの、街中で子どもを見る気持ちも変わってきたのだから、我ながら現金なものだ。半ばあきらめていたはずの「子どもを持つ」ということ。それがもしかしたらかなうかもしれない。そう思うと、よその子にも優しくなれるのだ。
 
 しばらくすると電車は、ごーっという音とともにトンネルに入った。窓に自分の姿が映る。フライトに備えたカジュアルな服装だ。向こうで着る服は一応数パターン持ってきた。マキコさんから「普通の格好でいいからね」と言われているけれど、バリでの集団お見合いにどんな服装がふさわしいのか分からない。昨晩は遅くまで決めかねたが、最終的には「ま、あっちで買えばいいや」とふっきった。
 
 マキコさんは、もう20年以上バリに住んでいる。私が新卒で入った会社の先輩で、私が入ってすぐにバリに移住した。バリ人と結婚して、現地で籐かごのデザインを行い日本や中国相手に手広く販売。3人の子どもと夫だけでなく、その集落全体の生計を支えている。
 
 「ねえ、ナオコ。あのさ、よかったら、こっちの男の人と結婚しない?」
 
 ふた月前。いつもはメールでやり取りをしているマキコさんから珍しく電話がかかってきたときの気持ちは、「ほっとした」というのが一番近い。「そうか、その手があったか」という発見と、「そうか、ついにそこしかなくなったか」という諦め。不思議と嫌な気持ちはしなかった。
 
 電車が空港の最寄り駅に着く。親子連れはすでに途中の駅で降りている。私は長い直通通路を歩き始めた。少し前のほうを、大学生同士っぽいカップルが歩いている。そうか、卒業旅行のシーズンか。スーツケースのゴロゴロという音が蛍光灯の光の中で反響する。
 
 「男の経験は落ち着きや余裕となって現れるけれど、女が経験を積むとそれはこだわりになってしまう」と、最近雑誌で読んだ。うまいことを言う。
 
 若いころなんて、男の人はちょっとでもいいところがあったらステキに見えた。物知りな人、カッコいい人、話が面白い人。それが30代になると、リストには仕事への姿勢や物腰のスマートさが加わってくる。育ちのよさそうな食べ方や、笑った声が下品じゃないことも必須条件。それらは他の条件に取って代わることなく、年を重ねるたびに増えていくばかり。長男は避けたい、自分の仕事は邪魔されたくない、汚いおっさんと一緒に住むぐらいだったらひとりでいい、かといって若すぎる男の子は話が合わないと並べ立てたら、A4一枚ではとうてい収まらない。
 
 その点、男性は年を取るにつれて女の好みが「若さ」一点に収斂していくような気がする。品がよくないと、だの、料理の腕は大事、だの言っていた男たちは結局「相手の年齢」でいろいろなことをチャラにして結婚していく。国際お見合い結婚という選択肢は、そういう意味では私にとっての絶妙な「チャラ」ポイントだった。
 
 「まだ結婚考えてるなら、ダメ元でいいから来てみて」
 
 マキコさんはそう言って私を誘った。日本の女性と結婚して日本で豊かな暮らしをしたいと考える男性はバリでは多いのだそうだ。そういう彼らを集めて日本からくる女性と集団でお見合いを行う。費用は格安。日本の結婚相談所に比べたらタダみたいなものだ。私は「お世話になります」と即答し、翌日からスケジュール調整に入ったのだった。
 
 搭乗手続きを済ませて荷物を預け、中二階にあるコーヒーショップで時間をつぶす。いよいよ旅に出るぞという気持ちの高まりが「空港」らしくて、好きな時間だ。
 
 下のフロアの人混みを、キャビンアテンダントの一団が横切るのが見える。自信に満ちあふれた歩き方と目を引く制服は周囲を少しだけ「威圧」するけれど、それも仕事のうちだろう。手持ちぶさたに携帯をいじると、昨晩届いた妹からの「がんばって!」というメールに、顔がゆるむ。
 
 バリまでお見合いに行くことは、周囲には明かしていない。一応、実家の母には告げたら、意外と好反応でびっくりした。
 
 「日本の変な男と無理して結婚するより、全然いいんじゃない? マキちゃんの紹介だったら、危なくもないだろうし。お母さん、なるべくならかわいい子を連れて帰ってきて欲しいなぁ。東方神起みたいな。クミコにも伝えておくね」
 
 「反対しても行くからね!」と思春期みたいなセリフを用意していた私としては気が抜けた。父は数年前に亡くなっていて、最近の母はフラメンコにフラダンスにベリーダンスと、世界中の踊りを踊り尽くしそうな勢いだ。会うたびに若くなっていて驚く。
 
 「いま空港。かっこいいお義兄ちゃん期待してて」
 
 妹に返信して携帯を閉じる。そろそろ時間だ。会計を済ませ階段を降り、手荷物検査のゲートへ向かう。
 
 日本からの参加者女性は20名ぐらいという話だ。めいめいで現地へ向かう。ツアーみたいに連れ立っていくのだったら、恥ずかしかったかな。いや、それはそれで楽しそうだ。いい友達になれそう。
 
 あ、でも、向こうでは恋のライバルになるわけだ。こっちが主導権を握っているとはいえ、なるべく「かわいい子」に気に入られなくてはならない。私は年齢よりは若く見えるほうだけれど、気を引き締めないと。
  
 と、ソワソワしている自分に気づき茫然とする。道の真ん中でしばし立ち止まってしまったほどだ。
  
 男性との出会いにこんなにワクワクするなんて、いつぶりだろう。たまに顔を出す仕事関係の交流会とは、まったく違うフレッシュな気持ち。どんな人がいるのかな? 好きになれるかな? 好きになってもらえるかな? 嫌われたらイヤだな。そうそう。こういう気持ち。
 
 ゲートを抜けると、大きな窓の向こうにジェット機の勇姿が見える。アナウンスの声もひときわくっきり聞こえ、旅立ちのテンションは最高潮に達する。
 
 オトナになってしまった私から、「こだわり」という垢をそぎ落とすのはもはや難しい。それでも私は同時にいろいろなものを手に入れてきた。タフさだってそのひとつだ。
 
 こんな高揚感のあとには、必ず落ち込んだり傷ついたりが待っていることも、経験上知ってる。だからといって、身をすくめてなんていられない。目をそらしてなんていられない。どれだけ傷ついたってきっと立ち直れる。男なんて待ってないで、ゲットしにいけばいい。日本にいなかったら、海外まで。うまくいかなかったら、何度でも。そうだ、そうだ! いつしか大きく広がった歩幅は、胸の内の独り言とシンクロし始める。
 
 そーうだ、そーうだ、そーうだ、そーうだ。
 
 もちろん、バリについたらこんな歩き方はしないだろう。最初のうちは楚々と歩いて、おしとやかな女性を演じて見せるつもりだ。待ってろよ、未来の夫!
 
 タラップを渡り、私はのしのしと機内へ歩を進めた。

photo by Thomas Depenbusch

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