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トシ的孤独、ムラ的息苦しさ2

ひとつ目の大学に比べると、現在通う大学はお互いの距離が非常に近い。

今の大学生活は、拘束がとにかく強いのが特徴だ。僕らは朝9時から夕方17時頃まで、週5日間をもれなく一緒に過ごす。講義はすべて出欠管理がなされていて、一定以上のコマ数を休めば定期試験の点数が割り引かれてしまう。定期試験の結果はひと科目でも芳(かんば)しくなければ留年となるため、結果として学生は講義への参加を強いられることになる。この拘束は中高の頃以上に強く、元会社員の僕からすると、まるで会社に勤めているような感覚にすら襲われる。だから入学以来、家族のように毎日顔を合わせるおよそ100人の友人とは、(必要の有無に関わらず)様々なカタチでコミュニケーションを交わすことになる。そしてその結果、自然と仲も深まっていく。

ちなみに一度目の大学生活についても触れておくと、(医学部以外の理系学部については知識がないため言及できないけれど、)文系の学部は実質的な拘束がきわめて緩い。もちろん文系を一括りには出来ず、所属する学部やゼミによって状況も大いに違ってくると思う。けれどすくなくとも当時の僕自身や友人を知る限り、大学での勉強とは控えめにいって(その大半が)「ゆるゆる」なものだった。講義は一部を除けば休み放題だったし、定期試験は一夜漬けをして乗り切る、こんなことが当たり前だったのだから。というわけで以前の大学生活ではキャンパスから足がどんどんと遠のき、そのこともますます、友人との関係性を希薄なものにした。

今の大学では、中高の頃と同じ「互いが互いを認知している」という心地よさを僕は感じている。もちろん、人間である以上お互いに「合う・合わない」の話はどうしても出てくるし、仲良しグループというものは必然的に生まれていくものだと思う。けれど、普段一緒にいない相手とも実習やグループ学習など様々な形式を通じてふれあう機会が生まれるから、入学して数年後もお互いの顔や名前を知らないという状況はまずあり得ない。むしろ、親しくはなくとも日々の生活の中で「XXはこんな人」「こんなことが得意」などの情報が自然と入ってきて、それがまた新たなコミュニケーションを生み出す構造となっている。程度の差こそあれ、ひとりひとりとの関係性を日々積み重ねている気がして、僕にはどうにも、それが心地いい。

もうひとつ、今の大学生活では付き合うことのできる人間のタイプの幅広さも魅力的だなと感じる。たとえば僕は、以前の大学ではサークルに所属し、軽音楽をやったり、サーフィンをしたりしていた。当たり前の話だけど、それらのコミュニティで出会う人は軽音楽が好きな人や、サーフィンを好きな人が多い。このように、ひとつ目の大学のような拘束が薄い環境の場合、自らの趣味嗜好に沿った場に赴きそこに身を置くことが増えるから、どうしても自分と共通の趣味嗜好を持つ人達との接点が増えてくることが多い。それ自体はもちろん悪いことではないのだけど、逆にいえば、自身とまったく違うタイプの人達と出会うことは相当に難しくなる。彼らと接するためには、余程のアンテナとフットワークを意識的に備える必要があるだろう。振り返れば、あれだけ多様な人に恵まれた巨大キャンパスの中、僕のネットワークは非常に偏った狭小なものであったように思う。

それが今の環境だと、あのひとつの教室の中に様々なタイプの人間が平然と共存している。そこには軽音楽好きやサーフィン好きもいるし、アメフトやラグビーをやるゴツゴツの巨漢も、アニメやゲームが大好きなオタク風人間も、ダンサーもパリピ(注: パーティーピーポー)も、ギャンブル好きもバイト漬けの子も、いわゆるガリ勉くん的な人も、武道に励む女の子も、ファッション大好きなオシャレさんもいるし、はたまた自分がこれまでに触れたことのない趣味や特技を持つ人もいた。そんな人たちが日々ガヤガヤと交流しながら、意外な共通点を見つけては互いに喜んだりしている。僕は時々みんなと遊びに出かけることがあるけれど、その時のメンバーを見ると大抵、色々なタイプの人間の詰め合わせ状態となっている。そんな彼らを後ろから眺めつつ、僕はしみじみとおトク感(?)のようなものを感じてしまうのだった。

もちろん、あの教室にいるのは「医学部の学生」という、ある視点ではとても偏った共通点を持つ人間たちであることは事実。実際、そこにある程度の共通した性質が存在していることは意識すべきことで、また別の機会に触れたいとも思う。けれど、少なくとも僕はひとつ目の大学で、上に紹介したような様々なタイプの人間たちと、友人と呼べるような関係を築くことはできなかった。いや、そもそも出会うことさえ出来なかったのだ(これらはすべて自分の責任だけれど)。

下手すれば友人など一人もいなくとも卒業出来てしまう、そんな約10年前の大学生活においては、アルバイトがそうした色々な人と出会う役割を果たしていた気もする。それでも、100名超の様々な人間と毎日をワイワイ過ごせるような環境は、アルバイトでは得ることが難しかったと思う。

多様な人が集まり、コミュニティが大きくなればなるほど、個々人が構築できる友人関係とは狭く偏ったものになっていく...実はそんなものなのかもしれない。こんなことに、今の大学生活を送る中でふと思う自分がいる。

(つづく)

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