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僕のサウナ・ヒーロー

こんにちは。今日もお立ち寄り頂きありがとう。

僕は家の外にある浴場やサウナというものが大好きで、どこか旅行に出かけると毎回、その地に温泉や銭湯はないかなと検索を始めてしまう。また、自分がジムへと定期的に通うモチベーションを保てているのは、トレーニング後の風呂やサウナのおかげだと、結構(いや大分)真剣に考えている。

ジムの風呂やサウナには本当に色々なタイプの人がいる。人を観察することが好きな自分にとって、そういった点からもジムは本当に興味深い場所だ。今日は、地元で僕が勝手に名物認定しているひとりの紳士をご紹介しようと思う。

ご紹介するのは、コードネーム「気分はハリウッド・ヒーロー」さんだ。

僕の通う地元のジムでは、浴場エリアに入るとまず狭い通路となっていて、その両脇に5-6台ずつのシャワーブースが設置されている。そのブース群が終わるとすぐ右手側にサウナの扉があって、それも通り過ぎると一番奥に大浴場と水風呂が併設してある設計となっている。だから、つきあたりの大浴場から出入口の方を眺めていると、自然とサウナに出入りする人たちの姿を確認することができる。

ハリウッド・ヒーローさんはおそらく50代中盤の男性で、僕がジムへ行くときは大抵いらっしゃる気がする。白髪が特徴的で、特に筋肉が肥厚しているという訳でもないが、無駄な贅肉のついていない非常にすっきりとした体型をしている。僕も彼のような年齢に達した際にあのような体型を保てていたら、それは素敵なことだろうと思う。さておき、なぜ僕が彼にそんな名前をつけているかというと...

僕がいつものようにのんびりと浴場に浸かり、ぼんやりと入口側を眺めていると、「キィ」とサウナの扉が開きひとりの男が出てくる。その男の出で立ちといったら、僕はそれを一体何と言い表せばいいのだろうか。赤みを帯びた汗まみれの顔に浮かぶ表情は非常に険しく、眉間には深い深い皺が寄っているのがわかる。目は細められ、口は固く一文字に結ばれている。その表情は間違いなく険しいものであるが、しかしながら、僕は決して見逃すことをしない。いや見逃すことなんてできるわけがない。その男の表情には、何事にも変えられない至高の達成感がにじみ出ていることを。汗が吹き出す全身もまた見事に真っ赤で、男は肩をいからせ風を切りつつ、僕のいる浴場に悠然と近づいてくる。まるでその男だけスローモーションのエフェクトがかかっているかのようだ。僕はその男の姿に思わずごくりと固唾を飲む。

(アッ)

僕は気がつく。何で直ぐに気がつかなかったんだろう。あの表情、あの姿。これはまるでアレだ。あのシーンだ。あの伝説的ハリウッド映画、「アルマゲドン」。地球に衝突してしまうと考えられた巨大隕石の元へと飛び立ち、見事それを粉砕することに成功した男たち。多くの犠牲者を出しながらも、遂には地球へと帰還した人類の救世主。たった今僕が目にしているのは、あの宇宙船から降り立った、ハリウッド・ヒーローたちの表情と姿、そのものじゃないか!...でも彼は何かを成し遂げたのか?いやサウナに入っただけだ。いやいやそんなことはどうでもいい。

もわもわと立ち込める湯気の中、その男がスローで歩く姿を視界の真ん中に受け止めながら、僕の脳内にはエアロスミスの名曲“ I Don’t Want To Miss A Thing”の壮大なサビがオーケストラをバックに鳴り響く。

(ァ ドンワナ クロゥズ マィ アァーーイズッッ)

僕はこのヒーローから目を逸らしてはいけない。本能がそう訴えている。やがて男は僕の目の前までやってくると、僕から見て左手側に歩む方向を変える。男が身体を向けたのは、大浴場に隣接する水風呂だった。変わらずその姿を目で追い続ける僕。何か語りかけられた訳でもないのに、胸のハラハラドキドキは増してゆくばかりだ。

水風呂と正面で向き合うと、男は無言のまま、少し身体を屈(かが)ませて脇に置いてあった洗面器を手に取り、浴槽へと潜り込ませる。そして...何と猛々しいのだろう...、彼は再び仁王立ちし、片手に持った洗面器を頭上で真っ逆さまにひっくり返したのだ!王者の風格すら漂うその男に敵なし!!すごいっっ!僕たちのヒーロはこんな近くにいt

ザバーーーッッ!!ビチャビチャビチャビチャッッ!!

(つっ、つめっ!!つめてっっ!!)

170cmほどの高さからひっくり返された洗面器の水は彼の全身を包みこむだけでなく、その床面からの跳ね返りが僕のところまで容赦なく襲ってくる。

そして男はザボンと水風呂に飛び込むと、まるでエクスタシーそのものと言わんばかりの痛切な表情から、低い低い呻(うめ)き声を轟かせる。そして座位となりようやく落ち着くかと思いきや、今度はその姿勢のまま頭の先まで水風呂の中に沈んでいったのだ...ブクブクブクブク

...ザバーン!...ブクブクブクブク...ザバーン!

頭の先までを潜らせては勢いよく顔を出し、ふたたび潜水し...を繰り返す。

(な...なんてことだ)

ベン・アフレック顔負けのハリウッド・スターであったかと思いきや、男の今の姿はもうそんなレベルの話ではない。もはや人類の領域を軽く跳び越えた、あのおとぎ話にしか存在しないはずの幻の生き物そっくりだ...僕はもしかすると本物のそれを見ているのかとすら疑い、目を何度もこすってはその所作を凝視する。

(カッパ...)

結局、男は僕が浴場エリアを後にするまでに、サウナと水風呂を何度も往復した。その度に僕の視界にはスローエフェクトがかかり、スティーブン・タイラーの甲高い歌声が僕の耳を劈(つんざ)くのだった。

そう、彼は僕の中で紛れもないサウナ・ヒーロー。

いつか彼をジム内のスタジオで目にしたとき、男は若い女性インストラクターの指示に従って懸命に腹筋を鍛えていた。けれどその時の泣きそうな表情から、あの浴場での栄光の面影は一切感じ取ることができなかった。...人には、誰しも輝ける場所があるということなのだろう。僕はこれからも、彼の浴場エリアでの神々しい姿を見届けていきたい。

そして、いつか。あの紳士に、もしいつか声をかけることができる機会に恵まれたら。万が一にも、そんなチャンスを得ることが出来たなら。僕は勇気を振り絞って、彼にひと言だけ、気持ちを伝えてみたいと思う。

「水浴びは、もう少し低いところから静かにやりません?」

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