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トシ的孤独、ムラ的息苦しさ3

これまで、僕は以前の大学よりも現在の大学で過ごす毎日がより肌に合っているということを書いてきた。では今の学生生活に、友人達との関係性において何の不便も感じていないかというと、必ずしもそんなことはない。それが、表題にある「ムラ的息苦しさ」というものだ。

元々、百数十名という小コミュニティ。その中で個々の学生が、あらゆるテーマで数多(あまた)の小グループに所属している。例えば、「席が近い」「実習班が同じ」「部活が同じ」「委員会が同じ」「勉強仲間」「遊び仲間」「趣味仲間」「高校が同じ」「予備校が同じ」エトセトラ、エトセトラ。さらに、例えば遊び仲間なら「ゲーム仲間」「ラーメン仲間」「飲み仲間」「ディズニー仲間」...とさらに細分化がなされていく。もちろん、学生それぞれに基盤となる仲良しグループ的なものが存在しているとは思うけれど、それらの小グループ群を形成するメンバーは、それぞれが若干違っていたりする。この、誰とも分け隔てなく交流があることが小規模集団の魅力であることは前にお伝えした通りだが、その結果、学年内には非常に網羅的かつ複雑な人的ネットワークが張り巡らされていることになる。

そのような環境下では、個人がプライバシーを守り続けることはなかなか難しい。一度誰かに共有された情報は、そのネットワークを通じてあっという間に広まっていく。そこではあらゆる類の情報が共有される。試験や部活、恋愛や成績といったお決まりのものから、「XXはすごい」「YYがうざい」といった人物評価、さらにはかなり深い家庭事情といったものまで。内容の真偽を問わず、その場で一時的なサプライズや笑いを提供できる類の内容であれば、なおさら広がりは早い。その点は、SNSなどと何も変わらない。

これにはコミュニティの規模に加えて、大学からの拘束が強いということがきっと関係している。何をしなくとも、僕らは平日の朝から晩まで学校にいなければならない。よほど意識して外にアンテナを向けない限り、人生の中心は圧倒的に学校なのであって、そこに新たな生活の刺激を取り入れることは難しいだろう。皆が安心して楽しめる共通の話題がやはり大学生活のことになるのは、ある意味仕方のないことだとは思う。

あとは日々顔を合わせる小規模コミュニティならではの、人間関係のウェットなトラブルも(残念なことに)しばしば耳にする。「最近あいつが面倒くさくて」という個人間のものであればまだいいのだけど、グループ内にて「はぶられた」「無視される」なんて耳を疑うようなケースもあるのが現実。上と同じく、ほとんどの人たちにとっては大学生活が現在の人生の基盤なのであって、さらにそこでの中心的な居場所が脅かされてしまうほど、つらいことはないだろう。まさに「村八分」の恐怖と同じなのかもしれない。話を聞いていて、多くの人たちが周りに少なからず気を遣いながら日々を過ごしていることがわかる。

最後に、これは友人が言っていて納得したことだけれど、「ひとりになることの難しさ」が今の環境にはあると思う。以前通っていたメトロポリタン的大学では、学内でひとりご飯を食べていようと、また何をしていようと何もうしろめたさを感じることはなかった(時折感じる孤独以外は)。そもそもそんな人はどこを見ても一定数いたし、場所さえ選べば周りに知り合いを見かけることもほとんどない。誰だって、友人とご飯を食べたい時もあれば、ひとりで済ませたい時だってある。

けれど、今の大学生活ではそれがいまいち難しいと。“「あの子、ひとりでご飯食べてる」と誰かが別の子を指して話すのを聞いて、この大学ではひとりでご飯を食べるのはいけないことなのかと感じた”と、その友人は話してくれた。上の話ともつながるけれど、ここでは生活の居場所を失わないように、「今はひとりになりたいなぁ」という当たり前の欲求さえもどこか抑制をかけて集団行動している、そんな人も中にはいるんだろうなと思う。

因みに、この辺りのことについて僕自身のことを言うと、比較的年齢が上なこともあって適度に距離を持ちつつ、気楽にやらせてもらっている気がする。けれど大半の学生は高校を卒業してまもなくやってきた、思春期まっさかりの多感な年頃だ。もし自分が高校を卒業後、直接この環境に身を置いていたら...それはそれで、なかなか頭を悩ませていたのだろうなと思う。

今回は大規模な総合大学にありがちな孤独と、小規模な単科大学ならではの息苦しさというものを対照的に書き並べてみた。1つ目の大学に分が悪い書き方をしてしまったようにも思うけれど、これはもちろん、どちらが良い悪いの話をしているのではない。実際、僕は思春期をあのトシ的な大学で過ごせてよかったと思えている。そこでは何より、今後二度と手にすることはないだろうと確信できるほどの大きな自由を謳歌することができたからだ。

...ただ今の自分にとって、身近な人のつながりを感じることはやっぱり大切なこと。だから、それを感じさせてくれる今の大学生活をとても慕っているし、共に過ごしてくれる同学年に感謝している。

その恩返しではないけれど、僕は学年の友人に自分ができることをやって、これからずっと、なんらかの形で役に立てていけたらいいなと思っている。

(おわり)

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