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ミニ・ドライブのひとコマ

こんばんは。春分の夜もお立ち寄り頂き、どうもありがとう。

今日は昼頃から妹とその息子・娘がやってきて、つい先ほど帰っていった。帰っていった、といっても、実際は僕が彼らの自宅へと送り届けてきたのだけど。

妹が結婚し、こどもを授かってからは、彼らが遊びに来た際の夜は父もしくは僕が車で家まで送っていく、というのがすっかり習慣となっている。そしてその往復30分ほどのドライブには、父と僕のどちらが運転手であってもかならず心配性の母親がついてきた。

僕が運転をする際、車内では大抵、Apple Musicを使って甥(4歳)の喜びそうな曲をかける。そして無事に3人を送り届けると帰り道は母と2人になるため、大体は自分が好きな音楽をかけるか、あるいは2人が知っている音楽をかけたりする(自分の思春期には当時のヒットソングをよく親に聴かせていたから、共通して知っている曲も少なくない)。

最近は僕自身がピアノの練習をしていることもあって、今日の帰路はいつもと少し志向を変え、自分が幼少期に練習したピアノ曲などをかけてみた。Apple Musicにはあらゆる種類の曲が揃っている。

すると母親はよく反応して、その曲の難しさだったり当時のエピソードなどを少し饒舌に話し始めた。幼少時の僕はピアノ教室に通っていたものの、自宅にいる際は母からなかなか手厳しい指導を受けていた印象が強い。当時、おしえていた時にどんなことを感じていたのか、なんて助手席から聞こえてくる話に耳を傾けながら、「へぇ」と相槌を打つ自分。こんな話をするのもなかなか新鮮だ。

母親もまた小さい頃からピアノを習っていて、おそらく僕の家族の中では一番ピアノの腕がたつ。今でも昔の楽譜を取り出しては静かに練習している姿を見かけるし、ここ数年は父親や彼の友人達とバンドを組み、そこでもピアノ担当としてメンバーを支えている。僕は、もし自分の音感がそこそこなものだと言えるとしたら、それは(父親ではなく)母親から伝わったものだと思う。父よ、ごめん。

母は自分が最近ピアノの練習を再開したことを知っていて、それを喜んでいるようだった。まもなく車が自宅へと到着する際、母がふと漏らす。僕らこども達は4人全員がピアノを習ったけれど、今もまだ触れているのは自分だけだねと。

「昔習わせたピアノを、今こうしてまた自分から弾き始めてくれるというのは、親としてはとてもうれしい」

親としてはそんな風に感じるものなのか。ふぅーん、と、返事ともとれない曖昧な声を出しつつ車を停めると、僕らはすっかりぬるくなった夜の風を体に受けながら、のんびり自宅へと戻った。

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