音楽はセコい

太陽の小町という男女ビジネスパートナーコンビです。こういうの言うから逆に恋愛の匂いして変なふうに思われるんかね。悔し。そのコンビの男担当してます。このnoteは思ったことを綴るnoteです。 
  
 

音楽はお笑いに比べてセコい。とにかくセコい。そう思っている人はどれくらいいるのだろうか?
もちろんこんなことを言うからには私はその考えの一人である。だからしっかり考えを書いていく。吐いた唾は飲まない。てか吐いた唾飲むって発想きも。

ちょっとさ。
うん。
あのさ。
うん。
あのー。
どうしたの?
ちょっと変なこと今から言うけど。
変なこと?
あのさー、えー。
なになに?
えー、今から地面に唾を吐くからさ。
唾を吐くの?
そう、俺が地面に唾を吐く。
うん。
その吐いた唾をさ、また飲むからさ、それを見ててくれへん?
‥‥え、なんて?
いや、何でもないよ。
いや、吐いた唾飲むとか言うてなかった?
え、いや……
キモ!めっちゃ引くわ。お前と付き合いやめるわ。
ちょっ待ってや!うわ!どっか行ってもうた。吐いた唾飲むなんて言うたから取り返しつかんことなってもうた。吐いた唾は飲まれへんな。
 
てきなことが実際あったのだろうか?あほな諺のでき方であるなあ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

とにかく、音楽はセコい。そしてそんな考え方をしている人が他にもいるのではと思う。そしてもっと言えば変な考え方をしているのはこのnoteを読んだからですという人が出てきてほしい。人様の脳内に安田一平を住まわしていきたいわけだ。家賃は取らないでね。人様の行動原理に影響を与えていきたいという誇示と言う名の意固地である。安田一平さんさすがっす!自分に無い発想っす!それを欲している。しかしそれを表立って言ってくるやつは信用していない。もう随分長い間、人生において真っ直ぐ誉められることに対していじっているのでは?という穿った見方をして生きてきた。その弊害がでている。裏でしとしとと私の考えを血肉にしてほしい。あなたの生活の精神のライフハックに。よろしく。
てかこんなことをまあいけしゃあしゃあと書けるなあ。という感情になっている方もいると思うがそんな人は読まなくて結構。読んでアンチと宣ってくれても結構。こっちも自由に書いてるから叩かれる自由もあることは心得ているから。しかししかし!け!出て行け!来んなそんなやつ!帰れ!!
いやはやこんなことを書くからあかんねんぞ。一平くん。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

脇道が本道になりそうなので戻ろう。音楽の何がセコいのか?まず音楽は不変だからだ。だからセコい。
不変。時間的概念に縛られていない。つまり昔のいい曲はいつ聞いてもいいし、心震わせられる。名曲。それは時代を超えてどんな世代の人にも伝える力がある。それにふと昔にいつも聞いていた曲が突然流れると当時の記憶をフラッシュバックさせる力がある。それがさらによかったりするブーストになる。
5歳くらいだったかの頃、家の近くの通称神社公園と呼ばれていた公園の、大きな楠木の下にある砂場で砂遊びをしていたら、おそらく猫かな、猫だね、が砂場に隠したうんこを触ってしまって、詳しく書くと前に誰かが作った泥団子かと思って手の上でコロコロしてしまって、うんこかな?って気づいて臭い嗅いだらうんこで、一緒に遊んでた友達に何も告げずに帰ったその時に、テレビで流れていたのはチューリップの心の旅だった。母もそれを聞きながら口ずさんでいた。だから心の旅をたまに聞くと思い出す。チューリップ心の旅猫うんこ。ああ今夜だけは。

そしていい曲は途中から聞いても、あ、いいなってなる。サビだけでもイントロでも。それは何度聞いても飽きない。もう四六時中永遠リピート。というのはあれだが、はまってるときはそれもあれなわけだし、探せば永遠リピートに耐えうる曲もありそうな気がそれであれである。そういう可能性もあれで、ある。私にとってはアルバムだけでいえばミスターチルドレンの深海はずっと永遠リピートで聞いてられる。
ある昔、モンスターファームという名のソフトが、プレイステーションという名前の筐体で遊べるゲームにあった。それはゲームなのに途中でゲームのディスクを取り出し代わりにCDをいれる。いれるとその曲の何かを読み取ってゲーム内にモンスターが現れ、そのモンスターで闘うというものであった。音楽のCDであるシングルとかアルバムとかがモンスターになると言う画期的なシステムのゲーム。そのモンスターファームというゲームで深海のCDをいれるとアンコウというレアモンスターが出る。私は当時そんなの全然興味なくて深海ええなあと聞いていた。ええなあ深海。その深海というアルバムを所有していることをふとしたきっかけで知られてすぐクラス中に波状に波及。私の深海のCDはピョンピョンと飛石のように又貸しされていき最終的に違うクラスにまでいったそうだ。違うクラスの知らない誰かのプレイステーションのディスクを差し込む真ん中の出っ張りが私の深海ディスクの穴に差し込まれたのだ。娘がいつの間にかヤリマンになってしまったかのような。そして行方不明。今もそいつの棚には私の深海はあるのだろうか。大事にされてるのだろうか。健康で幸せであるならそれでいい。とにかく私の深海は領海を越え海外の海のどこかわからない場所で、その海の深い海底に海の藻屑と化して消えて無くなった。海多い。私はクラスの人間が嫌いだったので深海を見せびらかした自分と断れない自分を嫌った。
というわけで、音楽は不変なのだ。どういうわけや。
  
 
 
 
 

音楽は不変だ。だがお笑いは不変ではない。
上手いこと言うもんでお笑いの披露する演芸を寿司のようにネタと言うのには鮮度が命であるからではないのだろうか。お笑いのネタも鮮度がなんと重要なことか。昔のネタをずっとずっとずっとずっといつまでもいつまでもずっとずっとしていたら「この人達は新ネタを創っていないの?」となる。飽きられ捨てられもういいよ。となる。若手は特に。重ね重ねて伝統芸能になればいいんやけど。
私は子供の時大阪に住んでおり、狂ったようにあらゆる漫才番組を録画して観ていた。漫才番組飢餓鬼妖怪。その当時同じ漫才師が違うチャンネルで同じネタをしていた。食い入るように観ていた餓鬼の私はおいおい、この入り、うわ!同じかよ!もうエエわ。となってしまっていた。餓えた鬼の私は新たな刺激をいつも求めていた。プレイヤーになってわかったが、何度かネタをするのはある種の仕方なさはあるのかもしれない。自分もよくやる。ネタなんかしばらく何回も擦る。だから今となっては当時の感情のままネタをこする芸人を攻めることはできない。しかしその何度かの同じネタを重ねている時に、望むでも望まぬでも何度も何度も結果的に観ることになってしまった人はやはりガッカリするのだろうか?私はすると思う。私がするから。ワクワクやドキドキは最初よりない。オチ知ってるんだから。それでも観て笑ってくれる人がいるのなら、それは見る側の優しさという薄氷の上で成り立っているのではないだろうか。だから来てくれる方のために丁寧さと慎重さを持って舞台に立たないといけない。今改めて思った。
とにかく音楽は新曲でも、お!名曲でも、お!
お笑いは新ネタで、む?やりまくった過去のネタで、ん?
なのだ。連続で同じネタを何度も見続けるなどもってのほかだ。

それに音楽のように久々に懐かしの昔のネタをしばらく経ってやっても別に当時のことを思い出すこともなく観てもらうことになる。と言うか観てもらわないと困る。困るけど申し訳もない。思い出してたらフリとかボケとかツッコミとか聞いてないことになるし、思い出してなくてもその割りには一度は観た昔のネタなのだ。そもそも音楽はながらでも聞けるけど、お笑いはながらで聞いてしまったらおもしろさは半減だ。そして途中から観ても大事な最初のフリがないとおもしろさ全の減。いみふのちんぷんかんぷん。巻き戻してフリから見直しても見直す前の途中の部分を覚えているわけで覚えているということはフリを聞いても緩急の落差が少なくなるわけでつまりウケるような状態になりにくいということなわけで。
いつも心をゼロにして最初から見ないとお笑いはついていけない。

さらには音楽は自由なのだ。戦争反対でも差別撤廃でも主張の強い歌は聞く人間を考えさせたり納得させたり感動させてたりする。歌詞が攻めててもいい。なぜかそういう土壌があるのだ。
それに比べネタは自由が低い。やれコンプライアンスだとか人を傷つける笑いだとか言われる。日本は政治をお笑いに入れると思想が強いと毛嫌いされる様相があるし、尖った笑いをしても受け取り手に伝わらず意味わからんとスベりにスベる。
そして一番解せないのはネタの中に歌が入ってるとポップになるということなのだ。これは音楽がセコい決定打かもしれないね。

音楽の不変が唯一足かせになる時がある。それはライブなどで歌手が悦に浸って原曲と違う上のパートにずれてアレンジする瞬間だ。それに比べてお笑いはアレンジしてもアドリブを入れても別にそこまで不満に思われることはない。それは元から不変で売り出していないからだろうか。むしろ毎回完璧な漫才などしていたら漫才から感情が見えなくて、お笑いサイボーグとか、お笑いフランケンシュタインとか、お笑い方程式博士の愛した数式などと言われてしまう。いわれるかー
 
 
 
 
 
 
 
 

兎にも角にもお笑いは刹那的なものが色濃く反映される文化ではある。
劇場のお笑いで生の体験してほしい。まあそれは音楽もそうやけどな!
 
 
 
 
 
 

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