別に落ち込んでるわけじゃなくて

服の色味やバランス、好きな服、そういうような自分なりのその日のベストのコーディネートをし、髪型をきっちりセットして鏡の前で「良し」とかなんとか心の中で呟いて出て行った日に滑ったり漫才があんまりよくなかったりすると、準備をしてるときの仕上げていく高揚を感じていた自分まで遡り気恥かしくなる。生き埋めにしたい。干潮の砂浜に穴掘って顔だけ出した状態で埋まって、どんどん満潮になるにつれて海水がせり上がってきて息ができなくなるのがお似合いよ。セットして準備して最高の一日にするぞなんて意気込んで、ほんまアホみたい。
 
 
 
 
 
 
 

他人が羨ましくて羨ましくて仕方がない瞬間がある。楽しく朗らかに力を抜いて楽そうにばんばんウケている芸人を見ると自分もそうなりたいと心が惹かれる。しかしそういう感情が1ミリでも入るともうダメでパフォーマンスが悪くなる。悪くなるというか恐らく芸風と楽しそうに朗らかに力抜くってのが相性最悪で私の場合おもしろに繋がらない。結果滑って心が弱る。弱ると浮かれてる俺なんか誰も見たくないんやろなと自己評価を下げる。下げて部屋の隅で地蔵のように佇んで人に意識されることから逃げようとする。まあもともと自己評価が高すぎるきらいがあり、自分は何でもできる万能マンと錯誤して、みんなが表で何もしてないフリして裏で準備しているとつゆも知らずに準備しない無頼漢な昭和の芸人に憧れる実践して失敗して凹んで寝込む。でも本当はそんな芸人になりたかった。天才と呼ばれるような。センス。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

自分の今やっている笑いの取り方は人に好かれるような形ではなく動物園の面白い動物を檻の外から見て笑ってもらうようなもので、センスからは程遠い。こんなんで世に出たりしたらほんまに家族に迷惑かけるんやろうなと常々思うし更にイジられというのが家族を守りたいという感情を加速させる。しかしイジられないと笑いを産みだせない芸人ですのでいじってくださる分には構いません。ありがとうございます。それが私の範疇を超えて家族に迷惑掛かりそうなら無視はさしてもらいますが。イジられてウケるということはすごいですよ好かれている証拠とかたまに言われるが物事は相対的に見るとすごいものはすごくないし要るものは要らんし。イジられてウケるということは家族の立場から見ると要らんしお笑い芸人としては要るし。そんなことは分かっている。ただ自分が知らぬうちにその覚悟のいる道に進む事になっていることに肩を落としている。進むけど。進むんやけど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

恋人なんかはもってのほかで街やバイト先や知り合いにお近付きになりたい女性がいてもこんなお笑い草の自分と付き合いたいか?と思うと足の腱が切れて一歩も動けなくなる。何も知らない街で私と出会っていい感じになったとして、なんの仕事をされとるかと問われたときちゃんと説明するかは甚だ疑問である。自信があるとかないとかではなく客観的にそう見てしまう。芸人で漫才してます。どんなの?どうでもいいような細かいこと気にしてそれを相方の女性に大声で恫喝して喚き散らかし最後に二段蹴りハイキックしてます。始まりそうな恋も冷めようよ。恋人警察官です。素晴らしい。恋人サラリーマンです。ええやん。恋人二段蹴りのハイキック男です。これどうよ?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

そんな感情で考えで客観的に見ているつもりではあるが、なんやで今の漫才は嫌いじゃない。普段の自分の人の顔色を気にして我慢しているでも気になる細かいことを、漫才という形で人に見せつけ人の目を気にせず忌憚なく感情を爆発させる憧れの自分を憑依させ表現してぶつけて解消することにある種のエクスタシーを感じている。自己の霊を憑依させるシャーマン漫才師。ていうかそもそもケツに火もついてるし、これが無理ならもう終わりと思って人生賭けている。だから家族には犠牲になってもらうしもう恋人は半ば諦めている。人生の三大必要そうなものの2つを捨ててでもウケるということが麻薬的に気持ちがいい。寅さんの神社に捨てるものを出すとしたら家族と恋人やね。ダサ。どっちも欲しくても出来へんことを要らんとして言い訳にしてるだけやんけ。 
  
 
 
 
 

一度漫才観てほしいな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

サポートしてほしくない訳じゃない。サポートしてもらって素直にありがとうございますと言えないダメな人間なのです。