ポジティブというもの

男女漫才師太陽の小町というコンビの男。自分達の漫才をカタルシス漫才と定義している。ダサ。そんな私が普段思ったり考えたりしたことを綴る媒体がこのnoteだ。今後ともよろしく。クサ。
 
 
 
 

今回は、ポジティブという魔物がお笑い界に起こしていることついて考えた。私の浅はかな知識を露呈させてもらう。
  

ポジティブ
積極的。または実証的であるさま。転じて日常会話では、物事を前向きに捉えるような考え方や性格、精神の様子を表すときに使う用語。対義語はネガティブ。
 
 

私は別に社会学者でも、大学で人間学みたいなのを専攻していたわけではない一介の芸人だが、コロナというものが社会や生活や人間の価値観を大きく変えたということを、ここ数年から読み取るのは容易い。
ウイルスという目に見えない得体のしれないものに毎日ビクビクして過ごす日常というものは、今まで感じたことない何となく薄い煙がずっと纏わりついているような不快感が毎日に伴う。今まで出来た事ができなくなり、今からはしなくてよかったことをしなければならなくなる。
ウイルスに対しての特効薬は未だ完成しておらず、この事実はゴールの見えないマラソンをさせられているかのような窮屈感と圧迫感として日常を襲う。その小さな毎日のストレスの連続は社会全体を薄雲のようにどよーんと包んでいく。私は今のポジティブ至上主義に疑問が湧く。
 
 
 
 

我々の漫才にはポジティブを取り入れている部分が多分にある。理由は単純明快、ウケるから。
我々の仕事はウケるのが大前提だからウケないからには意味がないし、ウケたい。というかウケないと気分が悪い。もし死ぬ直前最後の舞台をスベったりでもしたら死んでも死にきれない。入院して余命いくばくなくなってもリハビリ頑張るし、最悪這ってでも舞台に上がって絶対にウケるまで死なないゾンビのようになると思う。それだけウケるというのは気持ちがいい。
去年のM-1グランプリ2021の2回戦東京浅草の5656会館のときにオチのタイミングで二段蹴りをした瞬間、会場全体がぐわっと次元が歪み階層そのまま客席と舞台が一段上に持ち上がるかのような一体感と昇天感を感じた。あのような瞬間を一度でも味わった芸人はなかなか辞めることはできないだろう。
そしてその時にした漫才のオチがポジティブなオチだったのである。世の中がポジティブを求めていると感じた。
 
 
 
 

私は予想されている通りポジティブが嫌いである。ポジティブという言葉の本来の意味が嫌いというより、社会通念上捉えているポジティブの部分が嫌いである。それは自分が動物的な考え方がシンプルで好きだからであるかもしれない。
本来人間は木の実を取ったり、狩りをしたりして過ごしてきた。こういった生活はいつも同じ場所に必ず食物があるとは限らない。どうしてもギャンブル的な要素がつきまとう。ご飯がいつも食べれないというのは生きる上で大きなストレスであり、死に直結するものである。
対抗手段として人間は武器である知能を使い飢えないように努力する。罠を張り、動物の習性を予測し、道具を開発して自然が起こすあらゆる負に対策をする。取れなかったらどうしよう?ではなく、取れないからこうしよう。ここに前木の実あったけどなかったらこっちいこう。常に危機管理の研鑽。つまりネガティブの繰り返し。ネガティブな人間が技術の進歩や技の向上を推し進めてきたと思っている。だから最初からポジティブな人間に向上なんてものは感じられない。と私は思う。

しかし常日頃日常的にネガティブでいるのは気が滅入る。周りにもいい影響は与えないし、自分の精神が荒んでしまう。私はポジティブの使い所があると思う。
最後のひと押しにポジティブを使うべき。今できる努力をやりきり、あともう運否天賦に任せなければならないとき、ポジティブに捉える。
寝る前。明日をポジティブに迎え入れれるように。明日への活力になるように。
なにかに挑戦するとき。ネガティブにひよって足を引っ張られ心を縛られ、本来の力が出せなくならないように。
失敗をしてしまったあと、次に向かうとき。立ち上がるときに力が必要。その時の後押しに。
 
 
 
 
 

最初に話を戻すと、やはり現在社会全体がこのコロナ禍により、明日への希望を見失うような状態に近いのではないのか?自然となんとなく明るく眩しいものに救いを求めるようにすがっていく。ポジティブは他人に力を与えて、くさくさした毎日をなんとなく明るく照らす。そういう明るいものに救いを求めることが昨今のポジティブが持て囃されてきた原因なのではないか。と思う。
それはお笑い界のにも侵入し、ある種のムーブメントになっている。悲惨なオチは肩身が狭くなり、いじめ軽蔑差別を連想させるネタには批判がいく。とにかく明るく。とにかくオチだけでもポジティブに。ポジティブ至上主義。
それこそがお笑いにポジティブが求められている理由なのでは。自分たちに変えることのできない現状を、お笑いというものだけでもポジティブを求めるようになっているのではないだろうか。

サポートしてほしくない訳じゃない。サポートしてもらって素直にありがとうございますと言えないダメな人間なのです。