何でこんな仕事してんの?

どうも太陽の小町という男女コンビの男役で漫才をして飯を食うていきたいと画策するものである。
そんな自分が何でこんな仕事してんの?と自分に思う瞬間が多々あって、それこそ改めてほんまに何でしてんねんと思う。こんなことを応援してくれる人が読むであろう媒体に吐き出すのはどうやねん。という意見も自分の中から出たが、これはあくまでも自分目線のこんなやつあかんやろという価値観からの話であって、世の中は意外と寛容でというか無関心で、まあそんなんでエエんちゃう?自分ちょっと考えすぎちゃう?と思われるのではないであろうか。。。というマイナス的ポジティブ思考により書いていくことにする。とにかく自分観点で自分を見て、自分にダメ出しをしている。と思っていただきたい。 
 
 
 
 
 
 
 
  
  
 
 

 
 
 
 
 
 
 

いじられるのが嫌だということ。
 
こんなこと言うていいんかわからんけど、いじられるのが嫌だ。とにかく本当にとにかくプライドが高くて、負けや失敗を認めたくない馬鹿ないらん高いプライドある。そのプライドが高すぎて、イジられるというのは相手をバカにしたり、お前おかしいよね?というのを周知させる行動であると嫌な方に捉える。だから、そういう行動が自分に向くと嫌悪感を覚える。疑念、憎悪、怒り、反抗。
でもそれ以上に先ずスベるのが嫌で、そして他人からのパスを無下にするのが嫌で、更には自分では感じていない他人が面白いと思っている自分をすかすのが嫌なので全力で返している。プロレスラーも技受けるのは嫌やと思う。痛いしきついやろうに。でもショービジネスで、対戦相手も自分も血反吐はくほど練習してて、それが自分の良さを出すためなら相手の技も受ける。と思う。勝手に感銘を受けてプロレスラーの心情を慮っているだけで合ってるかは知らん。
だからイジられるのが嫌なのに一生懸命返している。そんな自分に優しいありがたい方がいじられてるときおもしろいですね!!と言われても、内面では、あ、はあ、そうですか。という感じ。褒められるのはありがたいが本懐はそこにはない。ごめんね。相手も悪い気持ちでイジってないって最近は思うようにしてる。最近かえ!
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 

カッコつけてるっておもわれたくない。
 
大阪はカッコつけよりおちょけのほうが良しとされる基準がありもうそれが文化になっており、殆どの大阪人がカッコつけるよりおちょけを選ぶ性質がある。おちょけとはお調子者を演じるという意味。さらに人をいじる文化が大阪人全員に蔓延しており、異端なものに一旦挨拶でいじるという謎の定型がある。だからカッコつけると絶対にすぐいじられる。そして先にも言ったが私はいじられるのが嫌なのでカッコつけるのを避けたいと常々思っている。
私は元来素直で見返りを求めない優しい末っ子なのだが、見返りを求めない素直な優しさを当たり前だと思い自分がやるべきタイミングで発動しているのであるが、その瞬間は人から見るその素直で見返りを求めない優しさはスマートでぶっきらぼうなカッコつけの優しさに見えるらしく、その発言行動でめっちゃカッコつけているというレッテルを貼られる。結果いじられる。負のベクトル。南無三。
今年悔しいことにM-1グランプリ3回戦で敗退したのだが、その動画のコメントに『太陽の小町の男の人ボケより格好良さが気になって笑えない』というのがあった。カッコいいと思われてるしイジられてるし最悪のコンボ。そして敗退してるし。ぎょえー 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  

イタ芸で笑いものになっている。
 
たまに魂のまま発言しなあかん瞬間があって。というのももう七年も今のコンビを組んでいるので当初のコンビの強みというところが流動して変わっていって、今は相棒に散々イジられる最悪の時代が到来している。それはまあお笑いとして成功するとか目の前の人を笑かすとかで仕方ないと思い込んで溜飲を下げ、たまに腹立って上げ、そしてまた下げているわけだが。今は所謂自分のイタ芸(痛い発言をして人様に笑われることで笑いをとる芸)がメイン張っている時代が到来している。だから要所要所なんかエンディングコメントとか、どう思ってますか?とか、なんかこれ言わなあかんやつやん。となるときにイタ発言で場を白けさせ、相棒の一言や周りの人間のご助力でなんとかお笑いの枠にとどまっている。と認識している。やけど、こっちはギリギリ最後のダウンタウン世代なんで。そんなつもりでお笑いの世界に入ってきてないんで。遺書とか読んでガンガン影響されてセンス丸出しでお笑いやっていきたいと思っている部分があるんで。そんなトンガリ坊やの部分がたまに家とかに一人でいるときに思い出されたように覗かせる瞬間があって、突然過去の自分が未来の自分へ宛てた手紙が届いて読み返したら子供の時にプロ野球選手になりたいって書いてたのを見て今の自分を見返した際の感情のようなもの。うわー。そうやったなー。なる。
てか芸人が未だにダウンタウン世代とか言うな。売れてないのに痛いねん!
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

自分の映像を観るのが嫌だ。
 
自分の漫才の映像が見れない。なんなら音声も聞けない。反省する気がないのか?改善してより良いパフォーマンスをする気がないのか?いやいや、そういうつもりではないのだが、だが見れない。
実はこれで相棒と揉めたこともある。見て直せ!見たらきつなるから見られへん。見ろよ!見られへん。見ろ。無理。以下永遠に続くかと思うほどの押し問答………。
映像を見て悪い部分、直す部分が分かって次にそこを気をつけていいパフォーマンスをするというのが確実に成長を促す仕組みであるのはスポーツが証明しているし、頭で理解しているが、私には出来ない。なぜなら確実に気分が下がるからだ。なんやその軟弱な理由は。
ある日体感的にめっちゃウケてめっちゃパフォーマンスもええやんってなった回の自分の映像を見て愕然としたことがある。「自分のその日のパフォーマンスは、想像している自分より全然おもんない」と思ってしまったのだ。それがショックで映像を見て反省する前に自信がなくなってしまうのだ。想像の中の自分のパフォーマンスが面白すぎて現実が全然面白くなく感じてしまうのだ。なんやそれ。知らんがな。
そこから映像を見てつまり客観的に自分を見て士気が下るくらいなら、自分が面白いと思う自信を持って無双状態のまま行動して面白いと思ってもらうほうがいい回転になるので、相棒にわがまま言わしてもらってます。相棒は見るのが苦にならないので、そこで見て気になったことを言って直したり改善したりしとります。ありがとうございます。相棒。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

以上が自分がこの世界なんでやってんねんと思うことである。これを読んで応援したくなる人は皆無であると思うが、ここは何も気にせず文字を落とす媒体でありたいので好き勝手やらさしてもらってます。ありがとうございます。
 
  
 
 
 
 
 

 

  

サポートしてほしくない訳じゃない。サポートしてもらって素直にありがとうございますと言えないダメな人間なのです。