気になってしまう

皆さんは漫才を見るとき、何をどう見ているのでしょうか?どんな漫才の設定?とか、今回は何のテーマなのかなー?とか、どんなボケするのかな?とか、どういうスタイルの漫才形式なのでしょか?とか、なのだろうか?
これは、素晴らしい!!
こういう好意的に見てくださる方には頭が上がりません。ありがとうございます。そういう方が劇場から始まる笑いを支えてくださっています。我々もあなた方がいて、芸人として成り立たさせてもらっています。テレビで観る芸人も最初は劇場から始まっています。好意的に見てくださる方がいなければ、未来のスターは現れないのですね。本当に感謝申し上げます。兎にも角にも漫才を観るときワクワクやドキドキして観てくださっている方は今すぐこのnoteを読むのをやめろ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    
 
 
 
 
去った? 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
ホンマに読まんほうがええ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
しらんで?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
この世に知らんほうが幸せなこともあるんよ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
深淵を覗くとき、深淵もまた、こちらを覗いているのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちょっと待って、フリ過ぎたかも。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こんな空白作って実際内容読んだら大したことないかも。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
  
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
うわー。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
やりすぎてるわ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  

 
わかんねん。 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
分かんねん分かんねん。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

やりすぎてるよな?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
期待してるもんな? 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
そんなエグい内容じゃないねん。 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
ただ楽しんで漫才見てる人にいらん知識与えるかも。 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そう思ったからやねん。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
それやのにフリ過ぎてもて。
 
 
 
 
 

 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
もうええか。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
お前のnoteにそこまで期待してないわ!って声出てそう。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あとこの空白だるいねん。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

とか思われてそう。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

そういう人はもうやめて! 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

もう見んといて!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
やめてやめてやめてやめてやめて 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
やめてー!!!!!!!!!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
すみません。以後気をつけます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

ごめんね!ニッコリ
 
 
 

以下本題。

私はいつの頃からか細かいことが気になる性分で、気になるとそこばかり考えてしまう。気になったことに対して直向きで頑固で融通が利かない。ことそれに対しては東京の上位一万人に入るだろうし、中野区では恐らく500人に、街では5番までには入ると自負している。気になったことが気になって気になって気になった末動けなくなることが少々あり、その気になったことが気になって人の話も多々無視して、周りの人を大いに嫌な気持ちにさせている。自分がそんな存在であると気づいているのにも関わらず、気になったところが気になり気になったところばかり考えてしまう。
 

そんな細かいことが気になる私が漫才を見るとき何を見ているのか。お笑いとしての流れに無理がないかとか、ツッコミが合っているかとか、ボケがもっとフリいるやろとか、そんなお笑いのプロフェッショナルな技術的な事ではない。
私が漫才を見るときに一番最初に見るところは、スーツの着方が変じゃないか?だ。特にツッコミの人の。
基本面白いことを提供すればいい仕事であるはずのお笑いを見る上で衣装を一番に見る、なんてことは本来はあまり関係のないものであるはずなのになぜ気にするのか?これは自論なので勿論読んだ方はこんなこと気にする必要なんかない。私色に染まるな。
 
 
 
 
 
 

スーツには色々ルールがあって私もめちゃめちゃ詳しいわけではないが、当たり前にただ着ればいいというものではないよ。ということは知っている。流石に私の駄文散文noteを読める知的好奇心の高い(というか狂った)フォロワーの方々には、それくらいの知識を蓄えていらっしゃる方多数でしょうが。
そもそもすべての森羅万象公式からローカルに至るまで、それぞれにマナーがありルールがある。さらに言えばルールに至るまでには理由があり、歴史があり、そのルールや歴史に則ってわざわざ作り出したものがあり、しかし逆にそこに産まれた拘りがあり、拘ることにより愛がある。
私はそういうものの歴史や経緯や粋に弱い。だから先人が作ったものを尊重したいし、自然とそれをどう扱っているかを気にしてしまう。そんな私なので、結果、漫才師のスーツの着方についてもスーツの着こなしの歴史を尊重されているかを見てしまう。ルールに則ってしているのか?敢えて外しているのか?敢えて外しているのなら歴史や経緯をわかって外しているのか?そもそもわかってないのか?が気になる。そしてそれをネタを見るときに自然と気になる。気になってしまう。 
 
 
 
 
 
 
 

私が漫才を見てるときに一番多いと感じる気になる事というのは…。ややこしいな。私が漫才師の衣装の気になる事の中で、一番多いと感じる失敗なのでは?と思う着方というのは、という意。ややこしさは一緒か。兎に角、その一番やりがちな失敗事というのは、ジャケットの一番下のボタンを留めているということである!!
これはホンマによー見る。この失敗はスーツ着こなし初級編でやりがちであるのは分かる。分かるが、だからこそスーツを着るというときに一番最初に教えてもらうようなことでもあるのでは?と勝手に認識している。
なのにその初歩であるような部分で失敗していると、この人は自分が着るものに対してなんでそんなことも知らないのだ?愛着などないのか?と疑問に思う。そしてそのスーツの一番下のボタンを留めてジャケットを着ているのが、ツッコミだったとき「うわあ」とガッカリを通り越して引いてしまう。大シケ。
ツッコミとは元来間違いを訂正するという役目なのではないの?そんな役どころを仰せつかっている立場の人間が、スーツを着るときの初歩も知らないで何を我が物顔で人前でツッコミをしているの?もうそのツッコミの説得力は私の中でモロモロと崩壊し雲散霧消風化霧散南無三。以後そのツッコミの人がどんなツッコミをしてもスーツの着方が間違っている人間という場所に0地点が置かれ、少し自分が思ったツッコミと違うツッコミをしたり、また完全に間違ったツッコミをしたもんなら、それ見たことか!!!と針の筵のように冷笑冷視を刺しまくってしまう。
更にいうと、合ってるツッコミをどれだけしてもスーツの着方間違えてるけどな!と重箱の隅をつつくかのような腐った心で見てしまう。
本当に自分はやな奴やな奴やな奴!陰湿なジブリ。
  
 
 

ボケならまだいい。ボケはそういうキャラとして成立させる表現方法としてスーツの着方をプロデュースできる。常識からはみ出たいとか、人外的且つ退廃的なキャラを漫才で放出しているタイプとか、そういったときに演出の一つとして衣装の異端さで表現できる余地があるからだ。だからこそスーツの着こなしの着崩しを、知ってやっててほしものである。
だがしっかりとしたしゃべくり漫才のボケの人では残念無念また来週。それは衣装をしっかり着ることで一つの定義をこちらに何をのんべんだらりとまくしたてているんや?と申し訳ない。一声目でしゃべくりとわかった時からもうそれ以降ずっと入ってこない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

私は漫才を作るときに自分なりに設定の下調べをしたり、自分の使う言葉の本当の意味はなんだろうか?と考えたりして日々思考を回転させている。まさに微に入り細を穿つというものを体現し、練りに練る。(練りに練っているのは自分なりの尺度なので、足らなければ練り直すので言ってほしい)そういうつもりだ。
だからこそ表に出すときに、傍から見て無駄なところが無いか?もしあったとして無駄なところが気にならないくらいの状態で出せているのか?を配慮をして出しているつもりである。浅はかではあろうが努力は続けている。
そんな私のような考えの人間もいるだろうからこそ、衣装にも少しでも目を向けてほしい。見られて気にならないかと配慮してほしい。スーツの着方のことなんかちょっと調べたら出てくる。そんなちょっと調べたら出てくるような、そんな知識もちょっと調べようという配慮もない芸人が作る漫才の筋に、見ていて気にならさないよう見ているものを集中させる為の細かい配慮がされているのだろうか?
私は先行的にスーツの一番下のボタンを止めているかどうかでその芸人を識別してしまっているのだろう。
 
 
 

ネタの台本は3割以下なのだ。舞台上の笑いに対する影響力の中ではおそらく3番手位のもんで、ネタ台本は恐らく見た目、パフォーマンス等が与える影響力には及ばないだろう。勿論突き詰めれば素晴らしい台本もあるだろうが、やはりその台本をどれだけ乗りこなせるかが芸人の質というか他との個別化に繋がるのでは?と考える。
台本が単純明解でも、プレイヤーと相性が合ってパワフルなパフォーマンスができれば大きな笑いが生まれる。そんな芸人を何度も袖で見てきた。
台本は脳内の開放で、見た目とパフォーマンスは文字通り見られることへの表現方法である。台本は芸人が喋って客の耳に入って脳内で咀嚼するのに対して、見た目とパフォーマンスは出てきた瞬間に目に入り脳で識別する。スピードが違うからなのかもしれない。
その見られることに対する始まりが衣装であろう。是非一度衣装について調べてほしいね。
 
 
 
 
 

今回Mー1グランプリ2021 3回戦のYou Tube動画の思わぬ角度の「顔がどうのこうので笑えない」というコメントにより、今一度自分がどういうことを気にして漫才を見ているかを再考することになった。(もちろん自分がどう見られるかも考え直した)結果漫才を見つめ直すいい機会になり、細かい軌道修正ができた。そのポイントを与えてくれたあのコメントには感謝したい。恨んではいるが。
そしてどうかこのnoteを衣装ミスってる人にも届いてほしい。嫌ってもらっても構わない。少しでも脳内に入れといてほしい。そこから始まるかもしれない。変わるかもしれない。もし変わったなら、あなたの衣装が直ってそこが気になってネタが入ってこない人間が減るのだから。
 
 
 
 
最後に変な衣装の人間が言うなよ。という言葉を置いて終わらしてもらう。
読んで頂きありがとうございます。
 
 
 
 
 
 

 
 

サポートしてほしくない訳じゃない。サポートしてもらって素直にありがとうございますと言えないダメな人間なのです。