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#492 努力は才能ではないと言うお話

 努力という言葉の定義を広辞苑で引くと

目標実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。

と出てきます。

 私たちが自己成長を欲する時、そこには必ず「学び」が必要になってきます。今まで「努力が大切である」という価値観は学校社会のいかなるところでも言われてきて、それが当たり前のようになっていますが、もちろんその努力が学びとイコールであるならば、それは真理なのかもしれません。

 一方、今の教育の最先端の研究では、「学びを進めるためには、そのための環境が必要である」と言われています。努力は決して先天的な才能ではなく、彼らが育っていく環境が、努力という1つの能力を育んでいく。だからこそ、公の教育機関である学校は、児童・生徒に「学びを進めることができるための環境」を提供する責務があります。

「努力しない人」=「したくない人」? EXIT兼近「人によって努力の形や角度が違う」と言う記事を見つけました。

お笑いコンビのEXITがMCを務める番組で、「努力が出来ない人は、“努力したくない人”では?」と指摘するSNS投稿に集まった賛否の声について考えたそう。その中で、のりんたろー。さんは

「“努力が出来ない”ことの背景を考えてみることが大切だと思う。僕は兼近くんと出会う前は、彼のような環境で育った人の存在を知らなかった。自分がいかに恵まれた環境にいたのかを知らなかった。そうした事実に思いを巡らせるだけで、言葉のチョイスが変わってくると思う」

と答えています。

先日個人的に読んだ漫画、「ケーキの切れない非行少年たち」()にも、努力=学びを進められない人の背景には、それが当然だと思っている人たちには想像することがが難しいほどの現実が描かれています。

 自己成長するために学び(=努力)が必要であるという真理があるからこそ、誰もがその真理を追い求められる環境を整えることがとても大切であることを実感します。


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