声でみんな好きになってしまう

今日は朝イチからCMのナレーション収録でした。
お二方に読んでもらったのだけどどちらもとてもスムーズに完了。
私はものすごく通らない声で、全部空気に溶けてしまうので、シャンとした声の人は聞いていて気持ちがいいなあと思います。
帰り道に寄ったカフェでも、5つ話したうちの3つは聞き取ってもらえなかったなあ。
映画やMVの撮影現場でも、私の「カット!」の声が届かなくて終われないこともある。カット言ってます!カット言ってます!
ナレーターさんやタレントさんの鍛錬された声を聞いているのはもちろん面白いけれど、
私は基本的に人の声を聞くのが大好きで、声のことを考えていると全員好きになってしまう。
特に好きなのは声そのものというより、話し声のフロー。
話すときの声の波、抑揚やメロディのようなもの。
誰かのことを思うときは、顔や姿より声のフローで思い出します。
どんなタイプが好きとかもなくて、こんなに一人ずつバリエーションがあるなんて、どれも質感も粒感もリズム感も揺れもスタッカートも柔らかさも途切れ方も繋がり方も違うなんて、どうしたことだろう!
という感動でみんな好きになってしまう。

そんな時にはいつも、椎名林檎さんの「月に負け犬」という曲を思い出す。
歌の出だしが「好きな人や物が多過ぎて 見放されてしまいそうだ」という歌詞なのだ。そうそう多すぎるよね。
中学高校は軽音楽部だったので、バンドのライブでもよくやっていた曲。
私はドラムだったからこの歌詞を歌っていたわけではないけれど、このフレーズのすぐ後にドラムがバンバンバンババ!と入るので
そうそう多すぎる!という念を込めてシンバルを叩いていた。
今もそう思う。
ただ、私の場合は「見放されてしまいそうだ」ではないかもしれない。
「好きな人や物が多過ぎて」なんでしょう。
「全部やれないし自分が足りないし」かなあ。
それとも「全部はむりだから地球を踏み潰して踊りたい」かなあ。
全然曲のリズムにはまらないので却下するけど、
とにかく人間たちが話すフローがいくつもいくつもいくつもあって、
それが仕事中の真剣な声でも、ぶちぶち文句をいう声でも、酔っ払って乾いた笑い声でも、どれもどれもどれも良いので、
私ごときの心臓のキャパシティでは抱えきれないのです。

その抱えきれなさを、音楽にできた人はすごいな。
抱えきることも全員を撫でくりまわすこともできないので、
私はそれらを何に変換するかを今夜も考えます。
今の周波数に合う表現体をいつも探しています。
この変換の能力をもっとあげていきたいのだ。

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