オタク・ハイコンテクスト(8)

ビデオスターを殺したのは、インターネットだ。

僕たちはいつのまにか一人の、また一組の「スター」に熱狂しなくなった。
「個」の時代と言われ、それぞれがそれぞれの信じるものを信じるようになった。確かにそういう時代ではあるし、多様性が認められるようになった。

これまでTVショーを彩る様々なスターに「みんな」憧れていた。
人生のモデルとして、将来のモデルとして、皆の目標となるような人物や環境というものが、ブラウン管を通して全国民に共有されていた。

このトップダウン構造が、近年では少しずつボトムアップに変化してきている。インターネットの普及やアイドル化の間口の広がり、様々な要因によって「僕/私、僕/私たちの中の誰か、が活躍できるかもしれない」という希望で現代は支えられている。「スターやアイドルになりたいなら東京に行くしかない」という時代から「地方や地下で売れて東京へ」、「地方や地下で売れたら上等」というシフトチェンジが起こっているように感じる。また「インターネット上で売れる」という「地方」「都市」を超越した価値観も生まれている。

Youtuberがバラエティ番組に出る、つまり「インターネットで売れてマスへ」という現代的なステップアップを踏んでいる人物が何人かいる。テレビにとって「Youtube界からチョイスしたい何人かの人物」に選ばれているということだ。地方も都市も関係なく「個」がスターになれる、隣人がスターになる可能性があるのが現代なのだ。

一方で、「個」と「個」が相互に需要と供給を与えあうことも可能である。「自分だけのスター」を見つけやすい環境であり、また自分がその対象になる可能性もあるということである。そしてこの繋がりを複数抱えるというのがスタンダードになりつつある。ただし「個」が注ぎ込めるリソースには限界がある。繋がりを複数抱えるということはこのリソースが分散してしまうということに他ならない。「自分が信じるもののみを信じる」方が効率がいいのである。

つまりどういうことか。「信心はもう一箇所に集中しない」のである。
インターネットスターを殺すのもまた「個」だ。

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「成功」のハードルは遂に可能性のボトムを下回り「地方で生きる」という解答を見せた。ここから先に「成功物語」は存在しない。残るのはもがいた軌跡だけだ。僕がガールズラジオデイズに感じていた仄暗い違和感の正体はそれだ、と感じた。

「メイド喫茶でバイトを始めた」
「この活動をしていたことをAO試験の足掛かりにする」
「商店街の広報に就職する」

「ガルラジが(で)大きくなることそのものが目的ではないんだ」と気が付き、このラジオの世界が完璧に現代の空気感を反映していると感じた。と同時に安心した。大成しない事に対する救いだとすら思った。成功しなくてもコンテンツが成り立っているのだから。(※)

では「東京に憧れる若者」はどこに行けばいいのか?
「東京に行くこと」が絶対的な正解ではない現代で、何を信じて何を目指せばいいのか。僕たちはその大きすぎる未来の展望を、一人の少女に無責任に負わせてしまっていたのかもしれない。


(※)ガルラジに限らず現代の漫画、アニメ、ライトノベルは全体的にもやっぱりそういう傾向があるような気がしている。もう世相と言う他ない。

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irifunehiro

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