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寅年とカール・サンドバーグの詩

2022年の干支にちなんで猫のイメージがただよう詩をひとつ。

アメリカの詩人カール・サンドバーグ(Carl Sandburg, 1878 -1967)の"Fog"という詩です。

The fog comes 
on little cat feet. 

It sits looking 
over harbor and city 
on silent haunches 
and then moves on.

霧はやってくる、
小さな猫足で。

そっと腰を下ろして、
港と町を
見渡すと、
また静かに歩き出す。

『アメリカ名詩選』亀井俊介、川本皓嗣編(岩波文庫)

私にとって詩は自分を映す鏡のようなものだ。鏡といってもクリアではなく、霧におおわれたようにくもっている。だから自分の姿が映っているのかよくわからない。見なければ見ないですむことだが、そうなるとかえって見たくなる。詩は言葉の麻薬のように思われる。

サンドバーグの詩は初めて読む。詩人についての知識はまったくない。この詩を最初に読んだ時、何かが自分をおおいつくすような不安を感じた。これは私の印象であるが、詩人の意図は少し違う気がする。

その意図を知るために、Fogに関することとして1)詩人の背景、2)Fogの特徴、3)Fogの比喩表現を調べてみた。

1)詩人の背景
カール・サンドバーグは貧しいスウェーデン系移民の子として生まれた。13歳で学校をやめ、子供にできるあらゆる仕事をして家計を助けた。17歳で放浪生活(hoboみたいに)を始め、この時の経験から労働者や貧しい人々への共感が生まれた。その後、米西戦争の志願兵、ロンバードカレッジ入学、卒業後再び放浪生活を経て新聞記者になった。それから結婚して、妻と共に社会民主党員として働いた。
その後、移り住んだシカゴではPoetry誌が創刊され、詩はリアリズムの影響を徐々に受け始めていた。サンドバーグは「シカゴ派」の詩人で、その生い立ちや経験から労働者たちの共感者、代弁者として詩を書いた。そのため社会主義的な詩人、あるいは人生や社会の哀歓をうたう余情詩人と言われる。

2)Fogの特徴
各行が短いシンプルな詩で、"American Haiku"といわれている。次の引用から俳句の影響がうかがえる。

Sandburg was inspired to write it one day out walking near Chicago's Grant Park. He had with him a book of Japanese haiku, the short 17-syllable poems that capture essences of the natural world.

ある日サンドバーグはシカゴのグランド・パークあたりを歩いていて、この詩がひらめいた。その時、サンドバーグは自然界の姿を詠む俳句の本を携えていた。
                      
"Carl Sandburg And A Summary of Fog",Owlcation.com

3)Fogの比喩表現

この詩の比喩表現については次の二つの引用が参考になる。

This poem captures a little of this feline mystery. The reader's mind becomes filled with this dual imagery of fog and cat, fog turning into a cat, cat morphing back into the fog. By doing this, the poet is introducing the idea that the fog is alive and is an entity.

この詩では猫の不可思議さが生きている。霧がしなやかな猫のように動き、猫は元の霧の姿にもどっていく、この二つのイメージが読む人の心をおおいつくす。こうして霧はひとつの生命体のような姿で現れる。

"Carl Sandburg And A Summary of Fog",Owlcation.com
"Fog" by Carl Sandburg / カール・サンドバーグの『霧』

この詩はいわゆる20世紀初頭のイマジズムの流れに属するものですが、この比喩には優れた比喩がもっている「自然であること」「新奇であること」「直裁でわかりやすこと」などの特質が十分にありますそのイマージュを味わうことがこうしたイマジズムの詩のすべてだと言ってもいいでしょう。

三重大学教育学部英語科ホームページ(一部引用)

上記1)〜3)から次のことがわかる。

・この詩は私が感じたような不安を想起させるものではない。不安や不気味さを感じたのは、自分の感覚が詩とズレていたためである。その結果、詩を読むことが自分の心を読むことになってしまった。

・この詩は霧と猫のイメージが絡み合うことにより霧のゆるやかな動きを感じさせる。読み手も詩のゆったりとしたペースに合わせ読み急ぐ必要はない。急ぐとかえって詩の余情性をそこなう。

・『優れた比喩が持つ「自然であること」』に気がつけば、ひとつのイメージにとらわれてしまうという無意識のバイアスを避けることができただろう。しかし、心にある思い込みや偏りを常に意識しておくことはとても難しい。

こういう探りをいれることは大切なことだが、導き出されたものはたいしたものではない。なぜなら、Fogには毒がないからである。あるのは詩人の優しさ、おだやかさ、余情的雰囲気だけである。

ただ、ひとつ言えることは、詩が人の心を掘り下げる力を持つということである。これは、詩を読んで様々なことを考え合わせていく過程を経ないと実感できないことだろう。

年末のあれやこれやでとりとめのないものになってしまいました。みなさま、よい年をお迎えください。

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