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『授かり婚』激動の一年

今年ももうあと4日。
最後にこの激動の一年をまとめておきたいと思ってアカウントを作成してみた。

私は現在育休中で29日(あと2日)で8ヶ月になる娘がいる。

妊娠が分かったのは去年の9月20日。

前日は大学時代ダンサーになる夢をもってダンス三昧の毎日を送っていた時にチームメンバーだった風のナンバーに参加していてそのイベントを無事終えた後の事だった。

練習がある日は仕事終わり都内へ行き、帰宅前にワン缶して帰るのが至福だったのだがこの練習期間はお酒を欲さなくてコンビニで贅沢に瓶のコーラで乾杯するのが幸せだった。

当日の打ち上げも乾杯ビール2口呑んで、ヒソヒソとお水をのんで楽しんだ。

翌日、出勤してから二日酔いのような気持ち悪さと社内に漂うコーヒーの匂いで吐き気が止まらなくなり状況を後輩に伝えそのまま営業車で営業周りと併せて病院に向かった。

何となく、察しがついていたのもあって
産婦人科を選んだ。
生理が来なくなって2ヶ月以上経ってたから。
ドラストに売ってる検査薬は1人では怖くてできなかった。

初めて行く病院、馴染みのない先生、幸せそうな妊婦さん、不安で押しつぶされそうになりながら待合室で問診票を書いて待つ時間がとっても長くて長くて、気づいたら涙がでてた。
声をかけられて尿検査をし、すぐに診察室に呼ばれた。

“反応早いよ"
"妊娠しているね、おめでとう"

私は声が出なかった。

嬉しい気持ちと困惑する気持ち、彼氏に何て伝えよう、それから両親の事も考えた。

"ご結婚は?"
"今お付き合いしている方はいるの?"
"その方と一度話し合ってみてください"
“一回エコー見てみよう"
"今3ヶ月位だね"
“2週間後あなたの判断を聞かせてほしい。そして決意がついたらその時に母子手帳を役所でもらってきて下さい"

中絶の判断についても言われたけど、ほぼ耳に入ってきてなかったから覚えてない。

その日の仕事のパフォーマンスは最悪だった。
複雑な感情の入り乱れる中何とか理性を保ち仕事を切り上げて帰った。

帰る家は実家。
私は嘘がつけないバカ真面目な性格で全部顔にでる。最悪だと思った。

それからひたすら『授かり婚』について調べまくった。
色んな経験者さんの話を必死で探して色んな媒体で狂ったように検索してた。

鏡の前で裸になってみる。
周りから見たらまだ分からない。

そういえば上司に今年度一杯で退職を考えているといったはかりだった。
手当もらえないじゃん、どうしよう。
頭の中は感情を超えて現実的になってきていた。

違う、まずは彼に伝えなくちゃ。

そんな彼は同い年でいわゆる好きを仕事にしていたけど1年半交際する中で私との将来を見据えた事で転職を決め、現在勤める会社から内定を受け9月23日が退職日だった。
なんともタイミングがいい。
お疲れ様会をしようという事でこの日の夜待ち合わせをしていたのでこの日に伝えると決めた。

私が妊娠を知ってから3日が経った。
この孤独な時間、本当に辛かった。
伝える日は決まっているのに何も知らない彼に苛立ってLINEでしょーもない喧嘩をふっかけた私。

待ち合わせ場所でやっと会えた時、すごくホッとした。ハグしたかったけど、"あ 喧嘩中だ"って我に帰ってやめたっけ。
こんな時まで天邪鬼な性格どっかいっちまえ。

翌日から有給に入る彼は土日が休みになるから土日のドライブにむけて彼の住む実家に泊まる事になっていた。
いつも通りお話しながら歩いて向かおうとなったけど話したいことが全然出てこない。
顔を見ると涙が止まらなくなる。
だからずっと下を見てた気がする。
そんな様子だったから彼からすれば私がまだ怒ってると思ったんだと思う。
20分位歩いてから"ねえ、どうしたの?"って
そう言われて少しずつ頭の中で言葉をまとめて産婦人科に行ったら妊娠3ヶ月と言われた事を伝えた。

道路の真ん中。
雨が降ってた。

彼は本当に?って涙して痛すぎるくらい強くハグしてきた。
本当だよ。と返したらまた泣いてた。
俺パパになるの…なれるかな。
俺の奥さんになってくれる?
そんなことも言われた気がする。
安堵感で正直あんまり覚えてない。

それから今後の流れについて私が調べた事を彼に伝えた。

まずは自立できる事を親に証明しないと。
社会人3年目とはいえお互い実家で生活をさせてもらっていた身。
親に安心してもらいたい。
すぐに家探しが始まった。

親にはいつ言おう。
その後顔合わせ。
そしたら食事会を開きたい。
できれば食事会までに家を見つけたい。
入籍はいつにしようか、記念日がいい。
結婚指輪は一生のものだから焦って決めたくない。
出産予定日は2023年5月10日。

私は上司に退職の訂正をするため事情を説明した。
無事認められ産休を2023年3月18日から取得できることになった。

その後会社では部署編成が行われることになりその内訳データがメールで届いた。
エクセルデータを開くと恐らくメモで使っていたのだろう私の産休に関しての情報が2ページ目に記載されたまま公開されていた。
まだ安定期に入っていないのに、私の口から伝えるべき事をこんな不本意な形で全体に報告された。
目の前に座る上司と目が合い、"ごめん"と言われた。

産むと決意し、まずは安定期まで無事を祈り、ただただその日を待つしかないのに。
もしもの事があったらこの人たちに責任なんてとれないのにプライバシーもクソもない。

それを作成した別の上司と夕方同行があったのにその話を一向にしてこないので私から載せる必要があったのかと聞いた。
そしたら笑いながらミスだったと謝られた。

私は所謂断る事ができない、はっきりとした意思表示ができない癖、性格がある。
それ故にこんな対応をされる目にあったんだと思った。きっと甘く見られてたんだ。

そんなこともあり産休までの会社生活は心身共にストレス三昧となった。
お腹の子に影響がないようにとスルースキルと気持ちのコントロールだけは上手くなったと思う。

10月になり私が母と2人でカフェに行くタイミングがあった日に子供を授かり産みたい事と結婚したいことを伝えた。
その夜母に場を設けてもらい彼はスーツで実家に来て私の両親に報告をした。
彼の両親にも10月半ばに報告をした。
緊張どころじゃなかった。
重い責任を感じた。

以降12月まで悪阻がますます酷くなる中仕事、物件探し、家具探し、指輪探し、食事会の場所探し、分娩不可の産婦人科だったので分娩先探し、生命保険調べ、土日の休日は朝から晩まで予定ぎっしり。全部中途半端で決めたくなくてつめっつめの日々。

11月20日私の実家にて顔合わせ。
12月10日無事引っ越し。
彼の友人が手伝いに来てくれて本当に助かった。
12月17日両家顔合わせ。
1月9日婚姻届提出(記念日)
1月15日オーダーしていた結婚指輪受取

それから3月まで周囲のサポートありきでなんとか駆け抜け引き継ぎと担当していた営業先に挨拶を済ませた。

産休に入ってからは高校からの親友と旅行、産前マタニティピラティス、美容院、夫婦で行ける最後の温泉旅行、マタニティフォト、時間を気にせず友達と過ごせる最後の贅沢な時間を過ごした。

そして38週の検診をした4月28日の夜『陣痛きたかも』のアプリがまったく開けないうちに5分間隔の陣痛が起こった。
けど家に帰されるパターンだったら嫌だという理由で耐えに耐え翌日の2:00頃旦那さんが産院へ連絡・登録していた陣痛タクシーを呼んでくれたので産院へ向かった。

そして4月29日13:43に約11時間の陣痛を乗り越え2778gの女の子を出産しやっと我が子のお顔を見る事ができた。
また別の投稿でこの感動ストーリーを書きたいと思う。
一言で立会出産という選択が私はとてもよかった。

それから1ヶ月検診、3・4ヶ月検診、各種ワクチン、6.7ヶ月検診を無事にクリアし今12月27日に至る。

この激動の一年。

娘を育てるこの大きな幸せの中で抱えるリアルな奮闘。ふとした瞬間に自分を育ててくれた両親へ感謝の気持ちが溢れる瞬間がある。


『授かり婚』私は幸せです。


私が中学生くらいの頃は『出来婚』と言って
マイナスなイメージがあった。
でも今は『授かり婚』と世間から認められてる感がある。
この景気で費用対効果なんて考えたらきっと子供なんてつくれません。

この一年夫婦ともども駆け抜け
お互いやれる事をやって過ごす毎日。
旦那よ、まじで毎日ありがとう。
2023年思い出いっぱい!
この思いを抱えて新年を迎えたいと思います。

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