初恋の残り香

香りに恋をして
「あのときの、おもかげの香りが私の道標だ」全てのはじまりは、幼い頃手に取った一冊の本でした。お香初心者による、お香を巡る冒険の記録。

──香りに、恋をした。今は昔。平安時代中期に誕生した、長編小説『源氏物語』。この物語の第3部に登場する、ある不思議な体質を持った青年・薫。彼が、私の(ある意味での)初恋のひと。ミーハーなオタク少女が、香りに興味を持つ、最初のきっかけとなったひとである。

初恋の残り香

私が子供の頃、母が図書館である漫画を借りてきた。 漫画のタイトルは、『あさきゆめみし』(大和和紀著)。源氏物語を細やかな筆致で描いた、不朽の名作少女漫画である。

それを貸してもらって読むうちに、私は、華やかな主人公・光源氏の影で、懊悩する若い女三宮や柏木。そして、特に、そのふたりの子供である薫に惹かれ、彼の登場する物語後半が特に好きになった。

惹かれた理由としては、薫のどこかあどけなく、物憂げな容姿への憧れや、その厭世的な性格への共感も挙げられる。しかし、何よりも私の胸を騒がせたのは、目には見えない、彼の類稀なる、その体質。

この陶然とさせる妙なる香りは、彼がゆくところどこにでも漂い、はるか離れた場所まで届きますから、まさに「百歩香」です。(〜)あの庭のプラムの花も、カオルの袖が触れればたちまち香りを変えます。

紫式部『源氏物語 3』A・ウェイリー版,毬矢まりえ・森山恵姉妹訳 左右社

古今和歌集にある、「色よりも香こそあはれと思ほゆれ (…)」の歌のように、「目に見える姿形よりも、目に見ることのできないものの方が、より愛おしく、切なく感じる」。そう、私は彼自身の姿形よりも、その〈香り〉に、恋をしたのだ。

川から漂う水の香り、儚い草花の香りとも、きっと違う。薫の、花々を、世界を、魔法のように変えてしまう香りは、 どんなものだろう。未知の香りに対する憧れはやがて、「香りに、〈香〉の世界に触れてみたい」という思いに変化していった。

しかし、当時の私には、生まれ育った村が世界の全て。この源氏物語をはじめとした、さまざなまな物語の中で、貴族や武士、裕福な商人によって展開される香の世界は、そんな田舎での生活、一般庶民である私とは、まったく縁遠いもの、手の届かない、釣り合わないものに思われた。

おもかげを求めて

初恋は、どうせ叶わない。私は、憧れた香の世界に触れることはきっと難しいと、ただ本を読み、庭から部屋へ吹き込む身近な香りなどと照らし合わせ、想像して楽しむだけに、気持ちを留めてしまった。

だから、進学を機に、田舎から東京に出ても、〈縁遠いもの〉という、香に対する意識はあまり変わらず、本から得た知識を除き、香とはほぼ無縁の生活を送っていた。

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─大学を卒業する年。ストレスで心身ともに体調を崩した。理由は様々、卒業制作、アルバイト、就活。何を食べてもろくに味を感じない。身体が思うように動かない。レールの上を進んでいたはずが、突然けもの道に迷い込んでしまったような気がした。そんなボロボロの私が縋ったのが、やはり香りだった。

ふと目に入って参加した、アロマルームスプレーを作成するワークショップ。なぜ「香りに触れることは不釣り合いで恥ずかしい」と、あんなにも頑なだったのに関わらず参加したかは、色々後付けの理由は考えられるけれども、もう苦しかったあの時の記憶と一緒に殆ど忘れてしまった。

そこではじめて、植物から取られた精油の香りを嗅いだ。驚いたことに、落ち着いてよくそれらに意識を傾けると、まるで香りに人格があるかのように、その姿が浮かぶ。語りかける言葉さえ、聞こえてくるように感じた。

私は、そのとき、「香りが好き」という気持ちでいっぱいになって、香りが語る言葉を、紙の上には収まりきらない物語をもっともっと聞きたいと思った。

ずっと、好きなものと向き合うのが怖かった。好きなものを、そして、好きなものに、否定されることが怖かった。好きだから、好きだから。耳を塞いでしまっていた。「私には不釣り合い」と勝手に言い訳して、遠ざけていた。けれど、ワークショップでは、誰もが誰もを非難することはなかった。十人十色の香りが、人それぞれがありのままでいられる空間を作っていた。私は、その空間に受け入れられたことで、香りにも受け入れてもらった気がした。

そこからは、大学を卒業するまでの間、今までが嘘のように香りに触れるようになった。きっかけとなったワークショップの場に何度も参加し、アロマテラピーの検定・資格試験も受けた。そして、その中で、一方通行に知識を増やすだけではなく、それを大いに身近なものとして楽しむことを知った。

憧れであった香席もはじめて体験した。その場には、衣冠束帯の人も、女房装束の人は、誰もいなかった。当たり前だ。一般庶民だって、香を楽しんでいい。今は昔とは違うのだから。恥ずかしいからとしていた言い訳は、我ながら苦しい言い訳だったと、私だって、本当は最初から知っていた。

今、私はかつて村だった小さな町にいる。その小さな部屋に漂うのは、川の香りや草花の香り。そして、さまざまな香の薫り。それらに包まれながら、梅の花に、藤袴に触れた人の、いまだ未知の、不思議な薫りを思う。あのときの、おもかげの香りが私の道標だ。

蛇塚 巴詠
群馬県前橋市生まれ。服飾系大学を卒業。在学中の就活疲れや、就職した会社と合わず、メンタル面から体調を崩していたときに「文学」と「アロマテラピー」に心を救われる。現在は仕事を辞め、東京から「水と緑と詩のまち」にUターン。スローペースでアルバイトやボランティア活動をしつつ、香やアロマテラピー、文学、歴史について勉強中。

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