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ウズベキスタンで日本語の先生をした話

間のストーリーがかなり抜けていますがせっかくなので「今」を書きます。

ウズベキスタン滞在8日目、首都タシュケントからさサマルカンド、ブハラと順番に列車を乗り継ぎ進む。

ブハラがあまりにも居心地よく、1週間ほどここに居ようかと思っていたさなか、ふと地球の歩き方を久しぶりに読んでみると、「東のフェルガナ盆地には旅人が代わる代わるボランティアで日本語を教えている学校がある」という情報が。

なんだそれはおもしろそ〜〜〜〜ということで、“まるでドラクエの世界”と噂のヒヴァを諦め(後で超後悔するけど)、一気に東、キルギスとの国境付近の街「リシタン」まで行くことにした。

リシタンは、陶器の製造で有名な街。ブハラから夜行で8時間半かけてタシュケント、首都タシュケントから列車で4時間(一番ランクの低い席で約5ドル)のコーカンド駅から、バザールまでタクシー15分(6ドルから値切って1ドル)、バザールからシェアタクシーで1時間(50セント!安!)ほど。

現在は街開発の真っ只中といった様子で、どこもかしこも工事工事工事……日本のイメージではなく、土を積み上げ、レンガを積み上げ、コンクリートで仕上げていく工事なので土埃がとてつもない。(鼻炎になった。)

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4万人だった人口も、この1年で2倍以上になったそう。数年後に訪れたら、またまったく違った景色になっていると思う。
そんな街の中で、大崎さんという日本人が現地の陶芸家の方と1999年にお金のない子供達の為に始めた学校が『NORIKO学級』だそうだ。


ノーアポイントメントだったので、ダメで元々という気持ちでまず窯元を訪問する。恐る恐る教室をのぞくと、元気な声で「こんにちは!!!!!」
10名ほどの子供達がいる中で、11歳の男の子が、先生となり日本語を教えている姿があった。

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この教室は子供達が自主的に勉強をする「自習室」として使われており、メインの教室と宿泊施設は少し離れた「ユースセンター」にある。

ということで、移動。

徒歩30分の距離なのでのんびりと歩いていると、観光客が珍しいのかすれ違うほとんど全ての人が話しかけてきてくれる。中には車からわざわざ降りてきて記念撮影して去っていくご家族もいた。相変わらずすごいぞウズベキスタン。

結婚式の披露宴を行なっている会場の横を通った際には(予感はしてたけど)挨拶だけに止まらず中まで引き込まれ、結局食事をご馳走になりまたもや300人くらいの前で自己紹介することに。さらには踊ることに。まだnoteでは書いてないけど、結婚式披露宴は既に2度目なのでもう勝手は分かっている。剛に入っては郷に従えなので大暴れ。汗だく。いつのまにか色々着せられてポケットには大量のおひねりが。なんとブハラからリシタンまでの移動費用分、さらにキルギスの国境まで行けるくらいには稼げてしまった。ありがとうみなさん。ありがとうウズベキスタン。

そして本来30分の道のりが3時間かかりユースセンターへ。中には40人くらい、9歳〜26歳まで、幅広く生徒が居て活発に日本語を学んでいた。すごい!

この日はもう授業も終わりの時間ということで、校長先生のお家で夕飯をいただき就寝。翌日、まずは9時〜11時の午前の部、初級クラスを担当させていただくことに。

教室に入ると、すぐにみんなが自己紹介をしてくれる。その後ひらがなとカタカナの読み方、書き方をひとりひとりの修練度に合わせて教えていく。「せんせい!」「せんせい!」の嵐。先生はいつも1人居るか居ないからしいので、こうやって「リアル日本人」が来た時が最大の学び時のよう。待っててくれたんだねありがとう…!という気持ちになる。つい最近、世界不思議発見にも特集されたとか。

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乾燥していることもあり、2時間で喉はカラカラになりました。

ウズベキスタンは、公立の学校が午前の部と午後の部に分かれていて、基本的に学生はどちらかにしか参加できないみたい。生徒の数が多すぎて、終日だと学校に人が溢れちゃうんだって。(そんな!)だから、午前中にふつうの学校に行ってた子達は、午後にこの場所に日本語を習いにくるし、午後からが学校の子達は午前中に来ているそう。とても勉強熱心で驚く。18歳にもなると、ウズベク語、タジキ語、ロシア語、英語、日本語と5ヶ国語話せるような生徒も数名居て、本当に凄いことだと思った。彼らの夢は、「日本でITの勉強をしてウズベキスタンと日本の架け橋になりたい」「日本で介護の勉強をしたい」「日本で種苗について学んで、ウズベキスタンの農業をもっと発展させたい」と様々。確かな目的意識があるからこそ、しっかりと学び、「使おう」とする姿勢にグッとこないわけがない。

お昼休憩を再び校長先生のお家でいただく。窯元の見学も一緒にさせていただき、もう一人の日本人の方を迎えて14時〜16時の午後の授業へ。

午後は、初級〜中級クラスを担当。引き続きひらがな、カタカナの読み書きと、日付の読み方について教える。「1日」でも「いちにち」「ついたち」と二種類の読み方をする日本語は複雑だ。「2つ」は「につ」じゃなくて「ふたつ」だしね。

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彼らはかなり喋れる中級〜上級クラス。

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名前がわかるように、名札を作って席に置いておいてくれる。

夕飯の後は、半年以内に日本への訪問を控えている中級クラスの子達数名と19時〜22時半まで夜のお勉強タイム。ほんとうに熱心。「あれ」「それ」「これ」の違いや、料理のレシピを元に「少々」のサイズ感とか、「水を切る」という概念、「煮る」と「茹でる」の違いとか、細かいニュアンスについての質問が続きあの手この手で伝えていく。

正直、午前中に始めて「先生」をした時は、一度なってみたかったけど自分には向いてないなぁ〜!と思った。「教える」って難しくて。けど、午後、そして夜の学習サポートを経て、教えたことをどんどん吸収していく姿に魅力を感じるようになった。やはり何でも一度やってみないと分からないものだなぁ。

 先月半ばから、向こう1年間日本語を教える予定でウズベキスタンに来た元中学校教員の方もいらしていて(もちろんボランティア!)アジアのど真ん中で、善意のバトンが続いていくのをこの目で見て、体験することができて、来て本当に良かったと思いました。

ありがとうリシタンのみんな!Noriko学級のみんな、校長先生ファミリー。みんなの未来を心から応援しています。

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※ボランティアの方、なかなか長期滞在でいらっしゃる方は少なくいつでも募集中とのこと!興味のある方は是非長期での滞在もご検討ください!


わたしは明日から、キルギスに向かいます。

はじめての陸路国境越えです。ワクワク。

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(校長先生のお家で約1ヶ月ぶりに飲んだ味噌汁。というか味噌のお湯とき汁、だったけど美味しかった。)


ではまた!

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