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君たちはどう生きるか感想(ネタバレあり)

はいはいはいはい今回は流行りものですよ!!
とはいえ今までジブリの作品は
5歳の頃のトトロデビューに始まり、
全作品網羅しているガチジブリ好きなので
生半可な気持ちで「なんか面白かったでーす☆」みたいなものとは違うのでその点はご安心いただきたい。


結論だけ先に言うと
マジで良かった。

本当に良かった。
1秒も退屈しなかった。
めっちゃ面白かった。
駿本当にすごい。
本当にエンターテイナーだと思った。

(あ、ちなみに私は駿の作品とともに人生を歩んできた感があるのでリスペクトを込めて宮崎駿のことを駿と呼ぶからね。
ごめんね。
オタクってそういうものだからね。)


昨日観に行って今もその余韻がうっすら残ってる。
「私はどう生きるか」をほんのり命題として差し出され、その答えまでもらったような気分だ。
メンタルコーチとしても、色々受け取ったし考えた。
とっても大切にしたい作品のひとつになった。


ネタバレなしでどうしても言いたいことがある。それが、

全部秘したの、キャリアの正しい使い方すぎ大英断


まず思ったのは、
駿の殿様商売なんかじゃない。

本当にストイックに「そこまでやる??」というくらい細部にわたって
凝りに凝って作られたものなことがわかる。
そういう「ド変態」な力の注ぎ方、
「神は細部に宿る」という言葉をそのまま体現するような作品作り込みでジブリが大好きなんだけど、
今回も描き込み、音響、脚本、設定、全てに神が宿っていた。

プロデュース面で言うと、鈴木さん、
今回、全てを秘したの大正解。
なのでまだご覧になっていない方は私の感想なんて読んでる場合じゃないから急いで劇場に走ることをお勧めする。
何の前知識もない方が絶対にいい。

というか、全ての作品が実はそうなんだと思った。
この作品はどういうものなんだろうって何も知らずにワクワクしてページをめくったり、
再生ボタンを押したり、足を運んで手に入れたものは誰の手垢もついていない私の宝物になる。
そのことに気づかせてくれた。

でも商売なので、知名度がないとそれは難しいのも事実だ。
何も明かさない、見るまでは何が何やら、好みかどうか、どんな話なのか、まーーったくわからない状態でわざわざ劇場まで観にいくなんて、
そんな徒労になるかもしれないこと、無駄なこと、
この容易く情報と感動を手に入れられる時代の人はほぼ選ばない。
無駄なことを極端に嫌う時代だから。
となるとその興行は失敗だ。二度目はない。

宮崎駿と鈴木敏夫くらい期待を大きく超えて、超え続けてきた人しかそんなギャンブルは無理だろう。
だからこそ、そういうギャンブルをしたんだな、カッコいいぞ……!!
と私は何度も内心スタオベした。

全身全霊で素晴らしいものづくりをしてきた人たちだ。
面白いこと、エンタメであることを究極に追い求めてきた人たちだ…!!
って感激した。
なんだか、とっても「侍」だと思った。
毎日毎日細部にこだわって技をふるい、勝負する時は一気に例のない恐ろしいことをする。
カッケーーーーーー侍、カッケーーよーーーーというのがプロデュース面の大きな感想だ。

(推しがプロデューサーなのでこういうプロデュース面での良さもめっちゃ琴線に響いちゃう。最高)



ということで、今回の作品をとにかくめっちゃ秘した駿と鈴木さんと
ジブリの心意気に配慮し、以下ネタバレをガンガンに含むので
下にスクロールしないと見られないようにしておきます。


とにかくこんなところでしこしこ
「どんな作品かリサーチしてから観に行こう☆」

と思っている人はなんでもいいからとにかく劇場に行け。
何度でも言うけどとにかく前情報なしで観ろ。
その「経験」込みで駿はプレゼントしてくれてるんだから。

40秒で支度しな!!





ということで、それでもいいよー
ネタバレあっても読むよーーーー
観に行ったしねーーーーー
という方々は下にスクロールして読んでください。

あ、今観に行け!!!って怒鳴られて怖くなっちゃった人も
観た後に読みに来てね?
絶対だよ?読んでほしくないって意味じゃないからね??
観た後読んでぜひ一緒に答え合わせしよ?
いや答えなんてどうでもいいんだけど。

そうそう!
私は原作の方は読んでいないので、原作と矛盾があったり、
原作で何か言及されていることを書いていたらごめんね。



しつこい?
前置きしつこすぎ??
だよねーーーーー

ということで以下スクロールしたらスタートします!










感想スタート!!



ストーリー雑感

実は別に難解なストーリーじゃないし、多分わかる人にはすぐにストンとわかる。
思考優位の人より感覚優位の人の方がわかりやすいかも。

「こういうの嫌だよねえ」
「こういうことだよねえ、いいってこういうことだよねえ」
「かわいい人ってこういうことだよねえ」
「人ってこういう理屈にないことしたりするよねえ」
「必死になった人ってこうなるよねえ」
「こういうところが人生なんだよねえ」

という感覚を言葉がなくてもシェアできる人、
そういう感覚をビシビシに浴びたい人はぴったりだと思う。
逆に、言葉で説明されて万事納得したい人には不向きだ。

序盤は正直奥さんが亡くなってすぐその妹と結婚して子供まですでにこさえている父、
おい、父……!!!って思ったし、
「使用人に人力車漕がせてその後ろで日傘をさしている
骨の髄まで富裕層な母とそっくりな妹」が出てきてひっくり返った。
めちゃくちゃ嫌だった(笑)

でもまあ最後まで見ると、要は必要なのは眞人で、眞人を呼ぶために父も呼ばれたんだな、ということだと思ったし、
あのわけわからん恐ろしい名家を継いで守っていくの
めちゃ大変だし面倒くさいだろうに
シャンシャンやりそうなエネルギー溢れて家族愛がすごくて
ちょっとアホな父が愛おしくなってきた。
まあ、父、頑張れよ(笑)



みんな愛おしい

という感じ方の変化に代表されるように
この作品の本当に素晴らしいと思ったところは、
出てくるもの出てくるもの最初は全部気味が悪いのだ。
だいたい第一印象は「うわ怖」である。
でも、最後まで見終わった時1人残らず愛おしい。
1人1人に必死で可愛らしいところがあって、スーパーヒーローは1人もいない。

お屋敷のおばあちゃんたちも、
ワラワラも、
夏子も、
大叔父も、
青鷺も、
ヒミも、
インコも、
全員最初めちゃくちゃうさんくさい。
めちゃくちゃ敵の出方をしてくる。
(インコに関してはマジで敵なんだけど)
心を許してはいけないと本能が警鐘を鳴らす。

でも終演後には全員微笑みが溢れてしまうほど愛おしい。
あんなに邪魔だったインコとペリカンすらも。
こういう見せ方、ハウルの荒地の魔女とかもだけど本当に上手だよなあと思う。


全然解かない、それがいい

全体的な仕掛けの仕方、
その仕掛け全然解かないじゃん…!っていうじらしまであまりにも良い。
キリコの名前が出てきた時には震えた。
勘のいい人は声で気づくだろうけど、こういう時勘が悪くて良かったと思う。めちゃくちゃ楽しめる。

どうしてこうだとかこの時のこの人の記憶はどうでここで辻褄があってとか多分駿の中ではあるんだろうけど、
そんなことを理解しようと動くよりも、
「うわ、ここでこことこれが繋がるんだ、わああ説明ないけどそういうことじゃん、うわあああうわあああ」
と思ってずっと過ぎていく。

でもその「うわああ」すら別に確信はない。
なんならSNSで呟いたら「それ違いますよ」警察に絡まれてしまいそうなくらいフワフワしている。

でもなあ。
作品鑑賞ってそういうことじゃないじゃーん!!って思い出させてくれた。
自分の感じたものがすべてだ。

あのタバコのおじさんの近くで寝ていた方って何だったん??
というように、全然解けてないこともいっぱいあるんだけどまあいい。
作品の楽しみ方って、そういうことでいい。



産まれることとペリカン

以下私の解釈を書かせていただくと、
ワラワラははらわたを食べてまん丸になり、空を飛んで
「人間として産まれる」。

螺旋を描いて空に昇っていく様はどこかで見た仏教の輪廻転生の絵のようでもあるし、
DNAのようでもある。
ワラワラの姿が卵のようであり、海で満ちた「下」の世界は子宮のように見えた。
そんな世界から産まれてくる人。涙を流すキリコ。
感動的なシーンだ。

そこに突っ込んできてワラワラを食べてしまうペリカン。
飢えて飢えて仕方なくて、魚も採れないから稀に飛ぶワラワラを食べるしかないペリカン。
けれどワラワラを守るヒミに焼かれてしまい、あの老ペリカンのように命を落とすこともある。
言ってしまえばただの食物連鎖だけど、
ここに何とも言えないグロテスクなメッセージを感じた。

赤ちゃんはコウノトリが運んでくる。
コウノトリとペリカンはちょっと似ている。
けれどこの世界のペリカンは赤ちゃんを運んでくる手助けをするどころか、その素となるものを食べないと生きていけない。
食べに来ると焼かれる可能性があっても、
「連れて来られてしまった世界」で、そうしないと生きていけない。

他の生き物のはらわたを食べて飛び、人として産まれるワラワラ
ワラワラを食べないと生きていけないペリカン
うっすらと脳裏をよぎるコウノトリ
作品全体のテーマである「母と子」
鳥たちは人間すら食べるくせに「赤ちゃんのいる人間は食べられない」という言葉
秩序があるようだけど、その秩序って一体何なの?という疑問が何度も浮かぶ

こういう気味の悪さが随所にちりばめられた作品だ。
それすらも長く何かを感じ、考えられる要素であり、
こういう気味の悪さは嫌いな人も多いだろうが、私は好きだ。
そのグロテスクな様が、というか、
そういうグロテスクなもので世界は成り立っているのかもしれないし、
実は機能不全で全然成り立っていないのかもしれないとか
色んな事を考えることを観客にゆだねてくれているから。



積み木

「そんなものでこの世界を」というような意のことをインコ大王が言っていたけど、
正にそれだ。

あんな、不安定で、何の理屈もなく、何の説明もできず、
「これで世界が成り立っているんですよ」ということに到底納得できないようなもので
実は世界は成り立っているのかもしれない。

あの積み木は「観念」だと思った。

世界がどうやって良くなっていくのか、
どういう積み木を積み上げれば、どこで支えれば、どういう手を加えればなんて誰にもわからないのかもしれない。
全員の意図が「世界を良くしたい」であったとしても、
それぞれが持ち寄ったものが奇跡的に全て正方形だったりしなければ、
そんなことは成り立たない。
そんなことはあり得ない。
丸の人もいていいし三角の人もいていい。
でも、それではダメなのだ。崩れてしまう。
でもダメではないのだ。色んな考え方があっていい。
でも………の無限ループ。


世界ってとっても不安定だ。
ああ、怖いくらい不安定なのかもしれない。
そしてそれは本当にどうしようもないのかもしれない。
って背筋が冷えた。

これまで生きてきた36年の人生の中で、
あの積み木のような何の理屈もない力で大切にしていたものが崩れ去った経験が何度かある。
それはものでもなければ環境でもなくて、
上手く説明できないけど確実に失われた何か。

他人にテーブルごと両断されることで世界が真っ二つになるあの感覚。
大切にしてきたのに。
何年も大切に守ってきたのに。
こんなに小さな積み木だけど、あんなに大切に守ってきたのに。
そんな、いつとも明言できない人生に何度か訪れた絶望を思い出して今これを書きながらも目の奥が熱い。

この感覚、多分わかってくれる人の方が少ないと思うけど、
この辺の感覚は見るたび変わるのかもしれないから、
今後の人生でまた観るのが楽しみだ。



めちゃくちゃ泣いた

これも書いておきたい。
私はめちゃくちゃ泣いた。
なんならちょっと嗚咽していた。
誰も泣いてなかったので恥ずかしかった。


私の涙腺に唐突に刺さったのは、
ヒミに作ってもらったパンを眞人が食べるシーン。

とんでもねえ量のジャムとバターのパン。
「そのバターは2人分ですよね?その量まさか1枚につけないですよね?
エエエーーッ!!!
塗った挙句さらに足したけどこの子は正気か??」

と思ったら更にパン本体よりもうず高くジャムを乗せたから恐れ入った。

こんなもん食べれないだろと思ったら、
この瞬間眞人の顔が小さな男の子になるのだ。
そして、顔じゅうをジャムにして「おいしい!」と言う。

これを食べて美味しいと思うくらいの味覚の頃に、
母であるヒミに作ってもらったのかと思って、唐突に鼻がツンとなった。

眞人が「ずっとせんにお母さんが作ってくれたパンみたいだ」と言うので
私の涙腺はここで一度決壊した。
ジャムパンをがっつく子どもと母。
子どもの顔じゅうのジャムをぬぐってあげる母。
そんなもん愛の姿すぎるじゃないか。


更に、
ヒミの「火は大丈夫だ。素敵じゃないか、眞人を産むなんて」というセリフ。
これ本当にすごくないですか?


母を失ったことで大きなトラウマになった病院の火事。
そんな一生引きずること確定の壮絶なトラウマだったものを、
幼い母の笑顔とカラッと明るい言い方で眞人の心は救われたと思う。

眞人は今後火事のことを思い出す時、
火事の恐ろしさは消えないだろうけど、
ヒミの「火は大丈夫だ」の声を同時に思い出すだろう。

「素敵じゃないか、眞人を産むなんて」という最高の自己肯定と共に。
こんな救い方があるのかとボロボロ泣いてしまった。




音響とんっっっっっでもなくいい

さすが久石譲。
劇中曲もさることながら
本当に本当に本当に自然音が見事!!!!!!!!!!!!!!
特に前半。

自然音の部分は久石譲はタッチしていないのかな?わからないけど、
とにかく音響が鬼。バカ。こだわりがバカ(笑)

私はあのお屋敷があるあたりの自然の環境に近い田舎に住んでいるので
リアルに毎日聴いている音なんだが、
木々の葉の擦れる音や、水の音、土と草を踏んだ音、
その比率による音の変化、
更に空気自体がサクサク鳴っているようなあの何とも言えない
「田舎の音」。

そしてその遠近感がすさまじかった。
遠くのものはきちんとその距離に応じた音で聞こえる。

そのクオリティがあのモリモリファンタジーな後半も続く。
あの非現実世界の石の通路ですらそうだった。
本当にどうやって録音したの??って何度も思った。変態の仕業だった。

個人的に一番の「映画館で観なさい」ポイントだった。




駿全部詰め

最後にここに触れておこう。

私が「あー、これこの作品かな」って思ったのは覚えている限りでも
ナウシカ、ポニョ、千と千尋、もののけ姫、耳をすませば、
ハウル、風立ちぬ、トトロ、マーニー
順番に意味はない。思い出した順に書いた。

今までの作品で触れてきたことをもう一度棚卸してエッセンスとしてちりばめました。
みたいな気迫を感じた。

駿はコダマ再利用したり
「こことこの世界の関係性は~」みたいに解説していることもあったり、
作品をひとつひとつ完全に分断して作るタイプのクリエイターではないけど、
今回は本当にたくさんの作品のエッセンスを感じた。

更に前半と後半監督変わりました?問題

全然問題じゃないんだけど(笑)
前半はじっとりと肌にまとわりつくような田舎の空気とずっと漂う監視されている嫌な感じ
後半はファンタジー冒険ポップ⭐️インコ添え🦜
みたいなメタモルフォーゼである。

でも駿の作品ってこういうところあるよねえ。
「うわ本当に1人の監督の中の宇宙ですか?」というあの感じ。
ものすごく精緻な積み重ねと、多分全て駿の中で合点がいっていることなので生まれる説得力。
そこに翻弄される喜び。


あらゆる意味で
「今までの作品でやってきたことそのまま出力100で振り切りました」
みたいな全部詰め感。
潔い。

それでいい、それがいい。

本当に観てよかった。
これからの人生で折に触れて振り返りたい作品だった。

あのグロテスクでどうしようもない人生賛歌が、
必要になる時は多分また来る。




ということで気付けば6000字も書いてしまった。

「ここの描写の回答はこれで~~」みたいな
解説的な感想を求めていた方がいたらすいません。
私のアンテナで感じ取ったものを、
昨日観てきた鮮度と共にお届けした感想noteでした。





普段はメンタルコーチやってます。
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