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ふるさとコンプレックス

自分には、ふるさとがない。

こんなことを言うと、地元である東京・町田の友人たちの反感を買うかもしれない。けれども、これが素直な気持ちだ。

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特に社会人になってからだったか。
自分にはふるさとがないんだ、と感じはじめた。

お盆や年末年始が訪れると、周りの同期や社員たちが遠いふるさとへ帰省する。再会したときに話を聞くと、地元の友達と毎年決まったように集まり、互いの近況報告をしたり、決まった場所へ行くのだという。「帰るべき場所がある」「会う人がいる」というのは本当にかけがえのないことだ。

かくいう自分にも、町田に実家はある。帰れば両親が温かく迎えてくれて居心地がいい。姪っ子甥っ子も懐いてくれてる。最高だ。ただし、実家は自分の思うふるさとではない。自分の中でふるさとは、単位が町なのだ。帰りたいと思える町、そう定義している。

幼稚園から大学までを過ごした町田という町には、思い出はたくさんある。特に高校時代は毎日のように部活に明け暮れて、終わった後は近くのコンビニの前でたむろし、仲間たちとたわいもない会話をした。最高の青春時代を過ごしたと思っている。町だって、時間の経過とともにちょっとは変化したが、当時の面影がなくなったわけではない。慣れ親しんだお店もまだ残っている。

それなのになぜ、町田をふるさとと思えないのだろう。

ひとつに、中学生以下のときの友人との関係の希薄化があると思っている。なんでこうなってしまったのか自分でもわからないが、当時の友人とは高校に入って以来まったく連絡をとらなくなってしまった。

確かに当時はまだ携帯電話を持ってなかったけど、それまでだってその上で遊んでいたわけだから、それは理由にならない。

おそらく、自分から離れてしまったのだ。

無意識に自分の交友関係をアップデートしたくなってしまったのだと思う。簡単に言えば、それまで内向きだった交友関係を外向きにしたかった。放課後いつも同じように友人宅に行きゲームをして帰る生活から変わりたかった。

小中ともに市立の学校に通っていたので、友人もみんなご近所さんだ。友人と一緒にいるイメージが湧かない町は、ふるさととは思えない。

もうひとつは、町自体の魅力、だと思う。町田は便利だ。この町にいればわざわざ都心に出なくてもたいていのものは揃うし、横浜方面へのアクセスもいい。生活する面でも遊びの面でもまったく問題ない。

ただ、町田には独特の胡散臭さがある。売っているものもどこかニセモノくさい。それがかわいらしいとか愛着が湧くものであればいいのだが、自分にとってそうはならなかった。学生時代に些細なことだけれども裏切りに何度か会ってきた。治安が悪くて嫌な思いをしてきた。それが起因しているのかもしれない。

ここまで言っておきながら、自分の中には確実に町田っ子のDNAが流れている。幼稚園から大学という時間をすべて過ごしてきた町なのだから当たり前だと思っている。だから、もう少し時間が経てば、町田をふるさとと思える日が来るのかもしれない。それがいつなのかは今のところまったく見当がつかないのだけれど。

ただひとつ、確かなのは、それは町田から歩み寄ってくるものではなく、自分から歩み寄った結果だということだ。

要は、友人にせよ町にせよ、「自分が受け入れられるか」ということなんだと思う。何様だよと思われるかもしれない。申し訳ないけれど、言わせてほしい。そんなことは自分自身がいちばんわかっているのだから。自分がそんなだから、見えてないものがたくさんあるんだろう。

この秋、広島の尾道に移住する。物心ついてはじめて、東京を出る。尾道ははじめて「暮らしたい」と感じた町だ。そこに無意識に自分のふるさとを作りたいと思っている。

ここまで書いていて気がついた。

ふるさととは、あるものでも求めるものでもなく、自分から作るものなのかもしれない。


10年先、20年先、未来の住民のために木を植えます。