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値切る、ということ

自分の利害のために、誰かが大変な思いをするようなことはしたくない。

多くの人がそう考えていると思う。
わたし自身もそうだ。

自分は客である一方でまた逆の立場でもある。
これはこの社会の真理である。

自分が客として自分本意な行いをすれば、いずれまわりまわって自分の身に響いてくる。だから、自分は常に「いい客」でありたいと思う。


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向島に東京から移住するとき、当たり前のように引越し業者にお願いした。ウェブ上で何社かざっくり見積もりをとり、安かったところに正式な見積もりをお願いした。

正式見積もり当日。

ウェブで見積もりをとったとき、窓口からの電話で「ざっとこんくらいですね」と言われた金額よりも、数万円高かった。
それでも他社より安かったから特に問題はなかったのだけれど、当初の見積もりの金額を認識していたがために「高くなるのかぁ」という感覚を持ってしまった。

その様子を目の前にいる担当の方も感じ取り、「ちょっと頑張ってみますね」と上司か誰かに連絡をとり、社内調整をしてくれているようだった。

結果として、1回目の正式な見積もりより1.5万円安くしてくれた。「すみません、これが限界です」とも。

「ちょっと無理させてしまったかな、、、」と申し訳無い気持ちもあったが、他にも色々と費用がかかっているなかだったので、少しでも安くしてくれるのはありがたく、甘えさせてもらった。

引越し当日。

スタッフが2名来られて、どんどん目の前の荷物がトラックに積まれていく。引越し屋の手さばきというのは、何度見ても感心する。あっという間にぼくらの住んでいた部屋はガラリとした箱へと変わった。

東京から広島への道のりなので、一泊二日で引越しするプラン。翌日の夕方に新居で合流する約束をし、ぼくらは自分の車で京都までその日は走り、一泊して翌日広島にいくことにした。

「あぁ、、、やってしまったな」

翌日の夕方、約束通りに新居前に着き、引越し屋さんの姿を見てそう思った。

東京では2名体制だったのが、いま目の前にいるのは1名だけだったのだ。

ぼくが値切った1.5万円のしわ寄せは、ここに生じたんだと思う。

2人で運んできた荷物を1人でまた運ぶ。その大変さは容易に想像がつく。しかも、新居の目の前は道が狭く2トントラックは入れないため、海岸沿いに止めるしかなく、しかも新居は少し高台にあるので15段くらいの急な階段を登る必要がある。

それに加えて、この日はそれなりの雨だった。荷物が濡れぬよう毛布をかけ、2人なら運べるものも1人だと難しいので、往復量が1.5倍くらいあったように思う。

それでも、引越し屋のそのスタッフは淡々と、軽やかに、荷物を運んでくる。

申し訳なさのあまり、「2人で積んだものを、1人でおろすってよくあることなんですか?」と聞いても、「そうですねぇ」と一言答えて、また次の荷物をおろしにいく。

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その道のプロと依頼主、あるいは客と提供する側の関係。

「こちらはお金を払ってるんだから」
「無理が出るシステムにしたのは、そちらの責任」

そう言うのは簡単だし、たしかにその通りではあるけども、客が無理を言うと誰かに必ずしわ寄せがくる。その想像力を持てるかどうかは、決して裕福とは言えない国に成り果てた日本において、わりと重要なのではないだろうか。金額に納得いかないなら、やめればいい。

提供する側も、値切る客がいたらお断りする勇気を持ちたい。

もちろん、提示した金額相応の価値を提供する努力は必要だけれど、「わかる人にわかってもらえればいい」という考え方もあっていいと思うのだ。

なによりも、そのほうがシンプルに「気持ちがいい」。

カフェという店を来春からはじめる身として、仕入れる側という客としても、お客さんを迎える提供側としても、「値切る」ということについてはちゃんと向き合っていきたい。

10年先、20年先、未来の住民のために木を植えます。