届いたかわからない言葉 −『マチネの終わりに』平野啓一郎

僕は淡白な性格である。友達がいないからといって必死に話を合わせるようなこともなく、まあそんなものかと諦めてしまうのだ。

そんな僕にも執着してしまった恥ずかしい過去がある。あれは大学入学してしばらくした頃。奇跡的にとても綺麗な女性に言い寄られ付き合っていた。決して多くの女性から好感を持たれる好青年ではないので不思議に思いながらも、それなりに長く関係は続いた。しかし毎日のように駅のホームで別れ話をしているカップルがいるのを見かける通り、世の中の男女はいずれ別れる。例に漏れず僕も別れた。

浮気をしている現場を押さえられたとか、彼女を殴りつけただとか、そんな劇的な事件があるわけでもなく、お互いの小さな違和感がジェンガのように積み重なって崩れてしまった。それだけのことだ。

今の僕ならあっさりと切り替えて他の女性に興味を持てたかもしれないが、まだ精神的に幼かった僕は彼女が自分の手から離れた途端、ひたすらにまた会いたいと願うようになった。それほどまでに他人を求める気持ちを身に染みて感じたことはなかった。一緒にいた頃は楽しいよりも辛い瞬間の方が多くなっていたはずなのに。

だからといって自分の欲望を解放してストーカーになったりはしない。一応の自制心は持っていた。だからまずはメールをした。内容は覚えていないが、何度も何度も推敲して、この内容で気持ち悪く思われないか、自分のことを思い直してくれないか、また戻ってきてくれないか。思いの丈を詰め込んだ。そんな女々しいメールに好感を持たれるはずもなく、というか当時のメールには“既読機能”もないので読まれたかどうかすらわからない。とにかく返答はなかった。

諦めきれない僕は次の手段に移った。電話だ。せめて声を聞いてくれればどれだけ熱がこもっているか理解してくれるだろう、そんな風に思っていた。何を話すか徹底的に考えた。目的は再び自分のところへ元彼女が戻ってくること。そのためにはどんな印象を与えればいいか。元彼女はどんな質問をしてくるだろうか。それに対して自分はどう返答すればいいだろう。内省の迷宮をぐるぐると彷徨った末に、ようやく話したい内容が決まった。

厳密に構成している分、少しでも言葉が漏れてしまうと想いが伝わらないと心配していた。自宅近くの人通りの少ない道を真夜中にうろつきながら、一言一句逃さないようにぶつぶつ言って“原稿”を記憶した。その様子を見ている人がいたら間違いなく警察に通報されていただろう。

「今夜電話してもいいですか」読まれているかもわからないメールを翌日の朝に送る。これでできるだけのことはした。あとは話すだけだ。その日の大学の講義は全く頭に入ってこなかった。

意を決して迎えた22時。電話帳に登録された元彼女の番号を前に、昨日考えた言葉を振り返る。大丈夫、覚えている。発信ボタンを押した。

出ない。

もう一度。

出ない。

仕方がないので、留守番電話に残しておくことにした。ピーっという発信音が鳴ると、“伝えたい言葉”がスラスラと出てきた。しかしそれは今の自分が伝えたい言葉ではなく、昨日の自分が伝えたかった言葉になっていた。一番大事な言葉になる前の想いが抜けて、乾いていた。

それでは都合が悪いので悲しかった出来事を思い出す。上手く感情が乗ってきた。軽く嗚咽を交えながら喋っていると時計が目に入った。もう話し始めてから30分経っていた。さすがに話すぎたから切り上げようと締めの言葉を口にして携帯電話の画面を見る。すでに切れていた。

どれくらいの言葉が吹き込まれたのか確かめるすべはなく、なんとか大事な部分だけでも聞いてくれないかと切に願った。

あれが元彼女に伝わったのか、今となってはわからない。数年前まではこんな一方通行の言葉が多かったように思う。送った手紙は読まれたかどうかわからない。打ったメールは届いたかわからない。

平野啓一郎の『マチネの終わりに』を読んで、かつての伝えたかった言葉を思い出した。

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