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Essay_s#7 Y君と手話と私

私は高校時代、3年間サッカー部に所属しました。平日も休日もサッカー漬けで、やりがいはもちろんありましたがそれはまあ大変でした。3年生の最後の公式戦で敗退したときは、悔しさや喪失感とともに、どこかほっとした気持ちがあったのも事実です。

そうして大学に入った4月の話です。サッカーは大好きでしたし、大学でも続けたい気持ちはありました。ですが、せっかく大学に入ったのだから何か新しいことを始めてみたい気持ちもありました。

といっても、すぐに新しいことが見つかるはずもなく、ひとまずサッカー部の部室を見に行くことにしました。汚れた部室の壁には「週6」と書いてありました。

「これは無理だ。」

週に6日も練習や試合があると、サッカー以外の新しいことに挑戦するのは難しいと直感しました。さてさて…と考えていたところ、グラウンドでサッカーをしている数人を見付けました。どう見ても週に6日も練習するような本格的な部の雰囲気には思えません。人づてに聞いてみると、どうやらサッカー部とは別に「サッカー同好会」なるものが存在するようでした。あのグラウンドの数人は、サッカー同好会で間違いなさそうでした。

そして、もう一つの重要な情報を手に入れたのです。
サッカー同好会は「週2」。

「これだ。」

どれくらいの人数が所属し、どんなレベルで、どんな活動をするのかも知りません。ですが、高校でパンパンにサッカーをやった反動なのか、なんとも緩そうな雰囲気に直感的に惹かれたことを妙に覚えています。

一つ決まってほっとした反面、これだと新しいことには何も挑戦できないことになります。そこで、「週2」のよさを生かし、同じくらいの頻度で活動しているサークルで、何か楽しそうなものがないかを探すようになりました。そして、サッカーをするのだから、もう一つのサークルは文科系にしよう。だいぶ条件が絞り込めてきました。

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話は少し反れますが、大学に入学してほどなく、Y君と仲良くなりました。どういう経緯で知り合ったかは全く覚えていませんが、愛知県から来ていたY君と、北海道から来た私。なんとなくウマが合いそうな感じで、入学早々の4月に出会ってから、一緒に過ごすことが増えました。

そのY君。彼もサッカーが好きで、高校時代はサッカー部所属。大学では、サッカー部に入る気はないがサッカーは適度に続けたい。それから、サッカーとは別のことも始めたいと思っている。

「……!!!」

運命と言ってしまえばなんとも安っぽくなってしまいますが、今思い返してもこの出会いはあまりに特別なものでした。学部も異なるY君との出会いは、結果的にその後の大学生活4年間を左右する大きなトピックとなりました。

Y君とは、大学4年間の間に、ヒッチハイクの旅をしたり、原付で東日本をぐるっと回ったり、四国八十八か所を巡ったりしました。(これ、何にインスパイアされたかは、分かる人は分かると思います)。なぜかクリスマスイブの夜に、2人でギターをもって山の中に行き、大声で歌って帰ってくるという意味不明なこともしました。これぞ大学生の青春、といった想い出です。

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話を大学1年生の4月に戻します。方向性が合致した二人は、まず一緒にサッカー同好会に入ることを決めます。そしてもう1種類。そこからあと一歩絞り込むことができない私に、Y君はこう言いました。

「俺、手話を始めたいと思っているんだよね。」

Y君は、大学の中でも聴覚障害に関して学ぶコースに所属しており、彼が手話を学ぶのはごく自然なことでした。「文科系で週2」という手話サークルにY君が入ることを聞き、そこに私も付いていくという、これまた必然の流れができ上がりました。

そんな感じで、いくつかの偶然が重なって「サッカー同好会週2・手話サークル週2」の大学生活がスタートしていきます。それまでの人生で手話など何一つ触れた経験もなければ、興味をもった記憶もありません。何の動機もないまま始めた手話は、結局大学4年間で最もエネルギーを注ぎ、最も時間を費やす学びの場となりました。

私が所属した手話サークルのメンバーは、多くが同じ大学に通う健聴者(耳の聞こえる人)でしたが、聴覚障がい者(ろう者)も所属していました。日本語とは別の新しい言葉を覚える快感から、私はどっぷりと手話の世界にはまっていきました。

大学は、実に多様な人が集まります。それは、高校とは比べ物になりませんでした。私の所属した手話サークルも例外ではありません。18歳~22歳の同じ大学の学生が中心とはいえ、それぞれの出身地は日本全国様々です。大学院生や科目等履修生などでもっと年齢が上の人もいます。さらに他大学の学生や、手話サークルという特性上サークル員の知り合いのろう者が通ってくることもありました。

結局、手話を学ぶ場だと思って通い始めたサークルは、人との付き合い方を学ぶ場でもありました。性格も、考え方も、本当に様々。気の合う人もいれば、正直合わないなあと思う人もいます。苦労したり戸惑ったりしたことも数えきれないくらいありましたが、全ての人との出会いが、今思えば大きな財産です。


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大学で手話を学んでからもう20年も経ちますが、実は今でも手を動かすことができます。恐らく、手話を読み取る力はだいぶ衰えていると思いますが、自分の思っていることを手話で表現する方はそれなりに行けそうな感覚が残っています。20年ものブランクがあっても、です。それだけでも、大学4年間の手話とかかわった生活の濃さが実感されるものです。

Y君との出会いがなければ、手話に関わる機会はきっとありませんでした。
もし仮にY君と出会っておらず、何か他のサークルに入るパラレルワールドがあったとしたら、私はきっとそこでもそれなりの学びや想い出を作ったとは思います。「その中で運命的な出会いがあって…」などと、今頃回想していたかもしれません。

けれど、たとえ無限のパラレルワールドがあったとしても、私の本物の4年間で出会った手話、そしてY君との想い出を超えるものはありません。根拠はありません。でも、そう思います。


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