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ひいおばあちゃんから受け継いだ想い


2016/2019 2boys mam

私たちは祖先の想いで生きている

私は小さいころからとっても花が好きで、明確にお花屋さんになりたかったことを今も覚えています。

でも時がたつにつれて英語が好きだから翻訳家かなとか、放送委員のお仕事が楽しくてアナウンサーもいいな、飛行機がすきだからCAもいいなって小さい頃の夢のことはすっかり忘れていました。

中学生のころ、ひいおばあちゃんが亡くなって、晩年は私のことも覚えていなかったし、ひいおばあちゃんのことを思い起こすこともあまりなくなっていました・・・

幼いころお布団の中でいつまでもにこにこお話していつも楽しいお話を聞かせてくれたおばあちゃん。ケーキを買いに行くと、絶対に4つ以上買っていたおばあちゃん、夏に会うといつもおばあちゃんの隣は私の席だった。

そんなおばあちゃんは【秋田初の女性校長のひとり】でした。

この仕事をするまで、おばあちゃんの話はそれくらいしか知らなかったけどあとからいろんなことがわかりました。

・ひいおばあちゃんは「女のくせに」とよく言われていたこと
・ひいおばあちゃんは「花の先生でもあった」こと
・ひいおばあちゃんは戦時中「子供のためにお風呂を作った」こと
・とてもユーモアにあふれていてお金がないのに喫茶店に入って、帰りの交通費を交番でかりて翌日返却しにいったこと
・おいしいものが大好きだったこと
・男の子がなかなか生まれず1人を流産し4人目でようやく待望の男の子を授かったこと

女性が輝ける時代になった

もういまや誰も女性に対して「女のくせに」なんて言わないですよね。私は女性が輝ける時代に生まれてきて、そんなおばあちゃんの意志を引き継ぐように、仕事をしています

男の子2人に恵まれ、おばあちゃんの願い想いは私が叶えているのかもしれないですよね。そして、戦時中お腹いっぱいになれなかった子供たちをお腹いっぱいにさせたい、戦争のない幸せな時代に生きてほしい。

私たちは祖先の想いを願いをかなえるために生きているのかもしれません。

直接のつながりが見つけられなくても(知らなくても)、「あなたが幸せになること」を祖先はみんな願っています。

https://lit.link/Setariaviridiswatage


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