低年収の子供の戯言


 まずこの話、ほぼすべてが私頑張ったって叫びたいだけである。「頑張ったね」って言ってもらいたいのだ。
 親の話をすると、まぁ驚かれる。エピソードは無限のようにあるが、母親も父親も一角だけを見れば羨ましがられる人間であった。今度これも記事にしようと思う。
 
 私の親の年収を当ててみてほしい。「私立高校出身私立薬学部(年間学費だけで210万)に一人暮らしで通っている娘を持つ」親なのだから裕福なのだろうと思う人が多いだろう。事実、私は少なくない人数の人たちに「お父さんに感謝しないと~」「いいわね~お金持ちの子で」と、嫌になるくらいには言われてきた。
 私の事情を知っているはずの人も「なんだかんだへそくりがあるのよ。」と言ってきたりもした。今でこそネタにできているが、このお金の無さで個人的には苦労をした…と思う。もっと辛い人も居るからあんまり言えないけれど。
 150万円である。今は何だかんだ社員になったとか言って200万円は超えたらしい。しかし、高校1年から大学1年まで、母親の年収は150万円とボーナスで10万円くらいであった。(そして面白いのが父親との合計をすると-200万くらいになるのだ。)
 これを聞くと「もっと少ない人だっている!苦労してる人もいる!国立に行けばよかったじゃん。」という人が居るが、そういう話じゃねぇんだ。黙って聞いてくれ。あと大学選びについては語るつもりもない。
 
 まず、150万で1年間車有の生活はできる。ネットも光回線、iPhoneだって持てる。私は自慢ではないが、貧乏の癖に電気とネットには困ったことがない。ガスが止まっても、水道が止まっても、電気だけは必ずついていた。これは親が重度のゲーマーだったからである。もちろん私もその恩恵を受けていて、2歳の時には自分専用のパソコン、ケータイ、中1の時にはiPhoneを与えられていた。これは父親のヤの付く関係の人のおかげらしいが、とにかくそういった面では裕福であった。
 じゃぁ何が貧乏なの。と言われるとその他である。まず娘への食事は気まぐれでしか出てこない。小学校で必要なものは買ってもらえない。だから、小学生の私は今とは真逆のガリガリであった。惨めな思いをこの時初めてした。「貧乏人はユニセフ募金に助けてもらえ」と、ノートの裏側に書いてあるユニセフ関係のページを見ながら言われた。「貧乏がうつる。」「貧乏のせいで俺たちの物が汚れる」と言われた。
 その頃、私の主な食事や必要なものは、血も繋がってなければ親の知り合いでもない人間たちであった。今思えばあれはロリコンだったのだろうと思うが、それでも写真を撮ったりするだけで、おうちで遊ぶだけでご飯や必要なものが何でも貰えるのだ。私は媚びる方法を無意識に覚えていったのだろうな。思い出すだけで反吐が出るが。

 中学になると、親から500円が貰えた。夜の食費である。そして父親に「稼げる場所を紹介してやる。」と言われ、いろいろさせられた。実の娘に薬を打ったり風俗で働かせたり、ヤクザのイロにして喜ぶ親なんてそうそういないだろう。
 ついでに1年の終わりに学費払えない!などと言って無理やり入れた私立中学を辞めさせられている。良く受かったと褒めてほしい。私は女子の御三家や首都圏の有名中学にノー塾で受かったのだ。落ちたら殺されると思って本気で勉強した。上で言ったロリコンの人たちに勉強を教わったのだ。中学では周りの子の動作を必死に真似した結果「育ちが良いのね。」と褒められるくらいにはなった。まぁ母親、異様なまでに礼儀には煩かったからそこはできたのだが。
 それから色々して稼いで、そのお金で今まで我慢してた物を食べるようになった。母親に内緒で祖母と父親に頼んで手続きをして塾にも行かせてもらった。県で一番の進学塾だ。もちろん塾費は自分持ちだ。そういえばこの頃には父親と母親は離婚していた。昼夜問わずお金を稼いで、学校へ行けば虐められる日々が続き、稼いだお金は父親に奪われていた。それでも誤魔化して月3万円くらいは自由につかっていた。ここだけ見たら相当裕福で笑った。
 高校入試の一か月前に母親にバレて塾もやめさせられてテキストも捨てられ、永遠と母親の言いなりになっていた。夜21時30分に近くのスーパーマーケットに行き2割引きから半額になるのを待って母のご飯を買い、母親のパチンコの様子を見に行って大人しく車の前で学校の教科書を読んで待っていた。
 
 これは低年収あるあるだと思っているのだがスーパーの半額や75%引きを買うために時間をめちゃくちゃ使う。そして、いつもない商品があるとそれを大切に大切に食べるのだ。私のお気に入りはスモークサーモン(元値274円だった気がする)となんたらパイ(元値250円くらい)であった。この頃の憧れは割引を気にせずに買う事だったし、今でも割と憧れている。
 
 まぁ高校は内申落ちをし、私立になった。学費が高いことで有名な高校だったが、中学の時の金で入学金と諸費用はどうにかした。高校に入るときには、3年間の外食と薬の副作用で相当なデブになっていた。高校では流石に中学みたいなバイトは無理だと思っていた矢先、父親から「デブ専で働け。」と半強制的に働かされた。母親が病気になったせいで更に私は稼がなきゃいけなくなった。高校生活の8割をバイト。残りをLOLに費やしたといっても過言ではないだろう。

 ここまで話して、母親の150万円はどこへ消えた?と思う方が居ると思う。これは最低限の家賃光熱費、ケータイ代などである。すでに母親には幼少期からのケータイ代を返済したが、高校までは払ってくれたのだ。感謝するばかりである。あと父親の借金返済。手取りいくらかなんて知らないが小さい頃私を育ててくれたから、お金の使い方はなんだかんだ上手だったんだと思う。
 
 高校時代、大して勉強をしていなかったと思う。少なくとも勉強したとは胸を張って言えない。当たり前だ。夕方6時から朝まで働いて帰ったら高校に行って寝ていたのだから。空いている時間はLOLをしていたし。流石にやばいと思ってバイトの負担にならない程度に某塾に通った。これも夜の仕事の合間に受講したりしていたのだ。もちろん何もない日は塾で永遠とFGOをしながら勉強していた。塾には計150万円を自分で払った。その結果に見合う大学には受かった。

 何が言いたいか一切伝わっていないだろうからはっきりというと、勉強する時間がない。でもお前早慶受かってるし努力次第じゃん、なんて言われるのは心外だ。どう考えたって中学で、大学を見据えた高校に入るためにバイトしました。なんて普通じゃない。そもそも法律上は働けないし。多分私みたいにお金がなくて中学から色々していた人はいる。というか夜職の友達がそうだ。でも、勉強が嫌いとか、教養がないとか以前に働いているから最低限しか学べないのだ。塾なんか通わなくても~云々、それはそうだが実際に通わずに進学校や上位大学に入った人が半分もいるのだろうか。普遍的な話ではなく一般的な話をしているのだ。どうせ教育格差なんてなくならないし、そういう政策を決める人間は貧困層を知らない人間だ。面白いとしか言えない、大学の講義で貧困について語る男も、それを聞いて同情している生徒の殆ども数値だけを見て現実を見ない、机上の空論のような意見しか出せない人間たちなのだから。貧困層といってもネットで見るような生活をしているわけではない。150万あれば県営住宅には入れるし、どこに重点を置くかで周りからの目も変わっている。なんだかんだその年収に合った生活ができるし、上を知らないからこそ幸せになれるのだ。

 私は、ここに入って色々な人と知り合うまでは幸せだった。だって、知らないんだもん。学費を払ってもらえる世界も、スーパーで何も気にせず買う事も、長期休みに旅行をするときは雑誌を買うという事も、車を新車で買うことも、新幹線に乗るのは意外と当たり前だってことも、飛行機は思っていたほど高くないって事も、服は1000円は安い部類だって事も本は新品を買う事も生活費なんて気にしない生活も親の年収を知らない子供が居る事も、私が恵まれない子だという事も、何一つ知らなかったのだ。こんなことなら大学なんて行かなければよかった。お金が有る友人と仲良くならなければよかった、近くならなければよかった。なんて、思うときも多々ある。知ってました?普通病院代って親が出してくれるんですって。個人輸入なんてしないんですって。(保険証を親が持ってるから病院が実費だった。)大学に入って世界が変わって。前から客と接しているからその世界を知ってはいたけれどいざ自分の身の回りがそうなると全然ついていけなくて。でも、私の友人は価値観がずれている私を「買い物上手」「いろはといるとお金が減らなくて済む」なんて言ってくれる。
 でも、あまりにも近い人達が当たり前のように話すことが、幼き日に夢現に母とたらればで話していた事が多すぎて、とても眩しい。それでいて、心の隅に黒い淀みができる。羨ましい。ただそれだけ。口に出したりはしないけれど、お金にゆとりがあるのが羨ましい。働かなくても明日に困らないのが羨ましい。とても、羨ましくて、妬ましく思うときがある。これはお金に対してだけではない。いつかnoteに書くかもしれない家族の事も含めて、絶対に手に入らないとわかっているから余計に綺麗に見えて、それを当たり前のようにする友人にもやもやする。でも、そんなことを言っても困らせるだけだから私は今日も作った顔で「いいなー。」と本音の一部を吐いている。
 
 来世はせめて年収350万はある家庭にしてください。それと普通の両親にしてください。

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