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ビートルズの赤と青、どっちが好きか?

『EIGHT DAYS A WEEK』というビートルズのドキュメント映画を借りて、何度かくりかえし見ています。
1962年のデビュー当時、とにかく忙しくて、1週間が8日あるみたいだ、8日あっても足りない、といった意味だと思います。

1962年と言われても、マニアじゃないのでピンと来ません。
それで、ジョン・レノンの誕生日が1940年で切りがいいので、何年とかが出ると彼の年齢に換算しています。
「1962年ということは、ジョンが22歳の時か」といった感じで。
(リンゴ・スターも同年、ポール・マッカートニーは2つ年下の1942年、ジョージ・ハリソンは3つ年下で1943年)

記者会見中でもテレビ放送中でもいつでもタバコを吸ってて、1965年(25歳の時)にバッキンガム宮殿で勲章を受け取った時の記念撮影の時にも、右手で勲章をかかげて左手に火のついたタバコをぶらさげてるのが印象的でした。

あと、インタビュー中にジョンの頭の上にジョージがタバコの灰を落として遊んでいる場面も。

1961年(21歳の時)に、ブイアン・エプスタイという人がビートルズに目をつけてマネージメント契約を結んだそうですが、初めて見たころの彼らは、地下の洞窟みたいなライブハウスで黒い革ジャンに汚いジーンズだったそうです。

やんちゃな少年たちにおそろいのスーツを仕立てて着せて、英国紳士おぼっちゃん風に演出してるんだけど、たまにボロが出て、それがギャップになってかえって魅力になっている感じだと思います。

ビートルズのメンバー本人たちは、それもだんだん苦痛になっていったんだと思われます。

どの国に言っても暴動みたいな騒ぎになって、始めのうちは浮かれて楽しんでたんだけど、いろいろあってだんだん嫌気がさしてきて、1966年を最後に、コンサートをいっさい止めたそうです。

結果的に最後となったコンサートから去る時は、囚人護送車でスタジアムから逃げながらジョンが「終わりだ、もう沢山だと」と言ったそうです。26歳の頃ですね。

その後はスタジオにこもってのレコード作りが中心になって、みんな髭を生やして髪ものばして、ジョンは丸眼鏡をかけて、現代美術のような表現や、演奏で再現できないような実験的な音楽や、政治的メッセージなんかも出てきたりして、さらに4年後の1970年(3O歳の時)に解散したとのことです。

その前年、1969年に最後に一度だけという感じでどこかのレコード会社の屋上で4人で演奏している時は、もう40~50歳くらいの年季の入った感じに見えました。実際にはみんなまだぎりぎり20代なのに。

この時の曲がエンディングになって映画が終わるんのですが、もう数十年にわたる彼らの伝記を見たような感じで、ふぅーとしばらく脱力して、ぐったりしていました。

実際にはジョン・レノンが22~30歳までの8年間のことだと考えると、すごく集中した濃密な時期だったんだなと思います。

そういえば、『ザ・ビートルズ1962年〜1966年』(赤盤)と『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』(青盤)というアルバムを高校生の時によく聞いていたけど、たぶん1966年のコンサート中心からスタジオ中心に移るところを区切りにしているんですね。

そんな事情は知りませんでしたが、とにかく気分を明るくして元気になりたい時は初期の赤を、夜中とかにしんみり聞くときは後期の青を聞いていたと思います。ほとんど赤ばかりかけて、青はめったに聞かなかったと思います。

映画の中でも、曲の感じが変わっていったことについて語られています。(誰の声か分かりませんが)

「初期のレコードはどれもファンへの訴え パーソナルな内容ばかり 初期は歌詞を重視していなかった 誰が誰を愛してるという漠然としたテーマだけ」
28:30~

「最初 僕たちはクリーンで感じよく誰にでも愛された でも突然人々に理解されなくなった 僕たちは年を重ね 大人になっただけだ 人々が望むまま永遠に『シー・ラヴズ・ユー』ばかり歌っているわけにはいかない」
1:18:36~

今はどちらかというと青の方が、面白くて好きです。





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