大河をゲームとして比較する

ざっくりだが今年の大河と過去2年の大河をくらべた雑感をば。

今年の大河はすごくストレートに見ると、オールドスクールな英雄譚につきた。ただ味付けや演出もありきちんと現代の大河になっていたとおもうが、過去2作とくらべて物足りないと評している人も事実だ。
比較してみようと思う。
ゲームに例えて。
(この時点で「例えられてもそれこそがわかりにくい」というのはちょっとわきにおいといてくださいw)

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●真田丸はオープンワールド型RPG
「真田丸」は、幸村にのちになる真田源次郎という「元気はあるがなにもできない主人公」が、ひのきのぼうを装備してだんだん勇者になる過程を描いたというスタンダードな文脈の、主人公固定視点のオープンワールド型だった。このなにもできないってところがまた現代ぽいともいえる。運命づけられてはいるが普通の子が勇者になる過程をみるという作劇は、子どものころから割と現代人はみなれているので。
一応のゴールはもちろんあるが、途中に魅力的なイベント(真田家、豊臣家、徳川家、上杉家などの各エピソード)がいくつもあり、そのイベントで止まって延々遊ぶ(妄想したり知識を仕入れたり、文献を読んだりetc)することも可能という親切設計。もちろんポチポチとシナリオをすすめて、その時々の冒険の仲間を集め、スタンダードラインを歩んでもちゃんと楽しい。素敵!
オープンワールドらしく魅力的なイベントが歩けば歩くほど見つかるという広がり感がすごかった。元のシナリオ(史実)がまた自由度が高いのと荒唐無稽な脚色をされた過去作が多いのもあり(忍者とか普通にでてきたりとかw)、真田丸のシナリオがスタンダード見えるという利点すらあった。まあ過去作なんてしらなくても楽しいシナリオだった。
エンディングも決定的なものを描かないことで、最終回の次の回すらプレイヤーに妄想させるつくりなのは流石といったところ。
(事実何に課金すれば次回作(スピンオフ)は来るの?といった声は少なくなかったし、全然ちがった形でのスピンオフが来たw←『風雲児たち』)
またショッキングなシーン(合戦でとても血がでるとかすごくえろいとか)もぼやかしてあるというcero的にも安心。任天堂もにっこり
未だに遊べる。

●直虎はノベルズゲー(乙女ゲー)
女性視点のドラマは「いくさはいやでございます」とか突然いいだしてがっかりさせるのが常という風評をはねのけた主人公だった。
時代や家など運命づけられたなにかをはねのけというかねじ伏せ、その魅力的なキャラクターは周りの王子様が見過ごすわけもなくモテモテだったが、別に彼女自身はそれを積極的に掴みにもいかない(のがまた魅力的に思える)。ていうか彼女がむしろ王子様だった(これも今時の乙女ゲーはきちんとあるルートだ)。
ノベルズゲーなので道は一本なのだが、時代物でありつつ当時としては破天荒だという一点で、どこか(かなり)現代ちっくな働く女性のいきかたを貫いた脚本は力技だが「面白ければよかろうなのである」。
また子を育てられない女性にも優しいし、その生き方を下げない上、かつ普遍的な子を成すことで家を守るという、兎角「女性の生き方はそれだけではない」と言われがちな部分かも逃げなかった。
女性の生き方を示した上で、まあ余剰としての王子様なのだ(しつこいようだが、王子様なんて待たなくていいタイプの主人公だったけれど)。そこがいい。あとでてくるイベントがそれなりに重たいのも乙女ゲーならでは。
なお妄想ルートは乙女ゲーなので、王道トゥルーエンド以外にも残されており、いまだに遊ぶ(妄想したり勉強したりする)ことも可能。
元のシナリオ(史実)はあって無きが如しだったようなかんじなので、史実のちいさなポイントを積み上げることで「かもしれない」を練り上げた腕力は万雷の拍手でもって賞賛したい。
ショッキングなことやエロからも逃げなかったが、ストーリー的に必要なものであるという言い訳もきちんと用意できるceroR15作品。プレステとかで発売してほしい。ちなみにDLC(衣装チェンジ)も楽しかった!!!

●西郷どんは王道名作RPG移植版。
西郷どんはいわゆる英雄譚だった。主人公は子どもの頃から時代に違和感をおぼえ、主人公たる態度で立場や出自を気にすることなくそれを正義感でもって主張し、皆の信頼を勝ち得るという子どもの頃に読んだ偉人伝そのもの。暑苦しくて少し苦手なタイプで、主人公像としてはオールドタイプだ。
現代人の感覚からいうと、この西郷隆盛視点でものをみるというのはほぼ難しかったんじゃないかと思う(子どもの頃から全身無条件モテ期にしか見えないから。今時ジャンプの主人公でも居ないw)。
過去の西郷シナリオとも比べられることも多々あり、その移植版は「ああやっぱりこんなかんじなのね」「まあ移植版だし史実もあるし、そうストーリーもかえられないよね。でも新しいCVもがんばってた」みたいな感想もむべなるかな。

ただこのコンテンツは旧作版をPS3に移植するにあたって、その余ったデータ容量をフルボイス以上に裏ルートに費やしており、そのルートから見える主人公やその周りのキャラは同シナリオ別解釈という『ひぐらしのなく頃に(あggrないほうが吉。ゴアな推理ゲーです)』あたりの「気づかないならそのまま表のエンディング見といてください。一応そっちもキチンと完結してるんで」といった、隠し通路で裏ルートも裏マップもあるよ、入り口わかりづらいけどな!的な作品だったのではないだろうか。

もちろん入り口のわかりづらさは不親切で、現代の<チュートリアルなくてもさっとやれないゲームはクソゲー>という評価からすれば、クソゲーであるが、実はその<裏ルートがあるってことこそが王道名作RPG<らしさ>>でもあったりする(『ドルアーガの塔』とかね)。
そこはお友達やゲーセンの攻略ノート(昔はゲーセンに攻略ノートがおいてあったんすよw ゲーセンのプレイヤー集合知ですw)参照!みたいな。
もちろん裏ルートがあれば、スルメのように楽しめるというだけで、表ルートだけで終わってもいいのが創作物のいいところかと思う。
表ルートでクソゲー呼ばわりもまあ、だから間違いではないのだ。「自分には物足りなくて合わなかった」という一点において。
でもこれだけ情報あるんだから、裏ルートもちょっとはやりこんでみてほしかったなーとも思う。
ちなみに表も裏も解釈は多数あり、別に何が正しいというわけでもないというグレーなところが、実に、幕末動乱期と明治のgdgdぷりをよく示していると私などは思うのだが。
キャラの掘り下げ方がたりなくて感情移入できなかった&見分けがつかなくて残念ってところは私もそうだった。が、昔のRPGで魔法使いと賢者の区別がつかないみたいなもんじゃないかなと思っている(わかりにくい例えだが、似た職業なんだけど使う魔法が違ったりするんすよw)。
ゴアとエロについてだが、これは旧作RPGらしくガッチリだった。ここは逃げずにいたこと、私はおおいに評価したい。移植版でこういうのだけ削除してceroレートを逃れるのはちょっといただけない。
ショッキングなシーンが多いという理由だけで作品全体の評価を下げるという傾向は近年よく見られる創作界の闇で、今作もその傾向はあったが、人物や事件を描く上で重要なシーンとしてのゴアであったので批判にはあたらないだろう。また史実をがっちりやろうとするとさらにゴアだったりもするのでそこは色々問題があるのかもしれないなとも思う。
旧作はPCゲーム、移植版はPS3のDL販売といったところか。
リプレイ推奨だが、裏ルートの入り口は今ならネットにいくらもあるので、そんなルートもあったのかと読んでみるだけでも楽しめると思う。
裏ルートもいくつもあると、個人的にはなんとなく思っている。

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大河というコンテンツは毎年発表になる大型ゲーで、視聴者層がバラバラであり、それぞれにゲームジャンルやとどけたい層、ささる層があっていいと思う。個人的には今年の大河の、表ルートだけなら世代を超えて楽しめるが、裏ルートもわかりにくいけど用意してあるし、それが用意してあるというニオイだけは表にばら撒いたよ。だからあとは入り口探しておいでよ!ちゃんと伏線も回収したし、面白い解釈も提示したよ!といったこの移植版スタッフのやり口も好きだった。

さて来年の大河のジャンルはなんであろうか?
今からたのしみであるが、オリンピックというイベントを成功させるに至る人間群像劇という情報から、一種のシミュレーションゲーやストラテジーゲーム的なものになるのではないかと思っている。
(プロジェクトX的な無邪気な感動消費ものでおわらないことを、また等しく祈っているw)

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