今年の大河は洋ゲーなのではないか論

以前(https://note.mu/iron100c/n/nd5335348484b)ここ3作の大河を、ゲームとして比較したのだが、本年の大河「いだてん」をまだ3月ながらゲームだと思って見てみようと思う。
相変わらず「お前はなにをいってるのだ?」といった風情だが、まあしばらく付き合ってもらえると嬉しい。

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●「いだてん」はオープンワールド型RPG(洋ゲー)なのではないか

以前私は、今年の大河を

>オリンピックというイベントを成功させるに至る人間群像劇という情報から、一種のシミュレーションゲーやストラテジーゲーム的なものになるのではないかと思っている。

と書いているのだが、この予想はハズれた。
ここまで見てきて思うのは、この作品はまたもやオープンワールド型RPGだ。ただ真田丸は(ファイナルファンタジー等で有名な)スクエアエニックス作品のように適度にイベントが起こり、ある程度自分の立ち位置を「運命づけられている」和ゲー主人公に比べれば、圧倒的に今年の主人公は自由だ、と思う。
どちらかというと洋ゲーちっくだ。
いってみれば「The Elder Scrolls」あたりの、ゲーム内世界の言語から通貨、政治情勢に歴史、宗教や神話まで大量に重たいテキストで用意されているような(「指輪物語」のような)ゲームかと思う。

真田丸世界のRPGはイベントを通してキャラの成長を描いていたが、いだてんが描いてとしているのは、主人公を狂言回しにして世界を時代を状況を文化と政治と経済(というか金)が描かれている。
どちらかというと主人公をとりまく世界が描きたい主題なのだろう。
なので当時の(戦争という舞台において)世界デビューを果たし一定の成果を挙げたリアルな日本が背景にあり、山川の世界史でさんざんやった他国の情勢が「完全なる史実」としてばちっと(かつコミカルに)組み込まれている。大河ドラマで当時の映像や新聞記事が「つかえる」史料として組みこまれているのなんて初めてだ。
リアルワールドは実に重たい。私がこれがとくに洋ゲーだと思うのはこの(リアルワールドの歴史をきっちり背負っていると見せてくるので)背骨がしっかりした世界を、平民の主人公が見て歩くところだと思う。

登場人物の誰も武士にも大名にもならない。れっきとした身分格差はあるにせよ平民が平民として生きられ、(いまのところ)平和な世界の中で成長し、世界の舞台にあれよあれよと立つ。
彼の人生はその後もスポーツとともに続き、時代が明治から昭和になって、日本がオリンピックを開催するという歴史を、吟遊詩人か歴史書を紐解き(大げさに騙る)神官よろしく「噺す」のが、浅草の車引から噺家になった古今亭志ん生というやり口もなんだかいい。「史料があってもこれは作り話ですよ」という粋なケツのまくり方は、誠実でいいなと思う。

洋ゲーのエルダーズクロールは1994年からこつこつとタイトルが現在でも出ており、大きくは5作。それらナンバリングタイトル内に章のように同時代の他国情勢下で別ゲーがあったり(拡張パックがあったり)、もろもろ現在に至るまで20本以上続いていて、内部の歴史的には300年間くらいの物語を扱っている。
洋ゲーの多くがそうであるように、MOD(拡張性をもたせるちょっとしたソフト)は、個人ユーザーが勝手に開発し、個人の責任でもって本ゲームに組み込む。
今大河も昭和の東京オリンピックを扱っている関係上、未だ生きている家族が近くにいて、当時の生の歴史を語り聞かせてくれ、世界が拡張されるのもどこかMODぽい。
そしてその家族は「いだてん」東京オリンピック編の時代に、リアルワールドの中でうごめいていたNPC(ノンプレイヤーキャラクター。ユーザーの動かせない町の人々)であり、それぞれがNPCとして人生を歩んでいたんだなと思うと、とても感慨深い。こんな大河いままでに絶対なかったよ?


ちなみにどうでもいいことだが「The Elder Scrolls V: Skyrim(2011年発表)」で有名なセリフとして、町にいる元傭兵が「昔はお前のような冒険者だったのだが、膝に矢を受けてしまってな...」というセリフを喋る。
これがなぜかネット界隈でやたらと有名になってしまったのだが、これがまた実に味わい深い。
若い頃「なにものか」になろうと冒険をしていた若者も、怪我をし(一説によると、膝に矢を受ける→膝をつく=プロポーズをする=結婚するの比喩)家庭を持ち、物語の主人公からNPCになったという過去を匂わせる。
「いだてん」の主人公と彼らを取り巻く町の人々の全ては、なにものかになろうともがく若者となにものかになれた人々と、その成れの果てなのだ(いい意味でw)。
冒険者である主人公をきらきらしたものと羨み、応援し、支えたり騒いだり飲んだりする。友情があり、支え合い、差別とも(色々なタイプの)貧しさと戦っている。(勿論世界記録とも戦っている。)
そして彼らが立つ場所は、あくまで重たいリアルワールドの歴史を背負った半ドキュメンタリな舞台なのだ。だからこそそれぞれの人生にそれぞれ価値がある、と思わせる。世界を描いている筈なのに、そこにいる人がどの人もなんだか愛おしい。

まだ三ヶ月しかみてないし、これから気が重くなるような世界情勢に日本はつっこんでいくわけだけれど(東京オリンピックまでに近代史でやった事件がいくつもあるもの!)、この世界のなかで主人公とNPCはどうやって生き、かつ死ぬのか。
それを見届けたい。

エルダースクロールが歴史を背負ったように、いだてんの背負った世界(リアルワールド)の延長線に、なにものにもなれなかったNPCとしての私がいるのだな、と噛み締めつつ。

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