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お互いに人に会うのは嫌いだけど、友人で居続ける理由――二十年来の友人と久々に対面して感じたこと

週末は(移動も含めて)三日ほど東京に滞在していました。今回の主目的は祖母の三回忌の法要でしたが、今回取り上げたいのはその後のエピソードです。

ここ数年、帰省していなかったのはこれまでに何度か書いてきましたが、短大の友人にも会えていなかったので、このたびの法要に合わせて約束を取り付け、三年八ヶ月ぶりに会うことになりました。

その友人とはこの1年、3ヶ月に一度電話で話す仲で、今回も朝一番で東京駅まで駆けつけてくれるような子。法要に際して家に泊めてくれた妹に「ずいぶん仲が良いんだね」と言われ、アラフォーではなかなか珍しいのかな、と思ったものです。

とはいえ、お互いに寡黙な人間。久々の再会を果たしても、手を取り合って喜ぶようなこともなく、つい最近も会ったかのような距離感でポツポツと語り合う時間が続きます。

会話が途切れる時間も比較的長く、カフェで飲み物と軽食をとるあいだもお互いに周囲に目が行って無言の時間が過ぎていく――。もしかしたら退屈しているのでは……という気持ちがありつつも、沈黙が許される間柄だと認識しているわたしは、他愛ない話をポツポツと語る、静かな、しかしあっという間に過ぎる二人の時間が好きだ、と改めて思ったのでした。

そう。二人の間で交わされる話の内容など、いま話しても話さなくてもいいような、本当に大したことのないものばかりなのです。にもかかわらず、その内容は親きょうだいにはおそらく話せない。

たとえば「できることなら人に会いたくない。まして知らない人には話しかけられたくない、干渉されたくない」と言った、極度の人見知りならではの悩みも、彼女になら気軽に打ち明けられる。だけど「人間観察は好き」というおまけの話までも共感しあえる。わたしたちが、なんだかんだ言って静かに語り合う時間、ゆっくり過ぎる時間を共有したいと思える背景には、そう言った共通の感覚があるからなのだと気づいた瞬間でした。

お互いに「人間観察が好き」という打ち明け話をしたあとでなら、「そう言えばさっきのあの人……」と言った話題提供も可能(これがリアルで会ったときの醍醐味)。

東京駅だからか、本当に個性的な人がたくさんいて飽きませんでしたね。わたしはそういう、自分とはまったく違う装いの人を見ても「面白い」と思える(小説のネタになる!)から、かばんにアイドルの写真やバッジをつけていても、ぬいぐるみを大事そうにぶら下げていても全然OK。むしろ、それだけアピールできるなんて羨ましい! とさえ思いながら見ていました。


そのような話を私がしても、友人は「うんうん」と静かに聞いてくれます。そんなとき、ついつい調子に乗って昔の恥ずかしい話もしてしまい、「ちょっと話しすぎたかな……」と思ったりもするのですが、私の知られざる一面を知っても尚、「またおしゃべりしようね」と言ってくれる寛容な彼女には感謝の言葉しかありません💦

学生時代、「友人」との話題と言えば、恋愛話かテレビやアイドルの話だったような気がしますが、今はそう言った話題を持ち出さなくても話せるような間柄の人だけが友人として残っているように思います。

「いつか、『人見知り村』でのんびりすごしたいよね」と言ったら、彼女も「いいね」と賛同してくれました。

いろんな人がいるのは認めるけれど、その人たちに合わせることなく、つかず離れずの絶妙な距離感が分かる人の中で生きていきたい――。これが今回、リアルに友人と会って感じたことです。



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