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【連載】チェスの神様 第一章 #2 同居

#2

 自転車を放り捨てるように停めた僕は、すぐに家の中に入った。
 見慣れない男女の靴。兄といけこまのものか。
 エリーの言葉が正しかったことを悟る。
「ただいま」
 意図せず、やや怒りのこもった声が出た。居間から男女の会話が聞こえる。両親のものでないことはすぐにわかる。ほどなくして顔を見せたのはやはり兄だった。
「おう、彰博(あきひろ)。相変わらずチェスやってんのか?」
「なんだよ、それ。突然帰ってきてさ。最初の挨拶がそれなの?」
「おいおい、何怒ってんだよ。急に帰ってきちゃ悪いのか? ここは俺の実家でもあるんだぜ?」
「そこじゃない。いるんでしょ、いけこま」
「あれ? 何で知ってんだ? 驚かせようと思ったのに。さては母さんが口を滑らせたな? じゃあ話は早いや」
 兄はそう言ったかと思うと、自慢げに語り始める。
「駒(こま)っちゃんは大学の先輩の友達なんだ。ほら、学校なんて出会いないだろ? だから合コン開くって聞いて参加してきたんだよ。んで、おれが一目惚れ。三十だって聞いてびっくりしたけど、年の差は感じないし、好きになっちゃったもんは仕方ないよな」
「ふぅーん。出会いは分かった。でも、結婚だなんて急すぎない? だって兄貴は、社会人二年目になったばっかじゃなかった?」
「まあ、そうなんだけど、しゃーないじゃんか。子供が出来ちゃったんだから」
「子供……。でき婚なの?」
 兄貴の後ろに隠れるように立ついけこまを見る。彼女が恥ずかしそうに目を伏せたのが分かった。
「へぇ、兄貴がそんなにだらしない奴だったなんて知らなかったな」
「おいおい、そういう言い方はやめてくれよ。責任はおれがとる。ちゃんと育てる。親の面倒だって見る。何も考えてないお前と一緒にするな」
「ちょっと、みっちゃん! そんないい方しなくても」
「彰博、帰ったか」
 その時、ドライブを終えて帰宅した父さんが居間にやってきた。兄たちがいるというのに何も言わない。
「もう挨拶は済んだってわけ? いつから知ってたの、結婚するって話」
「ああ、一か月くらい前に連絡があってな。四月になったらうちに来るから、いろいろ準備しといてくれって」
「準備って? 心の?」
「それもあるが、家具とか部屋の片付けとか、いろいろだ」
「ちょっと待って……。うちに来るって、同居するって意味? 挨拶じゃなくて?」
「そうだよ。路教(みちたか)や母さんから聞いてないか? てっきり話が言ってるもんだと思ってたがなぁ」
「今、初めて聞いた」
 こういうことに関しては、父さんはいつだって母さん任せだ。そして誰が家にいようが対応は変わらないといわんばかりに、
「まあ、そういうわけだから、仲良くやってくれ。駒さんとは初対面じゃないんだろう?」
 そんなことを言う。
「しってるけど、やりにくいな。……じゃあ、お母さんは知ってるんだね? 二人が今日からここで暮らすこと」
「そりゃそうだよ。そういえば、今日の夕飯の食材は冷蔵庫に入っているから、人数分作ってくれって伝言だ」
「人数分……。五人分、か。分かったよ」
「え? 彰博君が作るの? あの、あたし、やるよ? お客じゃないんだし」
 いけこまが慌てた様子で前に出る。まさか僕が晩御飯を作るなんて考えもしなかったようだ。
「大丈夫です。母さんが英会話教室のレッスン日で僕の帰りが早い時は、僕が夕食を作る決まりになってるんで。それに作るの、慣れてますから」
 いつものこと、ではあるのだが、初めてこの家に来たいけこまに家のことを切り盛りされるのは、何となく嫌だった。
「でも……」
「いいんだよ。うちはみんな、役割分担なんだから。そうだろ?」
「何を偉そうに……。兄貴もちょっとは手伝ってよ」
「今日はお前がやってくれよ。当番表作ってくれるんならその日はやることにするけど、俺、普段は帰るの遅いからそれでもよけりゃあな」
 年が六つ離れているから、チェス以外の遊びをしたことがほとんどない。母さんも兄と比較するから口を開けばけんかになる。大学生になって家を出て行ってからはせいせいした気持ちになっていたが、またこの生活が始まるのか。

 かばんを片付け、着替えを済ませた僕は、五人分の夕食を作るのは時間がかかりそうだと判断し、早めに支度を始めるべく台所に立った。やれやれ、三人分ならすぐなのに、大人五人ともなると途端に面倒だ。
「夕食、なあに? どんなのがよく出るの?」
 いけこまがそばにきて話しかけてきた。邪魔ではないし、知らない仲じゃないから緊張する必要はないはずなのに、香水の匂いに胸がざわつく。余計なことを考えないためにも作業に集中する。
「えーと今日の夕食は、肉じゃがと菜の花のおひたし、ナスの漬け物、きんぴらごぼうにご飯と味噌汁。野上家の定番料理ばかりですよ。和食が多いって話は聞いてますか? 大きな声じゃ言えませんけど、うちでは六十を超えてる両親の好みに合わせて和食がほとんどなんです。洋食があってもカレーくらい。たまにはピザやハンバーグが食べたいんですけどね」
「へえ、そうなの。洋食が食べたくなったらどうするの?」
「そんな時は、レストランとかファーストフード店に行きますね。週末だけですけど。兄貴が家にいた時は二人で食べに出かけた日もあったかな」
「ご両親の好みに合わせなきゃいけないのも大変ね」
「うーん。僕は慣れてますけどね。最初のうちはキツいかも」
 洋食が出ない家と聞いて、いけこまは驚いているようだった。女の人なら、パスタとかパンとか、しゃれたものが好みなんだろうけど、父さんが洋食に手を付ける気がしない。

 夕食が出来上がった頃、母さんが戻ってきた。
「ありがとう、彰博。もうお腹ぺこぺこよー。駒さんに手伝ってもらってないでしょうね?」
「ちゃんと僕一人で作ったし」
「そう? さあ、駒さん。ご飯にしましょう。席に着いてー!」
 母さんはわざわざ確認した。
「はいはい、僕が運びますよ。えーとこれは……」
「あ、あたし運ぶよ。そのくらいはやらせて」
 横から急に手が伸びてきた。
「やれやれ。じっとしていられないんだね、いけこまは」
「うん、そうなの。動いている方が性に合ってるから」
 晩御飯の支度を見に来たり、出来上がったものを運んだり。彼女なりに、同居人として少しでも役に立とうとしているようだ。なら、やってもらえばいいか。僕は調理したんだし。
「じゃあお願いします」
 茶碗の乗ったお盆を手渡した時だった。
「彰博! 駒っちゃんにやらせるなって言ったろ! 身重なんだから、彼女は」
 兄貴が叫んだ。思わずいけこまと顔を見合わせる。
「やらせてちょうだい。みっちゃん、心配しすぎ」
「だけどさ」
「彰博君、これ持ってくね。次に運ぶものも用意しておいて」
「わかりました……」
 いきなり夫婦喧嘩はやめてほしい。ただでさえ、嫌な気持ちを抱えて帰ってきたんだから。
 この先ずっと、こんな風なんだろうか。兄夫婦が僕の居場所を押しのけ、居座ったような気がした。小さな家に五人で暮らすのは窮屈すぎる。


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