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【連載】チェスの神様 第一章 #4 計画

#4 計画

 翌日、学校に行くと、いけこまが僕のうちにやってきたことが知れ渡っていた。
「お前の兄貴、なかなかやるなぁ。いけこまとどこで知り合ったんだって? 今度、野上んちに遊びに行かせてくれよ。美人でスタイル抜群の義姉(ねえ)ちゃんが家にいるなんて、いいよなぁ」
 おそらく、情報の発信源であろう、鈴宮悠斗(すずみやゆうと)がなれなれしく話しかけてきた。
「美人を見つけるセンサーは相変わらずだね。でも、いけこまは兄貴の奥さんだから、僕は関係ない」
「同じ家に暮らしてて、関係ないわけないだろ。飯だって作ってくれるんだろ? いいよなぁ」
「でも、うちは僕が料理番だから」
「これだからわかってねぇなぁ、野上は! 俺だったら絶対作ってもらうね」
「はぁ」
「ったく、お前のその、気の抜けた返事を聞いて嫌になるぜ。お前の義姉さんがいけこまだなんて、もったいなさすぎる」
 そんなことをぐちぐち言われても、僕だって困る。大体、僕からすれば突然やってきて迷惑だとさえ思っているんだから。
「そんなに手料理が食べたいなら、エリーに作ってもらえば? 料理得意だって言ってたよ」
 僕は話題を変えた。鈴宮はエリーと付き合っている。だからいけこまのことで羨ましがるのはそもそもおかしいのだ。
 だが鈴宮は「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「映璃の料理? あいつはかわいいけどそれだけだ。ったく、生理が来ないんならヤらせてくれって言ってんだけど、ちっともさせてくれねぇ。何のために付き合ってんだかわかりゃしねぇよ。おっぱいも尻もないし、目の保養にもならねぇ」
「はぁ」
「まぁ、お前にゃわかんないだろうぜ。せいぜい、映璃とはチェスごっこでもやってな」
「ごっこって……」
「おっと、怒るなよ。冗談だぜ」
 僕が眉を顰めると、鈴宮はさっさとどこかへ行ってしまった。
「あいつとはかかわりたくないな……」
 同じクラスだから嫌でも顔を合わせなければいけないが、それ以外では話したくもない。エリーはあいつのどこに惹かれて付き合っているんだろう。
 顔立ちが整っていてスポーツマンだから、女子の人気が高いのは知っている。だけど、頭の中はいつだって女の子のことでいっぱい。不潔だとさえ思う。

   *

 放課後、「ごっこ」と言われた部活に向かう。ただ駒を動かしているわけではない。いかにして勝つか、常に戦略を練っている。相手の動きを考えている。いつだって真剣そのものだ。
「今日も早いね」
 やはり一番はエリーだった。
「だって部長だから。鍵、開けておかないと誰も入れないでしょ」
「そうだけど」
「……どうかした? 顔色が優れないみたい」
「僕? うーん、そうかもしれない」
 僕は今朝の出来事を正直に話した。エリーは「しょうがないやつ」とため息をついた。
「ごめんね。あいつ、いつでもそんなことしか言えなくて。サルみたいよね」
「……エリーは鈴宮のどこが好きなの?」
「どこって……顔かな」
「そう」
 平凡な答えにがっかりした。もっと聡明だと思っていたのに、顔で付き合う人間を判断していたとは。
「ごめん、今日は部活やすむ」
「……わかった。顔色悪いもんね。お大事に」
 エリーのことだ、自分の発言が僕の気分を損ねたことに気づいているだろう。だからこそ、素直に僕を帰してくれたんだと知っている。
 昨日から僕の調子は崩されっぱなしだ。人に何かを言われただけで怒ったり落ち込んだりしている。今までこんなことはなかった。

   *

 家に着くと、いけこまがちょうど車を車庫に入れるところだった。妊婦は仕事を早めに切り上げられるんだろうか。
「お帰り、彰博君。今日は部活休み?」
「なんか、調子でなくて」
「そっか。うん、そういう日もあるよね。あたしもなんだか体調がすぐれなくて早退しちゃった」
「どおりで早いと思った」
 二人して帰宅すると、さっそく母が出迎えた。
「あらあら、おかえりなさい。もう、晩御飯の下準備は済ませてあるからね。おなかがすいたらすぐできるわよ」
 そうはいってもまだ4時半だ。晩御飯には早すぎる。せっかちな母だ。
「あたし、ご飯作りますから。お母さんは休んでいてください」
「いいの、いいの。仕事して疲れているでしょう? のんびりしていなさい。身重なんだし。つわりは平気? とにかく、食べられそうなものだけ食べればいいから。ちなみにね、私の時は梅干ししか食べられなかったものよ。特に、彰博の時が辛かったわ」
「……あー、そうなんですか。それじゃあお言葉に甘えさせていただきます」
 明らかに戸惑っているのが分かった。居場所を作りたいのに奪われる。まだまだいけこまの苦悩は続きそうだ。
 昨日の出来事で僕はちょっとだけ、一歩前へ踏み出す勇気を振り絞ろうと決めた。親や兄貴に振り回されるのはもう嫌だ。いけこまにも同じ思いをさせたくない。
「いけこま。チェス、出来る?」
「チェス? ルールは知ってるけど」
「やることないなら、一戦、どうですか?」
「彰博君、チェスが好きなの?」
「こう見えて、チェス部の副部長」
「副部長さん!」
 いけこまは本気で驚いた顔をした。僕は肩をすくめる。
「といっても、三年生が二人しかいないから、部長と副部長の二択しかなかったんですけどね」
「そんな経緯があったとしても、何だか強そう。副部長ってだけで」
「まあ、手加減はしますよ」
「そう? なら、やってみようかな」
 自室はお世辞にも片付いているとは言えないから、僕は部屋からチェス盤と駒を持ってくると、居間のテーブルに置いた。
「彰博、駒さんに迷惑かけちゃだめよ」
 母さんが台所から何か言ったが、気にしない。
「白、どうぞ。先手の方が勝率高いんで」
「ではでは、お願いします」
 いけこまが畏まって挨拶をする。最初のポーンが動かされる。
「はい、そう来ましたか。なら僕は……」
 すぐに動かして次の手を読む。
「えーと、それじゃあ次は……」
 いけこまはずいぶんゆっくりと、悩んだり迷ったりしながら駒を動かしている。
「そういえば昨日、兄貴に言えました?」
 無言でやるのもなんだから、互いに三手進めたところで問うた。いけこまは静かに答える。
「ううん。結局言えなかった」
「どうして?」
「はは。我ながら情けないけど、やっぱり勇気が出なかったの。自分でいうって、言ったのにね」
 どうやらいけこまも、あの兄貴に対して苦戦しているらしい。どうしたら勇気を振り絞れるように手伝えるだろうか。すぐに答えが出せないのは僕も同じだった。


 戦いは十数分続いた。わざと不利になる場所に置いてみたり、ちょっとアドバイスしてみたり。まるで一年生に指導しているみたいでついつい夢中になる。
「参りました……」
 手詰まりしたと感じたのか、いけこまは降参した。初心者でここまでやれるんだから、なかなか筋がある。もしかしたら、兄貴とやったことがあるのかもしれない。
「途中、いい線行ってたんですけど、惜しかったですね」
「ちゃんと勉強しないとね。基礎を学べる本があったら貸して欲しいかな」
 案外真剣そうな顔つきだったので、チェス部副部長の血が騒いだ。
「じゃあ、ちょっと待っててくれますか? 僕の部屋にたくさんあるんですよ、基礎の本っていっても」
 立ち上がると、いけこまがくすっと笑った。
「ねえ。ひょっとしてチェス部って彰博君が作ったの?」
「違いますよ。もとからありましたよ」
「ごめん、気に障ったなら謝るね。でも、チェスにまっすぐな彰博君みてたら、部を立ち上げて引っ張っていく力もあるなって思ったのよ」
 そんな風に言われたのは初めてだった。
 チェスは陰気な人間の集まり。日の当たらない部活。落ちこぼれの行くところとさえ言われている。でもいけこまはそうは言わず、僕の誘いにも乗って一戦してくれた。
 先生だから? 一瞬そう思ったけど、そうじゃないとすぐにわかる。
 いけこまがそういう人間なのだ。お人好しで、人のいいところを見つけようとしてくれる、本当にいい人。先生とか、年の差とかを感じさせない。なのに、兄貴は自分の型にはめようとしている。
 不安や寂しさは最初だけ。慣れるまで辛抱しろってやり方はあんまりにもかわいそうすぎる。挙句、僕がそういったとしても「お前が偉そうに言うな」と一蹴するに決まっている。その上から目線が大嫌いなのだ。
「いけこま。ちょっとこっち来て」
 僕は母さんに声が聞こえない場所まで移動した。いけこまはきょとんとした顔でついてくる。
「なぁに? 改まった顔で」
「無理しないでくださいね」
「えっ?」
「結婚したからって、我慢しなきゃいけないってこと、ないと思うから」
「ありがとう、やさしいのね。でも、大丈夫よ」
 嘘だとすぐにわかる。それがたまらなく心配になった。

 なんとかしてあげたい……。

 そう思った瞬間、答えが下りてきた。
 僕は声を低くして言う。
「あのさ、いけこま。……僕と家出してみる?」
「ええっ?!」
「しっ! 声が大きいってば!」
「あっ、ごめん!」
 彼女は自分の口を押さえて母さんのいるほうに目をやった。こちらに来る様子がないのを確かめてから、
「でも、家出って急にどうしたの?」
「兄貴を一泡吹かせてやりたいなぁって思って。不満なんでしょ、いろいろ」
「あぁ、二人で出かけるって意味ね」
 彼女は安堵の表情を浮かべた。でも僕は本気だ。
「いけこまはおなかに赤ちゃんいるし、無理はしませんよ。でも、兄貴が心配して探し回るくらいには家を空けてもいいんじゃないですか?」
「んー、でも、そんなことしたら彰博君が怒られちゃうんじゃ」
「僕は大丈夫ですって。慣れっこなんで。心配なのが僕のことだけだったら、やりませんか? そうだなぁ、次の週末にでも」
「週末かぁ」
 いけこまはしばらくの間考え込んだ。僕は何も言わず答えを待つ。
「うん、わかった。この先、ずっとこれじゃ駄目よね。あたしもここらで覚悟を決めなきゃね。やりましょう」


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