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『インタビューのワークショップ|7つの逐語録』への期待と、最近の思考

インタビューそれ自体はもちろん、インタビューを「学ぶこと」こそがライフワーク。そう考えるくらい、聞くことが仕事の中心から少し離れた現在もなお、学ぶ意欲が衰えない。

4月末、岩手県遠野市で開かれる『インタビューのワークショップ|7つの逐語録』に参加する。西村佳哲さんが主催する「インタビューのワークショップ」への参加は、2010年9月以来、実に14年ぶり2回目になる。

このnoteでは、自分が今どんな心境/思考/過程で、この場に臨んでいくのかを綴る。


一.学ぶこと

ストレングス・ファインダーの上位5資質の中に『学習欲(learner)』がある。

「学習欲」の資質が高い人は、学習意欲が旺盛で、常に向上を望んでいます。結果よりも学習すること自体に意義を見出します。

https://www.gallup.com/cliftonstrengths/ja/253454/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%AC%B2-%E8%B3%87%E8%B3%AA.aspx

この端的な定義にある通り、学んだ結果どうこうよりも、学ぶプロセスそのものが人生の目的になっている。ちょうど旅が、移動することではなく、道程を味わうことを目的にしているのと同じように。

学びの対象となるテーマは、業務上の役割や担当するプロジェクトの背景によって定まることが多い。ただインタビューに関わる領域は、歴史やデザインと並んで、昔から何周もしている個人的な興味領域だ。読んでは書き、忘れた頃にまた戻ってくる。

・取材、ヒアリング
・カウンセリング、コーチング
・ファシリテーション
・編集、文章術、書くこと

twitter(現X)でためになる短文が日に日に回覧される中、学びは断片的になりやすい。集中力が衰えていて、読書すら、つい目移りしてしまう。そんな中での、遠方ワンテーマ四泊五日だ。ひとつのテーマを学び抜く、これほど贅沢な時間は、得がたい。せっかくだから外界のノイズを徹底的に遮断して、瞑想的に、学びだけに没入したい。

二.問うこと

先日、所属先の事業全体会議で、最新の戦略に関して事業部長(的な人)にあれこれ質問したら、複数の同僚から「質問してくれて助かった、おかげで理解が深まった」という声をもらった。嬉しかった。

よい質問をすることは、相互理解を深めることを助ける。エドガー・シャイン博士も、『問いかける技術』で、相手への謙虚な問いかけ(Humble Inquiry)によって関係が発展し始めるとしている。問い方が、重要になる。

私はインタビューの事前準備が大好物だ。最近珍しく、クライアントへのN1インタビューで聞き手を担当した。当日までには、受注当時の商談履歴からCS(カスタマーサクセス)セッションの議事録までひっくり返して、関係する人名や背景情報を吸収した。調べれば調べるほど、具体的な問いが出てくる。何十個と用意した質問を、当日そのまま使うことはほとんどない。ただ限られた時間の中で「見えていない景色を見る」ために、悔いの残らない準備は常にしておきたい。

その上で、インタビューにおける問いは、話し手の言葉に応じて、その場で生み出されるものだ。問いの反射神経を鍛えるのは難しい。さまざまな問いのストックと、ふだんの思考量と、あと何があればいいのか。

前回参加した『インタビューのワークショップ』では、5泊6日の全日程が終わるまで、「自身が何者であるかを開示しない」というルールがあった。もちろん、聞き合う中で様々な情報が明らかになるわけだが、仕事の内容や所属先など、通り一遍の外形的な情報をマスクすることで、いまこの瞬間目の前に居る、生身の人間だけと向き合わざるを得なくなる。問い、答える、その繰り返しの中でしか得られない情報を受け止め、新たな問いを組み立てていく。これは相当の集中力を要する、とても高強度のトレーニングになる。

三.聞くこと

前職での10年間は、期待した以上に「聞く中心」の仕事だった。プロジェクト最初期、要求事項収集のためのヒアリング。設計やデザイン提案に対するフィードバックの収集と改善。記事コンテンツのためのインタビュー取材。特に得意としていた最上流工程(プロジェクト計画、要件定義)の成果は、聞く力に支えられていた。

一昨年の春に転職して、随分「聞く」が周縁に移ったような気がする。もちろん毎日たくさんの打合せに参加して色々な話を聞いているわけだが、自分が誰かの話を主体的に聞いてアウトプットする機会は、「あればテンションが上がる」くらい、非日常的な頻度になってしまった。

とはいえ、「聞くこと」が組み込まれた変化もある。1on1だ。上長、チームメンバー、ななめの関係、時には業務上の接点はわずかしかない相手とも1on1が発生する。オンライン30分の1on1に、明確な目的はあったりなかったりする。しかしどのような場であれ、1on1がコミュニケーションの基本形として定着している環境は、居心地が良い。1on1で関係を築くことはもちろん、聞くことでものごとを前に進める機会は多くある。

自分が関わる1on1は、もっとしっかり聞く方に寄せていきたい。聞くというhumble(謙虚)な関与を意識的に積み重ねる中で、仕事と人生の重なる領域がまた増えていきそうな感覚がある。

四.疑うこと

同僚との会話で「その言葉、額面通り受け取らない方がいいよ」と言うことが増えた。深読みのしすぎかもしれない。疑り深いだけかもしれない。それでも、「発せられた言葉が、かならずしも真意じゃない」ことは多いと思う。思考の全てを、一つ一つの言葉に的確に反映させることは、誰だって難しい。そんなことは分かっているのに、つい、表面的な言葉に不必要に反応して、誤解したり曲解したり盲信したりしてしまう。

「引っかかる言葉」は、まだ言葉にされていないことを探るための、鍵の一つだと思う。「引っかかる言葉」が出てくると、話し手・聞き手双方にとってチャンスが訪れる。聞き手はただ、その引っかかる言葉を繰り返したり、「今の○○という言葉についてもう少し教えてください」と問えばいい。

「言いよどむ瞬間」も重要だ。言いよどんだ後に発せられた言葉、言葉とともに表出される言葉以外の情報にこそ、真意が乗っていたり、真意が乗り切らない理由が潜んでいたりする。

今回参加するのは「逐語録」が柱のプログラムだ。ケバトリした機能的なテープ起こし原稿では姿を消してしまう、迷いや、沈黙や、感情表現をも、文字に起こして検討するプロセスだ。いったいどれだけ、「言葉にされない言葉」が見つかり、「言葉にされた表現の立体的な意味」と出会うのだろう。「疑う」というとネガティブに響くが、「複雑さとともに受け取る」とすればどうか。

五.見ること

現所属先には『景色の交換』なる独特の表現がある。自分の見えている景色を伝え、相手の景色を知り、お互いの解釈を合わせにいくこと。これはまさに「inter-viewing」であり、先述の1on1とあわせて、企業カルチャーの基礎になっていると思う。

異能を掛け合わせることで、見たこともない力が立ち上がる。
私たちは、価値観、経験、人種、国籍、民族、宗教、性的指向、身体・知的・精神特性、強み・弱みなど、一人ひとりの異なる個性を歓迎する。そして、共に目指す世界をつくるために、思いや考えを直接当事者に伝え、想像力をもって受け止め、互いの景色を交換する。オープンコミュニケーションの可能性を信じ、分かり合うことを諦めない。

https://www.uzabase.com/jp/about/

会話を通じて合わせるものなのに、「景色」という視覚表現なのが面白い。

私は圧倒的に視覚優位なタイプで、「見える/見えない」「解像度」「ビビッド」「絵」といった表現を多用しがちだ。「引っかかる言葉」も、実は言葉群の中で光って見えている。そのぶん、「見えない」コミュニケーションには弱い。

だからこそ、逐語録を媒介として現れる言葉に向き合った時、自分がどれだけ聞くだけでは見えていなかったのか、明らかになるような気がする。

六.在ること

インタビューに関連して、目下、臨床心理学・カウンセリング関連の読書量を増やしている。一つには、前回のワークショップでも少し引用のあった、『来談者中心療法』のカール・ロジャーズ。

諸富さんは、ロジャーズの「傾聴」とは、単なるオウム返しや聞くだけの姿勢とは異なり、『クライアントが自分自身を聴けるようになるため』の行為であると説く。そうした「深い、ほんものの傾聴」という在り方が体現できている時、「受容、共感、一致」という側面が現れるのであり、逆ではないのだとする。

精神分析やカウンセリング的な関与ではない場面でも、ロジャーズの考え方は、聞き手としてのあり方に明確な方向性を示す。聞き手のあり方が話し手にまで波及する。日常会話においては意図しない副産物であっても、悪くないことのように思える。

そしてもう一人、ロジャーズと同世代人の思想家、エーリッヒ・フロム。フロムについては先日、もう一人の師である淡路島のファシリテーター・青木マーキーが主催する読書会に参加し、じっくり読むことができた。

『聴くということ』の7章にはロジャーズ批判も登場する。フロムの考え方は、ロジャーズよりもはるかに能動的・関与的なスタンスを取る。解釈を加えず、「聞こえたことを言う」ことで応答し、その応答にさらに応答することを繰り返す。違うことを言っているようで、スタンスには共通点も多いと思う。

私はセラピストでも支援職でもないが、臨床から学べることはとても多い。臨床心理学・カウンセリングは歴史も長く、読むべき本も膨大にある。あらためて「在り方」という学びの道が、随分と奥まで伸びているように思える。

七.話すこと

ここまで、おそらく当日までに訊かれるであろう「なぜ、インタビューのワークショップに参加するのか」を、問わず語りで述べてきた。実際にこれを問われた時、その場で自分が何を話すのか、とても興味がある。構成的な長文だからこそ書けることのほとんどは、おそらく話せない。その時思い浮かんだことを、率直に話すと思う。

自分語りは得意だし、マイクを握れば喋りたいことはどんどん出てくる。けれど、時折、言葉を探しに行く途中で道に迷って「まあ、いいか」と飲み込んだり、「何も話したいことはない」モードに入ったりすることもある。

これまで落ち込みが深刻なときは、藤田琴子コーチのカウンセリングを予約して、イメージワークを通じて、その時見える絵を言葉にして吐き出してきた。ジュリア・キャメロン流の「モーニングページ」で、頭の中にあることをノートに書き出すことも時々やっている。

どのように「聞かれる」ことで、話し手としての自分が変化するのか。インタビューの学びは、どちらかと言えば「聞く側」に寄りやすい。一方で、聞き手の在り方が意識的であることによって、話し手の在り方がどう変わりうるのかにも、注意深く目を向けていきたい。


▼「インタビューのワークショップ」に関する過去のnote

cover: UnsplashLex Melonyが撮影した写真

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