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Road to Prima Donna : 第1回教養のエチュード賞 感想戦

嶋津亮太さん主催『教養のエチュード賞』第1回、【プリマドンナ賞】をいただいた。

正直なところ、この賞をもらうか、「あえて外しました」って言われるかの二択だと思っていた(後者の場合は逆に嶋津さんにインタビューしに行く逆プリマドンナ賞をオファーするつもりだった)。

そのくらい、ここ1ヶ月と少し、この企画および嶋津さんとはとことん楽しく遊ばせていただいた。感謝とリスペクトを込めて、経過と作品のメイキングをまとめてみたい。

フルスイングでの参加を決めた理由

教養のエチュード賞の募集が発表された10月1日は、自分史上最もnote熱が高かった時期、真っ只中だった。

🍺最高の公式コンテスト「あの夏に乾杯」が結果発表を経て終幕を迎え、

🍻 #呑みながら書きました をはじめ、マリナ油森やあきらと(敬称略)が仕掛ける、種々のハッシュタグ自主企画に積極参加していて、そして

🍶第2回note酒場に向けてテンション爆上がりの頃だった。

(ちなみにこの頃は本業も嵐の前の静けさ🌊で、心の余裕もあり気味だった)


嶋津亮太さんのことは、実はそれまで全然追っていなかった。ヤマシタマサトシさんのイチオシピックは当時気づいておらず、たぶんサトウカエデさん経由で『両手ひろげた分に幸せを』(9/29)を読んだのがフォローのきっかけ。この記事の直後に、コンテストの発表があった。

だから、「この企画、いっちょガチで絡もう」と思ったのは、タイミングの妙と言うしかない。そんな経緯で頭から、強い興味を持って追い始めた。


「出題意図」を考える

応募作品を構想する前にやったのは、嶋津さんの過去の記事をざっと読むこと。初期のnote―壮絶な闘病のこととか―や、れもんらいふデザイン塾のレポート、そして賞名の由来でもある彼のオウンドメディア『教養のエチュード』サイトの記事などをざっとインプット。

このタイミングで既に感じたのは、嶋津さんとわたしの間に、性格上の共通点かがかなりあるということ(しかも同い年)。たぶんcotreeのアセスメントコーチングを受けたら情報欲とフットワークがグンと強く出て、エクスプレッシブな感じになるんじゃなかろうか?(やや適当……)


「教養のエチュード賞」という正体不明のコンテストのポイントは、選考基準がないんじゃなくて、嶋津さん自身が選考基準であるという仮説。嶋津さん自身は「予想できない」と明言しつつも、部分的には推測しうるという考え。この思考回路については、『#教養のエチュード賞 受賞作品をガチで予想してみた』にまとめた(結果的に、副賞は一部当たり、大賞は完全に外した。もっともこの記事とて、私自身の遊び方の表明に過ぎない)。


そこから結局、読みたいことを書けばいいんじゃん!と腹を決めて、1本書くことにした。

全力で、賞を狙うことを決めた。


作品を作る

ちょうど #本棚をさらし合おう という企画が動いていたタイミングで、ジャンルを強く縛った本の紹介を書きたいなと思っていたので、これで勝負することにした。当時はまだ毎日更新を続けながら並走で、この4000字を書きあげるのに、1週間使った。

取り上げた4人の作家=冲方丁、飛浩隆、伊藤計劃、上田早夕里の各氏が、全員SF大賞受賞者だと分かった時点で基本構造は確定。ここに「思考」と「学び」を揃えて組み立てていく(これが、なかなか、しんどかった。。)。

田中泰延メソッドの初手、入念な取材。この書評作品を書くにあたり、Kindle Paperwhiteの文字サイズと行間を最小にして通しで速読し、筋を思い出しながら引用するフレーズを探した(なお、この操作はPaperwhiteの充電をすごい食う)(小説の速読をほんとうに実践する日が来るとは……!)。

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そこから各作品に対して「変える制約条件」と「思考の軸」という切り口で文章を組み立てた。4作中で最もポピュラーなタイトルである『虐殺器官』が、いちばん苦戦した。

▼構想ノート(第2稿)。

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投稿前、「サマトレ」以来の盟友であるサトウカエデさんにレビューを頼んだ。ありがたいことに、すぐに、インコース速球が返ってきた。

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それで書き足したのが最後の三段落。

最終的に、判断を左右するのは、想像力(imagination)だと思う。

その力の向かう先に/そのことばの向かう先に、存在するものを想像する。その行動が引き起こす波が打ち寄せる先を、想像する。

SF作品を読み込むことで、わたしたち読者は想像力を磨く。文字が描き出す、リアリティのある虚構世界にどっぷり没入して、くりかえし想像し、くりかえし思考しながら、来たるべき未来を迎えるのだ。

この「締めの塊」が足せた瞬間に、手前味噌だけど、すこし涙が出た。

書けた、と思った。

これはちょっといけるかな、という手応えはあった。編集部のおすすめにも入ってスキは100を超えたし、結果的に賞をいただいた。

でも、仮におすすめも受賞も外していたとしても、思い通りに言葉が出てこない葛藤を乗り越えて、最後まで書き切って公開ボタンを押せた時点で、もう満足だった。

このチャレンジは、教養のエチュード賞がコンテスト=競争ではなかったとしたら、やっていないと思う。勝とうとするから、リスクを取る意思と、いままでと違う工夫が生まれる。

だから、嶋津さんが熱くなれるコンテストという稀有な機会を用意してくれたことにまず、心から感謝したい。


応募作品を追う

ハッシュタグ一覧から定期的にエントリー作品を拾い読みしていたら、日を追うごとに、「一体この賞はなんなんだ……!」という驚きが重なり、ますます賞が面白くなるという善循環が生まれた。

たとえば『「食べたい気持ち」が当たり前じゃなくなった日』、10月3日。『ゆなさん』、10月9日。『諦めと鈍感野郎の照れ隠し』、10月11日。コンテスト期間の初期から、気になる作品/気になる書き手/気になるアプローチが、次から次へと出てくるのだ。ひとつのコンテストが触発する、視点の多様さ、表現方法のバリエーション。note上に存在する創造性は、際限がないなと思った。

教養のエチュード賞を追うことて、「編集部のおすすめ 」などとは全く別の枠組みで、次々と自分の新しい"好き"が見つかっていく。

"帯"と呼ぶ、noteリンクに引用やコメントを添えてtwitterに流すことも習慣になっていた。既につながりのあるnote仲間たちの投稿に「さすがやな……!」という反応を表明して会話するのも楽しかったし、新しい"好き"を仲間たちと共有するのも楽しかった。投げ銭=サポートしようと思ったことも何回もあるけど、まあコンテストの結果発表までは同じ土俵だしなと思ってフラットに。


えらばれた作品を見ていくのは効率がいい。逆に「一次発見者」になるためには、相当の時間投資と忍耐が必要になる。自分とて、一参加者という無責任な立場で、「つまみ食い」をしていたにすぎない。全部網羅するという、個人=主催者=嶋津さんの覚悟と根気には、脱帽する。

とはいえ、評価がつく前からいっぱい読んでコメントをつけていくというのは、コンテストの楽しみ方のひとつとしておすすめしたい。結果だけを待っていたら、精々25作品ぐらいしか出会えない。モザイク的に多様な応募作品群の中から、まだ見ぬ"好き" をいちはやく発見できたときの喜びは、一入である。


作品群を触媒として、主催者の嶋津さんとも会話量が増えた。note DJ primadonna「おびコレ」を通じた言葉の応酬も、本当にわくわくした。


感想の感想

そして、いま。結果発表を受けて、たくさんの人が感想を綴っていた。その内容がどれも面白いなと思って、勝手ながらマガジンにまとめている(「 #教養のエチュード賞 」の検索で探しうる記事にほぼ限定している)。

結果はもちろんのこと、結果如何にかかわらず、嶋津さんに読んでもらえたこと、嶋津さんにコメントをもらえたこと、それだけでめちゃくちゃ嬉しいと感じた人がたくさんいる。嶋津さんにとっては、もれなく読むことも、丁寧なコメントを書き続けることも、簡単ではない取り組みだったと思う。嶋津さんにしかできない賞、嶋津さんだからこそ花開いた賞。その膨大な"Give"に見合う以上の収穫を、きっと彼は、得ているのではないだろうか。


第2回のことをさっそく外野からとやかく言うと、鬼が笑うかな?

まずは改めて嶋津さん、ほんとうにすばらしい賞の運営、おつかれさまでした。とことん楽しいひとときと、たくさんの学びを、どうもありがとうございました。

『プリマドンナ賞』のインタビュー、心より、お待ちしています。

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