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悲しんでくれる人

去年、同級生が自殺した。中学校の同級生。別に仲が良かった訳では無いし、当時会話したことがあるのかも怪しい。どんな人だったかと卒業アルバムを開くと、想像していた顔とは全く違った。それくらい記憶の奥底の人物だった。冷たい人間だと思われるかもしれないが、彼の死に対して思うことは何もない。

今、この瞬間に死んだらどうなるんだろうって考えることがある。横断歩道で赤信号を待っている間とか、ホームの1番前に並んでいる時とか。目の前に死がある瞬間、ふと、私は死について考える。今死んだら、悲しんでくれる人は居るのだろうか。そもそも、いつぐらいに私の死に気が付くのだろうか。死んだ瞬間には気が付かないだろうし、翌日か、翌々日か、もしかしたら1週間以上あとかもしれない。あの人にはどのくらいで伝わるんだろう。また、あの人には…。

普段頻繁に人と連絡を取り合っている訳では無い。だから恐らく返信が無かったとしても、気が付かないだろう。Twitterやインスタは頻繁に更新しているから、更新が止まったことに不信感を持つ人が現れるかもしれない。なんてことを思ったが、そんなにみんなに注目されているわけが無い。ストーリーだって、画面ポチポチで飛ばされているに決まっているのだ。私に興味がある人間なんて居ない。

葬式には何人来るんだろう。何人来てくれるんだろう。それは死んで見なければ分からないけれど、死んでしまったら分からない。死後の世界をロマンとして信じてはいるのだが。本当にあるのかも分からないから。

例え今この瞬間に絶命したとして、この世に未練はひとつもない。やりたいことはあっても、別に良いかな。強いて言えば、もっとちゃんと生きればよかった。ちゃんとしたい、なんて言葉は難し過ぎるけれど。ちゃんと生きたかった。そうすれば、みんなから愛される人間になれたかもしれない。自分のために何かをしてくれる人が、現れたかもしれない。今とは大分違ったんだろう。

別に今すぐに自殺したいという訳では無いけれど。

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