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映画業界 ハラスメント体験記【奴隷日記#5】

いざ愛知到着!

アキさんの司令の元、愛知の商業現場へ向かう道中、美術準備の大まかなスケジュールやクランクインの時期の話を受け、ようやく私とJ太郎は、作品の全貌を理解し始める。が、そこで出た宿泊場所が今後大きな問題を孕むことになる。

当初の説明では、急遽私の参加が決まったため、ホテルが取れないという事だった。そのため最初の数日間は、現場近くの寺の宿坊で寝泊まりするとの説明を受けた。しかし、いざ到着し、プロデューサーと制作部チーフのマキさんに会うと、どうも様子がおかしい。どういうわけか、クランクインまでここで過ごすという話をしている。向こうサイドでは、ずっと宿坊でという話だったようで、つまり、アキさんは私たちに虚偽の説明をしていたのだ。全く、なぜそんな嘘をついたのか、と二人で話していたのだが、より深刻な問題は、その宿望にあった。40畳一間の部屋で、つまり起きてから作業をし、寝床に着くまで、実に24時間プライベートがないことになる。

その話をあまり聞かせたくないのか、我々は、持ってきた美術品を車から下ろしてこいと命令され、その場を去らされる。作業の合間、「ずっとここ?」と困惑の私に「オナニーできひんな」と笑うJ太郎。我々若者にとっては、辛い作業の後の発射にこそ幸福を見出すのだが、それも難しそうだった。その時は、その程度の冗談で済ませていた。

 

周辺の散策、嘘だらけの初日

出発の折、愛知では、アキさんの古くからの弟子たちとナガサワさんという愛知の活動屋(元劇団維新派)と私たちで作業を進めると聞いていたが、結局そんなものは出鱈目だった。いるはずの弟子たちは、誰もがアキさんからの電話を無視し、運転手さえ見つけられなかった。そのせいで私は、地獄を味わうことになるのだが・・・ナガサワさんという存在も、アキさん自身が”アイツ苦手や”と協力を拒んだことで、結局我々3人だけの美術部となった。

上同士の打ち合わせが済み、我々は休息なしに周辺の散策に移る。余談だが、私は、映画作りの上での長時間の拘束には、やや仕方のないものを感じているが、それには定期的な休息が必ず必要だと思っている。

その日は朝の8:00より大阪で積み込みを始め、大阪を発ったのは11:00頃のこと。そのまま愛知まで運転し、積み下ろしたのが15:00頃だった。この間、車内ではかろうじて喫煙を許されたものの、ロクな休息はない。朝食は運転中に済ませたものの、昼食休憩もない。もちろん助手席のアキさんは睡眠をし、到着後は打ち合わせや宿坊の挨拶で、茶まで飲んでいる。我々は座る事もままならず、座れたとしても勿論正座であった。ここまではまだよかった。

ナガサワさんが「学生も疲れたろうし、近場で飯でも」と提案をするも、「今日はちょっと周辺の店を洗って、17:00くらいにはお開きなんで」と断るアキさん。それっぽいことを言ってはいるが、その実、ナガサワさんが苦手なだけなのが、彼の人間が出ている。

周辺の散策と聞いていたので、軽く車を回して、買い出しに必要な店の把握をするのだとばかり思っていたが、15:00に出発した散策は22:00まで及ぶことになる。結局、愛知全域を縦横無尽に走らされ、段取り下手のアキさんのナビゲーションのおかげで、行ったり来たりさせられることに。その間、飲まず食わずで運転を続けた私は、もはや疲労困憊である。

「次は休憩」といいながら、結局運転は続く。彼は運転を休憩だと思っていたのだろうか?ましてや免許を持たないアキさんと、ペーパードライバーのJ太郎のおかげで、私はこの日10時間に及ぶ運転と、走行距離500kmを記録する。もう一度言うが、こういう長時間の拘束は多少仕方ないものだと理解している。それでも飲まず食わずの休息なしは許容範囲を越える。

ただ、格安で家具が手に入るチェーン店を発見したという大きな収穫があった。

「映画を作る準備が順調に進んでいる」

そういう気持ちが疲労を癒してくれる。その日は流石に疲れたのか、アキさんも帰りの道中でずっと寝ていた。アキさんは常日頃から、

「俺のポリシーとして、助手席に乗ったら絶対寝ない

と言っていたが、ずっと寝ていた。うとうとした姿を可愛く思えた最後の瞬間だった。

 

次したら殺される貧乏ゆすり

私は夜の渋滞に苛立ち、貧乏揺すりをしてしまった。疲労に加え、睡魔に襲われた私は、貧乏揺すりをしてしまったのだ。目を覚ましたアキさんは

「それ、次したら殺すぞ」

と私に言い放ち、再び寝に入る。少し偏屈で性格の悪い私は、再び貧乏揺すりを始める。やはり起きるアキさん。睨み返す私。戸惑ったアキさんは、

「ドウ、悪かったって」

となだめる。私が怒るのは当然だ。ずっと休息なしで運転する者が、貧乏揺すりひとつで、ずっと寝ていた貴様になぜ殺されなくてはならないのか。怒りが溜まっていた私は、

「愛知で上手い飲み屋連れって下さいよ」

と半ば強引に飲み屋に向かわせる。

疲れを癒す世界の山ちゃん!

到着したのは三河安城駅中の世界の山ちゃん。浴びるほど飲んでやろうと勇み足で向かう。宿坊からほど近いこの居酒屋に、私は15日間の滞在で計8回行くことになる。我々から行こうと言ったのはこの日だけのことで、それ以外は全てアキさんからの命令である。

飲み屋のアキさんは本当にいい人なのだ。何でも食わせてくれるし、酒もたらふく飲ませてくれる。下戸のJ太郎は、決まってはじめに丼を頼み、「飲み屋の一発目に丼を頼むな!」と小言を言うことはあっても、酒を強要される事はなかった。

1日の疲れが吹き飛ぶ最高の瞬間だった。あの日のビールと手羽先の記憶だけで、今でも酒が飲める。

「明日からの飯も、気にせんとなんでも食えよ。一応制作部から上限700円って聞いてるけど、気にせんでええから」

と話される。この文言は覚えていて欲しい。のちに、大問題となる。結局、解散は深夜2:00に及ぶ。帰りの道すがら、飲み過ぎたアキさんは、朧げに明日は7:30と言い残し、足早に宿坊へ入っていく。

 

地獄の宿坊、汚れた身体

当然、宿坊には住職をはじめ、寺の人間が住んでいる。2:00に戻ってきた私たちを良くは思わない。後日、クレームが入る。もっと早く帰ってこい、風呂は夜に極力入るな、等々。その日以降、戻ってくるたび抜き足差し足の泥棒のように40畳一間の部屋へ向かって行く我々は、非常に惨めだった。

結局、その日は風呂にも入れず寝ることになる。そして翌朝、風呂に入る。檜風呂だ。いい匂いがした。ただ、アキさんに

「あとでカビとか問題にされるの嫌やからシャワーだけで入れ」

と命令されていた。住職が気を遣って入れてくれた満杯のお湯を、ひもじく見つめるのが私の日課になった。時期は3月。まだ肌寒い朝に、我々は震えながら入ったことを記憶している。ちなみにアキさんはここから3日間風呂に入らなかった。

勿論、宿望は畳だけの衝立もない部屋であった。アキさん、J太郎、私は5mずつ離れ布団を敷いたのだが、やはり気を遣った。トイレに立つたび、また、夜のスマホの明かりさえ鬱陶しがられる。その上、風呂にも入らず、着替えもせず寝に入るアキさんは、ものの3分もあれば寝てしまう。会話もままならない私とJ太郎は、寝る直前まで宿坊の外の喫煙所で時間を潰すことになる。

3月の風は体の芯に迫った。耐えきれない寒さに震えながら、J太郎と私は、毎日晩酌をした。アキさんの愚痴を溢しては、恋人に電話をし、夜食にカップヌードルを喰らいながら、自分たちの卒業制作の話を進める。あの時間は、我々の精神上、必要なものだった。結局初日は、そんなこんなでJ太郎は3:00頃に寝る。私は、卒業制作の多くの準備を後輩に任せたものの、台本だけは任せられず、4:30頃、寝落ちすることになる。

 

迎える2日目、怒涛の運転地獄は続く

早朝、とにかくロケ地を見なくては話にならないと、ようやく下見にむかう。普通のアパート。ここで映画が生まれるのかと拍子抜けした。まだ何もないがらんどうのアパートを見て、先の作業に不安が走る。次に向かったロケ地は、埃の被った木造の平家、廃墟だった。まずは掃除からだ。再び先の作業に人手不足の深刻さを感じる。この二つのロケ地に美術を仕込む、一体どうなるんだという期待感で、J太郎は嬉しそうだった。

この後、昼食を済ませた我々は、名古屋市のエディオンのすぐ隣、ナガサワさんの美術倉庫へ赴く。ここで多くの美術を拝借し、「まだまだ倉庫あるよ」という金言に、アキさんは”ナガサワ大明神”の相手は任せたと、J太郎を差し出す。この日は以降、私とアキさんの二人きりになる。

「キンブル」という初日に見つけた格安家具店を回っていくのだが、これが厳しかった。この店は、愛知に4店舗構えており、2日目は全て見て回ることになる。初日でも2店舗回ったのだが、改めて見たいそうだ。上はほとんど岐阜のあたりから、愛知の南部にまで、結局全てを周り、道中のリサイクルショップに寄っては物色する。多くの買い出しの後、J太郎と再合流。ハイエースいっぱいに積み込んだ家具をロケ地に運び込み、なおキンブルへ向かう。結局、キンブルの大府店とみよし店を、計4往復した後、最後に弥富店という離れた店舗を周り終了する。この日の走行距離500km。この日は愛知だけの移動にもかかわらずである。

7:30に宿坊を出て、昼食を挟み、ノンストップで22:00まで作業を進める。基本的に昼食・夕食はなかった。トイレ休憩にコンビニへ寄ったとき、アキさんに隠れて軽食を買うくらいだった。

私は当初3日間だけの参加という約束だったが、ここ2日の作業のスピードを考えると、どう見通してもクランクインに間に合わない。買い出しだけで1日が終わり、掃除や装飾に割く時間がなかった。この時点でクランクイン残り5日を切っていた。

案の定、車内でその話になる。

アキさん「ドウ、この後特に予定とかないよな?」

私「一応、ロケハンとか、そういうのが細々とは」

アキさん「それどうにかなるよな?クランクインまで頼むわ」

と結局押しきられる。私が断れば、最悪インに間に合わない。自分の作品の心配をしたが、今関わっている映画を蔑ろにするのは良くないと、渋々承諾する。ただ、目下心配事項は私の前作『濡れたカナリヤたち』のカナザワ映画祭へのエントリーだった。3月中が期限だったので、そのエントリーのために大阪に戻らなくてはならなかった。それからいくら何でも三人での作業は不可能だった点。アキさんに尋ねる。

私「お弟子さんが来れないなら、うちのスタッフ呼びましょうか」

アキさん「それ、頼むわ。手が回らんわ」

私「何日くらいかかります?」

アキさん「3日くらいかな」

頼みの綱のツイマ君は松竹の大作で特機部として参加しており、不可能。スナフキンも東映の入社準備で忙しかった。撮影担当だった腹心のサイコは、実家に帰省中で鹿児島にいる。片っ端から連絡した結果、大部分はバイトの兼ね合いがつかなかったものの、何とかハチ子ナカ(共に仮名)の二人が見つかる。私の二つ下の大阪芸大生で、どちらも『濡れたカナリヤたち』で大いに活躍したスタッフだった。

私「二人でいけますかね」

アキさん「もう一人欲しいな。女の子がええ。掃除も丁寧やし、何より元気が出る」

女といえばハチ子がいたのだが、アキさんにとっては女ではなかったようだ。ハチ子、ドンマイ。こうして女の子探しが始まる。大学で映画制作を行うものにとって、この3月末という時期は、来たる新学期の企画書や初稿の準備で忙しく、当然誰に声をかけても、すぐに断られた。

卒業制作『海底悲歌』で衣裳部として助けてくれた可愛いお顔のコンちゃんという同級の女の子が

「行きたい!」

と回答してくれた。アキさんも好みの顔だったらしく大喜びで、どうにかして風呂を覗こうと冗談を交わしていた。けれど、少し経って、スケジュール的に厳しいとの返答があり、撃沈。他に誰かいないか!とJ太郎と共に、ラインの友達リストを遡るも、思いつかない。もはや、接待のように感じるが、私は苦肉の策を繰り出す。

オープンキャンパスで、半ばナンパのように連絡先をもらっていた女子高生がいたのだ。当然、手は出していないが、全くの映画未経験にして、商業現場参加というのが不安だった。

「カクカクシカジカですが、恋ちゃんというJKが来れそうです」

と相談すると、アキさんはJKブランドに飛び上がって喜んだ。


次回予告、世界の山ちゃん再び

と、無事に助手の補充が決まった2日目だったが、我々の1日はこれでは終わらなかった。ここまで15時間に及ぶノンストップの労働の後、もうクタクタの私とJ太郎に

「今日も飲みに行くぞ、付き合え」

とアキさんは世界の山ちゃんに繰り出したのだ。我々は今日はやめときましょうと話すも、ナビに入れられては向かわざるを得ない。半ば強引に連れられた居酒屋で、2時間に及ぶJ太郎への説教が始まる。

次回はここから始める。

ちなみに描写を省いたが、作業の合間合間、J太郎は相変わらず殴られている。もはや常態化しすぎて記憶が薄れているが、確実に1日20発は殴られていることを書き留め、今回は終える。


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前回の記事ですが最後に、この奴隷日記を振り返った、J太郎との会話を対談形式でまとめています。200円という金額ですが、いただいたお金は全て今後の映画制作に使わせていただきますので、ぜひご検討ください。
今回の体験記とはまた違いますが、私が抱える持病について、映画制作者と言う観点からの苦悩や体験を綴っています。ぜひ読んでみてください。
こちらは現在、私が属しているスタジオカナリヤのnoteです。『長編アニメ制作への道』と称して、来たる長編企画ができるまで、作画担当のサイコくんの奮闘が記されています。ぜひ、楽しんでご覧ください。


最後に

ぜひ読んでくださった方は、スキを押してもらえるとモチベーションにつながります。また、この記事は被害者本人の許可のもと書いております。

定期的に有料記事にはなりますが、今現在のJ太郎とともに、この奴隷日記を振り返る会話形式のインタビューを掲載しています。こちらは、全額現在の映画製作に当てさせていただきますので、ぜひご検討ください。

(最新のインタビューが掲載されている記事はこちら!)

また、応援したい!と思ってくださった方は、サポートもお待ちしております。私が代表を務めるスタジオカナリヤでは、J太郎も美術部として属しており、そちらの活動に全て充てますので、よろしくお願いします。

少しでも私のことを応援したいなと思って下さった方、そのお気持ちだけで励みになります。その上で、少しだけ余裕のある方は、サポート頂けますと幸いです。活動の一部に利用させていただきます。