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YouTube休止・・・!! 質問に答えまくる回


YouTube休止に際して

タイトルの通り、YouTubeを一旦休憩するということになりまして。詳しくは、私の属するスタジオカナリヤのnoteをご覧ください。

今年中に短編映画を作りたいということ、そして今進行中の長編映画にかける時間を増やしたいということ、そしてそれ以外の時間は日々の生活に改めて集中したいということ、以上三点が大まかな要因で、YouTubeやアニメ企画などを一旦ストップするという結論になりました。

いやぁー、短かったですね(笑)

でも話し合いの末、これが一番あるべき方向性だとなりましたので、進むのみでございます。

毎週のラジオどうなったの?

実は毎週、YouTubeでは新作映画をレビューしながら視聴者の質問に答えるラジオをやっていました。そちらが、割と私たちと視聴者を繋ぐ唯一の存在で、自分たちを応援してくれる皆様の影を、くっきりと視認できる場でもありました。

ラジオの収録は、他の動画と違って打ち合わせや準備もなく、レイトショーの帰りに30分ほど撮るという気楽なものだったので、いい気分転換にもなってました。

しかし!そういう場も今はもうありません!

しかし!そういう場はあってもいいじゃないか!

ということで!

ラジオの方だけは、定期的に収録しようと思います!!(YouTubeはスタジオカナリヤ全体のものなので、個人のものはこのnoteに挙げさせてもらいます!)


ひとまず今日は、先週までの質問箱に溜まっていた質問にお答えしていきます。今後も、こちらのnoteで継続してお答えしていきますので、引き続きドシドシご質問ください!

質問箱はこちら


質問回答その1

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ジョジョ太郎さん、ありがとうございます。何だかうちの美術部のJ太郎に名前が似てますね。余談ですが、J太郎の本名・承太郎は、親が生粋のジョジョ好きだったのが由来だそうです。

今悩んでいる企画ですか・・・

それに関しましては、さらっとだけ書いたことがあります!!ぜひこちらの記事を購入してみてください!→( 映画業界ハラスメント体験記【奴隷日記#13】)

どうしても未発表の企画で、今後も当分は情報公開できないものですので、公の場ではあまり内容については触れられません。ただ、今回もピンク映画です。男女の性愛を中心に描くものです。本当にさらっとですが、上の記事では触れてますので、ぜひご検討をお願いします。


質問回答その2

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ちよさん、女性の方ですかね。ありがとうございます。

マッチングアプリ、僕含め、桂くんやサイコくんもやってましたよ。まぁ彼らの感想は、彼ら自身の中にあるとして、、、

ちなみに、桂くんの告白失敗動画のお相手は、マッチングアプリで出会った方です(笑)動画はこちら→(帰宅した彼の目には涙!?

僕は1ヶ月だけやりました、その当時は恋人もいなかったので、思う存分女性の方とマッチングし、思う存分遊ばせていただきました。1ヶ月で合計50人くらいとマッチして、12人の方とデートしました。異常です。会う人会う人褒めてくださるものですから、楽しくて大変でした。

その中でも、この人は気になるという方とは何度かお会いしましたね。で、一人の女性と3回目のデートでお付き合いしました。フレンズのナイトタウンが好きな女の子で、きのこ帝国や羊文学の話でよく盛り上がりました。今の恋人とは別の方なので、、、察してください。。。その話は、また後々エモエピソードとして、書かせてもらいます(笑)

他の男性のスタンスは分かりませんが、ペアーズというアプリは、割と真剣に交際を求めている方が多い印象ですね。だから、割とメッセージをきちんとやり取りして、人となりが見えてようやく会えるかな、って感じでした。私もネット上での出会いは少し不安でしたが、今時は運転免許証とかで本人確認もしてますし、顔や職業や住んでいる地域なども晒すわけなので、そうそう変なことをする人は少ないのでは?

ただ、遊び目的の人間も多いのでその辺りは、ご自身の心眼を信じてください。


質問回答その3

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カナリヤ古参女さん、すいません、当分次回は訪れません(笑)

大学時代の1番の失敗ですかー。女性関係ですかね(笑)卒業後も尾を引く別れ方をした女性がいまして、男女というのはきちんとお別れをしなければいけないものだな、と再認識させられました。でも、それも良き思い出なので失敗とは言えませんね。

1番の失敗・・・うーん。すごく真面目な話になるんですが、映画以外を全て捨てたというのが失敗ですかね。捨てたわけじゃないんですが、4年間ほとんどの時間を映画に当てたわけです。私の場合、ほとんどバイトもせずに、貯金を崩しながら映画に集中する生活だったので、どうしてもそれ以外のことに余裕がなかった。そういう面で、例えば中高の同級生との飲みの誘いだとか、映画以外の知り合いとの関係が薄れました。

映画に集中したからこそ、『海底悲歌』は劇場公開まで漕ぎ着けられたのだとは思いますが、その反面、例えば次回作を考えるときや、学生の横の繋がり以外での繋がりが必要になった時、「あれ?思いつく奴ら、全部大阪芸大生だ」みたいになるんです。世界が狭く狭く、縮こまってしまって、もうすでに苦しんでいます。

あ、大学時代の一番の失敗といえば、大学1年生の頃ですね。なぜか”教授なんかに映画がわかるもんか!”って息巻いてた私は、いかなる授業でも噛み付いて斜に構えてました。そのせいで、同級生は私を恐れ始め、教授陣は「あいつは手がつけられない」と嘆いていたそうです(笑)

一度、作品分析という授業で、学科長の映画をこき下ろして「この映画の監督は、映画を一から勉強し直した方がいい。人が向かい合って話しているだけで映画になるんなら、苦労はしない」なんて感想を書いたせいで、そこから当分は学科長に睨まれ続けるという・・・(笑)結果的には、応援してもらえる存在になれてよかったですが、今考えると恐ろしい発言ですよ、全く。

ちなみにその映画はこちら。見てみてください(笑)


質問回答その4

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abc-shokoさん、ありがとうございます。これはよくあるお悩みですね。私はいまの男三人での共同生活以外にも、都合何度か同棲経験があります。ま、期間の長短は置いておいて(笑)だから、交際相手と一緒に住む難しさというのは、多少わかります。

普通に付き合ってて家に遊びに行く程度であれば、「掃除しなよー」で済むことも、同棲し始めると、「なんでしないの?」となり、次第に「なんで私ばっかり」となるわけです。食事も、毎日毎日、食事を準備するだけでも大変なのに、他人の好みを考えて、自分の好きなものを食べれないというのは、大きなストレスです。他にも、洗濯物を畳まないだとか、ドアを開けっぱなしにするだとか、些細なことが気になり始めます。

shokoさんには申し訳ないですが、これは乗り越えられません。乗り越えるべき問題ではないと思います。不満をぶつけても、相手は20数年間、それで生活してるわけで、その上、向こうは向こうで、同じように別のことで不満を持っているわけです。

僕らもその辺りは、いまだに揉めたりします。僕らは男女の関係ではなく、しかも友人関係なので、「いつまでも」と考える対象でありません。よって、どうにかやり過ごします。無理な時は爆発しますが(汗)

けれど、shokoさんの相手は、それとは質的に全く異なります。もし不満を抱えているのであれば、生活が固まり始める前に、きちんと話し合うべきかと!

話し合っても、おそらく解決はしませんが、例えば、注意して直っていたら「ありがとう」と言う、それだけでも相手は変わっていくのかもしれません。徐々に徐々に、亀のような速度で、二人の生活を混じり合わせていく作業を楽しんでください。


質問回答その5

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おっと、『サマーフィルムにのって』の質問ですね。今回はこれで最後とします。

私は『サマーフィルムにのって』肯定派です。ただ、映画の内容というよりは、見終わった後、「あぁ、俺もこうやって映画を作ってたよな」と振り返って、「映画してぇなぁ」と思えたから、肯定派という感じです。映画映画という代物は、そう思わせられたら、ある意味で成功だと思います。

質問に一つ一つ答えていきます。

未来からやってきた、という設定はなくてもいいのでは?

はい、いらないと思います。けれど、未来人の設定は、きっと映画を終わらせるための舞台装置なので、言っても仕方ないと思います。ラストで、作った映画を上映する、それだけでは終わらせたくなくて、「映画の未来」を要素として入れたかったのでしょう。作り手のエゴだと思います。

映画は未来では5秒ってどう思う?

「映画の未来」を要素として入れたかったであろう作り手が、映画は未来では5秒と語らせるのは、確かに杜撰に感じます。けれど、これは誇張表現で、最近のファスト映画論争、倍速視聴の是非みたいなものを、入れたんでしょう。5秒はないな、とは思いますが、事実として、例えばYouTubeのショート動画やTikTokのような媒体でみられるように、人々が喜び、大量に消費されている面では、この警鐘は、あながち間違ってないとも思います。

けれど、これに代表されるように、この映画を21世紀の映画たらしめようと、無理な要素を注入していく様には、作り手というより経済のエゴが見えて、薄気味悪かったです。

そんな設定の未来の人間が2時間の映画を見るの?

すいません、この質問には頷けません。見る人もいるでしょうと私は思えました。過去の遺物をいつまで経っても見る人はいると思います。いまだに何時間もある無声映画を見る人はいますし、リュミエールの映画を映画として楽しむ人間は多くいます。多くの人は見ないけれど、ごく少数でも、過去の遺物を遺物としてとらえず、見る人間はいると思います。私もその一人です。

ラストを演劇で処理するのは、映画の否定では?

このラストは、確かに賛否両論あるだろうな、と思いました。見ていても、おいおい、上映止めるのかよ!と思いました。見ていて、ラストで映画を象徴させるのに、気が引けたのでしょうか。真摯な眼差しではないな、と思いました。戦いから逃げたと言わざるを得ません。

けれど、ラストは本当に演劇なんでしょうか。確かに作られた舞台上で大立ち回りをするというのは、極めて舞台的なシーンだとは思います。上映を中止して、舞台上でラストシーンを演じるというラストは、確かにどうなんだとも思います。けれど、それを捉えるキャメラが、かろうじて場に存在する点を見逃せません。

ハダシとの殺陣の中で映画を未来に継承するという構成は、若干、大学生が作りそうなラストだな、と白けてはしまいましたが、それでも、いまこの瞬間に映画が撮られているという点で、ある意味で真摯なのではないでしょうか。

「俺、未来でも映画を作るよ」

というセリフを言わせるためのシーンだと思えば、”映画の否定”とまでは言えないと思いました。まぁ、それでもやはり映画内映画なのだから、スクリーンで終わって然るべきだとは思いましたが。

着物や刀やカツラの存在、ライトの扱いなどは、どうなんだ

こういうところは本来は、枝葉末節だと思います。重箱の隅をつつくようなことは言いたくありません。ただ、この映画は、「映画を作る映画」なのです。観客が、映画制作に関しての描写で疑問を持つというのは、いささか問題だと思います。

小道具や衣装は、別の部活動から拝借しましたとかで、1エピソード作ればいいものを、それを省略してしまう他にも仲間集めのパートも、こじつけ感が感じられます。より跳ねさせられる部分だと思うのですが。。。

それに映画制作中は、やけに順調に進むし、問題を解決する他スタッフの参入でも、高校生には手に入れられるとは思えない高価な機材や専門的な道具が出てくる。

その割に、質問にあるライトの扱いは、ギャグ的に用いるので、彼の照明部分だけが浮いていました。チグハグな映画制作の末に、完成した映画に夢中になる上映会がラストで訪れます。これほど説得力のない物語は珍しいでしょう。


『映像研に手を出すな』では、その部分をうまく解消し、映画を跳ねさせていたので、残念でした。そもそも、「好き」を描く映画だからこそ、ハダシの映画愛はそんなものか、となってしまうんです。


と、こんな感じです。作り手のエゴと随所に見られる杜撰さが目立ったものの、大枠として、「これでいいじゃない」と思える出来ではありました。映画畑出身ではない監督が、この内容をオリジナルとして描くという点では興味深く、期待の映画ではあったのですが、ちょっと舐めすぎじゃありませんか?とも思ってしまいました。

ま、結局「楽しんだからそれでいい」というのが結論です。



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『サマーフィルムにのって』の質問に答えたように、一応プロの映画監督である私が、忖度なく思うままに書き殴る映画レビュー記事です。ボロクソDEシネマというタイトルですが、いい映画の時は褒めちぎりますので、誤解なきよう。


こちらは全13回の連載シリーズです。ぜひまだお読みでない方は、読んでみてください。数回に一度、有料にはなりますが、登場人物との会話形式のインタビューを載せております。そちらも是非お楽しみください。


改めて、今後もこういう風に質問に答える記事を書いたり、ラジオ形式で何か喋ったりしますので、ぜひなんでも送ってみてください。全て匿名で届きますが、ラジオネームをつけていただけますと、採用率アップです。悩み事でも、話のお題でも、何でも構いませんよー!

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