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「島」が好きな理由

兄弟構成によって人の性格が特徴づけられるとしたら、2つ上の姉と3つ下の弟に挟まれる次女は最もひねくれやすいように思う。そんなもんだと自分で定義したいほど、3人兄弟の次女に生まれた私はひねくれており、対人コミュニケーションが得意でなかった。特に家族とのコミュニケーションは苦手で、18歳で実家を離れるまでことあるごとに反抗しながら誰とも口を聞きたくない時も多かった。

母や絵本の頒布会に入っていたからか、実家には毎月3冊くらい新しい本が届いていた。誰とも口を聞きたくないこともあって、毎月届く新書と本棚にならぶ童話やら図鑑をひっぱり出して読んでいた。

小学生の頃に好きだった本のひとつに『すてきにへんな家』という絵本がある。ターザンが暮らすような家や宇宙的な家など、タイトルどおりすてきにへんな家が並んでいた。弟をつかまえてはどれに暮らしたいか聞き、聞いているくせに「自分はこれに住むからあんたはこれ」と指図してた覚えもある。スポンジのように入ってきた情報を取り込む子どもの脳に『すてきにへんな家』は、「きみは将来、どんな家に暮らしたいのかね」という問いを与えた。

「きみは将来、どんな家に暮らしたいのかね」の問いを延々に考えた私が思いついたのは、きのこ型の家だった。きのこだった理由は『すてきにへんな家』にきのこ型の家があっただけだが、カタチはどうあれその家は数世帯が暮らせるシェアハウスのようなものだった。ともかく仲間と暮らせる場所がほしくて、20歳頃になると何かの雑誌でおぼえたコミューンという言葉が気に入り、コミューンとかコミュニティをつくりたいと思うようになった。

現在、私は常勤3人の会社を運営していて常勤でない仲間を加えると10人以上になる。会社というコミュニティでやっていることは「離島」がテーマのメディア運営で、2010年に立ち上げて以来、四苦八苦しながら続けている。

「離島」というのは、日本で「離島」と呼ばれている北海道、本州、四国、九州、沖縄本島の5島をのぞく島のこと。日本には人が暮らしている有人離島が420島ほどある。420島は日本中の海にちらばっていて全部の人口をあわせても70万人以下。私が暮らしている世田谷区よりも人口は少ない。

数人〜数万人規模の離島は、東京のような都市と対極にあるような場所だし、都市ほどたくさんの人が暮らしていないから、人口に比例してモノもコトも少ない。でも、そのぶん自然豊かで、個性的な文化もあれば、人々の温かさもある。私たちはそういう魅力に日々、惹かれながら離島メディアを運営している。

「離島」をテーマにしたのは、社会人スクールで出会った仲間たちとメディアでもつくろうかと言いだした頃、同じクラスに瀬戸内海の離島に移住する友人がいたことだった。友人はその島で古民家を買っており、そこへ遊びに行った私たちは「島」というテーマに出会い、惹かれて離島のメディアをつくることにした。

こう説明すると「たまたま感」が漂ってしまう。「なんで島なんですか?」と言われて事実のままに説明しているものの、4年近く「島」と向き合いながら思うのは、確かにたまたまだけど、たまたまだけでもないことだ。

18歳で大分県日田市にある実家を離れ福岡に出たのだが、実家にいる頃の私は物心ついた頃から、ずっと反抗期だった。いま考えると両親に申し訳ない考え方だが、その頃の私は自分なんて死んだほうがましと思うほど激しい感情を抱えていた。

人がグレるのは「自分」という存在が他人に認めてもらえないがゆえに起るように思う。子どもの頃の私が親に反抗していた理由も、自分の意見がなにひとつ理解してもらえないと感じ、姉と弟にくらべて特別扱いされることがない次女だから自分が必要ないように感じていたことにある。

自分が認められないと人間の心はだんだん拗ねていく。必要じゃないなら何したっていいと思ってグレていく。でも私はグレようとして、結果的にうまくいかなかった。

私が育った土地は人口7万人規模の市の郊外にあって、他人からみれば何の変哲もない田舎の集落である。通っていた中学校は市内で3本指にはいる小規模校で、同級生は66人。全校生徒あわせても150人ちょっとなので知らない人はいないし、親も兄弟構成を知ってる子も多い。

近所に仲の良い家族が4軒あって、各家の子どもが同年代だったから毎月どこかの家に集まってご飯を食べた。大人たちはお酒をのみ、子どもたちは親戚のように仲がよかった。年に1度はマイクロバスを借りて5家族みんなで旅行に出掛けていた。

いわゆる顔の見えるコミュニティだったのだが、そういうコミュニティで困るのは、みんなが自分のことを知っていることだ。ゆえに、変化が生じるとすぐバレる。髪の毛を染めればすぐに突っ込まれるし、親にみつからないようにマニュキュアを仕入れて塗ったら、どこかの誰か経由で親の耳に入る。

両親と喧嘩して1ヵ月くらい話をしない時期もあったのだが、そういう時は近所のおばちゃんが話し相手になってくれた。私が次女だからといじけているのを解っていたのか「あつ(そう呼ばれていた)が一番かわいい」と、こっそりほめてくれることがあった。

私のことなんて誰も解ってくれないんだとテレビドラマのようにグレたくても、どうも上手くいかない。親と話せなくても自分を認めてくれるやさしい大人がいるコミュニティでは、グレきれなかった。

私はこの4年間、離島経済新聞社というメディアを運営しているのだが、もともと飽きやすい性分なので何をやるにもそんなに続かない。4年続いているのは一緒にメディアをつくる仲間たちがいる会社コミュニティがあることと、テーマが「島」だからだと改めて思う。

あちこちの離島には魅力もあれば課題もあるが、ほとんどの島にはそこに暮らす人同士、顔の見えるコミュニティがある。それは離島単位というより離島のなかの集落単位といったほうが正確かもしれず、鹿児島と沖縄の間に浮かぶ奄美大島(あまみおおしま)で「奄美ではシマを『集落』とか『なわばり』の意味でつかう」と言われたときに、島々に漠然と惹かれていた理由もすとんと腑におちた。

島はひとつの「コミュニティ」であり、私はそういう場所が好きだ。私は生まれ育ったコミュニティに感謝している。グレようとしてもグレきれず、死んだほうがましと思いかけても死なずに、今の健康な心を持っているのはシマのような場所があったからだ。

都市では無縁社会なんて言葉もつかわれてるが、シマに無縁はない。「人の暮らしが多様化している」という見出しが新聞雑誌がついているご時世だから、「私は無縁でもいいんですよ」という人もいるだろうから押し付けるつもりはないが、グレそうな人の心にはシマが必要だと思っている。

だから「なんで島なのか?」と問われれば、きっかけはたまたまだったけどシマのことを考えるのが好きだからと答えたい。そして実際の島々も本当にすばらしい。いろんな島やシマを訪ね、そこに暮らす人の話を聞くことがすばらしく楽しいから、四苦八苦しながらでも島を見ていたい。

ということで、このnoteは特に決まりなくぶつぶつまとめたいことを綴っていこうと思います。島以外のことはあまり続かない人間なので、続けるともやめるとも言わないことにします。

離島経済新聞社 >> www.ritokei.com

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