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ゴールド 金と人間の文明史-54 アメリカ大陸の財宝と価格革命

アダムスミスはアメリカ大陸の財宝 -アメリカ大陸の豊かな鉱脈のおかげで貨幣の供給量が増えた- が価格革命の原因だと考えていた。


しかし、商品の価格が上昇し始めたのはアメリカ大陸の金が大量にスペインに届き始める前からだった。物価の上昇率はアメリカ大陸から供給された金との関連性を何ら見出すことは出来なかった。

そして、その財宝が全て通貨としてヨーロッパに残ったわけでもなかった。一部は買いだめされて流通しなかった。教会の豪華な装飾に使われた分もあった。かなりの分はアジアに輸出されそのまま戻ってこなかった。


他の経済学者は、16世紀の価格革命は貴金属という形で通貨供給量が増加した結果ではない。むしろ、価格の上昇によって通貨需要が高まり、そのためにスペインはアメリカから金銀の輸入につとめたのだと主張した。つまり、通貨供給の増大はインフレの原因ではなく、結果だと。


価格革命の原因が何であれ、財宝の流入が多少なりともインフレの長期化を支えていたことは間違いない。


では、金銀そのものの価値はどうだっただろうか?

他のあらゆるものと同様、金もまた需要と供給の法則の無情な影響を免れない。

しかし、アメリカから大量の金が輸入されていたうえに、東ヨーロッパ、特にハンガリーで発見された新しい金鉱からの流入が加わり、採掘技術の向上も手伝って、ヨーロッパの金の供給は16世紀に急速に増大していた。

そのために、金の価格は価格革命の影響を受けて他のものと一緒に上昇していたとはいえ、その上昇の度合いははるかに小さかった。

たとえば、イングランドでの金の価格は1492年から1547年の間に50%増加し、それから50年のあいだは安定を保ったあとは、1611年まではその上昇はずっと緩やかになった。総計では85%増だが、賃金、衣服、食品の上昇はもっと高かった。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

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