福岡に行ってきた

背景

子供が生まれてからまとまった1人の休暇,みたいなものが消滅していた.1歳を過ぎ,ある程度安定してきたので,協力して数日スパンの休暇を取ろうと提案した.

九州は記憶のある限りでは行ったことがなかったのでなんとなく行ってみよう,ということで決めた.特に観光したい場所があるわけではなく,YouTubeで見たラーメン屋に行ってみようとは思っていたのと,金融庁辞めてベンチャーに転職した友人がいたので会いに行こうと思った.他は一切決めなかった.荷物は当日に準備し,泊まる宿もその日に決める,といった感じで,不確実性を大事にしようというテーマを持っていた.時間単位で予定を組むタイプの妻の方がむしろソワソワしていた.

アンドレ・マルローが「想像の美術館」という概念を提唱していたのを思い出した.写真ができて図録みたいなのが作れるようになった結果,これまでオフラインの制約があった様々な芸術を一つのフォーマット上に自由に配置することができるようになり,これまでと異なる形で芸術を解釈することができる,みたいな話だったと思う.

現代で何が起きているかといえば,「想像の旅程」から逸脱するのが非常に難しくなったと思う.様々な場所の情報の大部分がオンライン上で確認できるがため,オンラインから想像される旅程パターンの逸脱がとても大変になった.逸脱するには,情報のない場所に行くか,情報を見ないか,関係性によって情報を生み出すかしかない.

別に逸脱しなければいけないかと聞かれると,全然そんなことはなく,単なる好みの問題だと思う.ただ私は,RPGがあまり好きではないというだけだ.

1日目

昼過ぎに着いて,とりあえず博多ラーメンを食べようと思って博多一双に行ってみた.

ぶっちゃけあまり好みではなかった.スープは濃く感じたがシンプルに感じて,後味もやけにあっさりし過ぎていて,「博多ラーメン自体が好みではないのかな?家系に慣れ過ぎたのか?」というセリフが頭をぐるぐる回った.

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店主がバイトの女の子に対してぶつくさ小言を言うのも気になった.2021年において,バイトに対して不当に叱る店主を客がどう思うのか,本当に売り上げにつながると思ってるのかな?とか,色々思ってしまったのもラーメンの味の印象に拍車をかけてしまった感は否めない.

夜はエデン福岡店長のマツゲさんと飯を食った後,エデンハウスに泊まった.2段ベッドの下から上を見上げる光景が,昔エデンハウスで生活していた記憶を蘇らせた.相部屋シェアハウスというのは他者との距離感をバグらせるいい装置だと思う.初対面の人と何の目的もなくただ寝床を共にするという感覚は未経験の人にとっては結構効く.私といえばシェアハウスで1年くらいは生活していたので,それなりに経験しているかもしれないが,結婚して出て行ってからそういう感覚が徐々に消え去ったのだろう.

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思い返せば,エデン本店が客観的にも主観的にも1番上手く回ったと思っているのがシェアハウスに住んでいたときだ.引っ越して距離が生じてから,地理的な側面ばかりに意識が向いていたが,考えてみれば精神的な距離の変化にはあまりフォーカスしていなかった.

2日目

レンタカー借りて行ったラーメン屋はめちゃくちゃうまかった.間違いないくとんこつラーメンマイベスト1位だ.


そこから飯塚市に住む友人のところへ会いに行った.地方都市みたいな規模感を想像していたら本当に何もない田舎で,東京から思い切ったところに引っ越したなあ〜と痛感した.マジで何も無い.

そいつは大学浪人の時に知り合った.東大出た後金融庁に入ったものの,定期的に破滅を繰り返した結果ベンチャーに転職していた.浪人のときに授業サボって神保町に繰り出すやつが官僚に向くわけないと思っていたが,果たしてその通りとなっていた.浪人の同期にUFJに内定していた別の奴がいて,ネット銀行に内定していた私と一緒に金融庁内定のそいつにヘコヘコするとかいう茶番をやったが,私は選挙のために内定を辞退し,そいつは金融庁を辞め,もう1人はUFJを辞めた.

浪人の時からそいつの博識さが半端ないと感じていた.私もマシな方だと思っていたが,こいつのプールの広さと深さを知ってから,謙虚さというものが身についたと思うし,知らないことに知らない,と言えるようになったと思う.どういう読書体験をしたら高校生のときに,泉鏡花の魅力を語った後にポパーの反証可能性ってさ〜みたいな話ができるのかわからない.

大した話をしたわけではないが,印象的な話として,コンサルが読みそうな『仮設思考』という本に対して,最初はマジで上っ面の意味のない本だと思っていたが,ヴィトゲンシュタインがベースにあると思って読むとめっちゃ面白いぞ!とかいう話を力説された.コンサルは要するにヴィトゲンシュタインなんだ!『仮設思考』,なんて面白いんだ〜とか言っていたが,どう考えても面白いのはその本ではなくこいつの頭の中である.ヴィトゲンシュタインのテクストに乗っかってコンサル本を読解できるやつは多分あらゆる本を面白く読めると思う.

金融庁辞めてから謎に色々手を出しているらしく,その一つにSF執筆があった.プロットを聞かせてもらったが攻殻機動隊と『ゼロで死ね』のハイブリッドみたいな話であり,現在から想像できるみたいな話をした.私はSFの古典たる必要条件として,現在から想像できない世界観を説得的に描くことが挙げられると思う.攻殻機動隊も1984もフィリップKディックも星を継ぐものも,今読んでもSFとして色褪せない,時代を超えた未来感を持つ.だから今でも私たちを魅了し続けられるのだ.

さまざまなジャンルにおいて古典たる必要条件に,「どうやって生まれたか想像もつかないこと」が挙げられるかどうか議論した.芸術は当てはまりそうだが,学術は微妙かもしれない.学問の性質として体系性を重んじるのであり,後世の人がショートカットするために,他の領域に比べて道が整備されている。「巨人の肩に乗る」はその性質をよく表している.ロールズ全盛の時代にノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』は無理だろ〜みたいな話をしたが,単なる祈りかもしれない.

そいつとの話でもマツゲさんとの話でも子どものトピックが上がった.子どもは人生に変化を強制的に生み出し,引き止めることができる再現性の高い装置である,という話をしたような気がする.婚姻はそうではない.

社会的法益のハックが1番怒られが発生せず,共感が得られるのではないか?みたいな話をした.俺たちは金子勇先生が必要なのだ.


3日目

この日は台風が来ることが分かっていたので,早めにホテルに引きこもろうと思って福岡市内に戻り,「ザ・ベーシックス福岡」にこもっていた.

たくさんの蔵書があり,おしゃれに展示されているところに興味があって行ってみたが,書籍のインテリア展示,という感想を超えるものではなかった.書籍のラインナップに思想はあったが,明らかにその展示方法とミスマッチであり,浮いていた.間違いなく手に取ってもすぐ戻されるラインナップだ.海外古典の原著が本棚にかっこよく収まっているアレの変異種だ.「書籍のインテリア展示」というのは火であり,私は飛んで火に入る夏の虫であった.

4日目

ナンシャが勧める(?)中華料理屋(はかたっ子)に行った.

ナンシャ的にはおふざけだったみたいだが,私の味覚がバカなのかあたりを引いたのが,普通に美味しく食べれた.町の中華料理屋で,ラーメンが博多ラーメンになっているのを想像してもらったらちょうどいいと思う.

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夫婦で30年,旦那さんを亡くしてから1人で5年やっているという話は圧が強すぎる.私たちがよく見かけるジジババの老舗中華料理屋,大抵はものすごい歴史を経ているからすごい.飲食店をそれだけ続ける事の重みはなかなか伝わりにくい.しかもその女将は日本国外出身で,嫁いで日本に来たみたいな話をしていた.バイタリティを感じる.

川西でカレー屋を営む人に勧められたって言ったら記憶があるみたいだった.すごい.


夜には池田さんがエデン本店で開催した「お疲れ会」にそのまま直行した.店長を辞めてから初めて本店に行った.お祝いいただき,ありがとうございました.



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