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79 消化上手と昇華上手。

昔、アーティストの誰かが「面と向かって言えないから歌を書く」って言ってたのを見たか読んだかしたことがあった。当時の僕にはそこまで自分の感覚に敏感でなかったからわからなかったけど、最近はそのアーティストの人の言葉がわかるようになってきた。

大なり小なり何かショッキングなことを言われた時に、すぐにリアクションを取る人と、受け入れるために考え込む人と、大きく分けて2パターンの人がいるなと思う。

例えば、言う側の立場で、引いてしまうようなことや刺激的なことをさらっと言ってしまう人もいるし(そういう人は普段からそういうコミニティーの中にいるのでごく自然に)、教育やお叱りとしてキツいことを敢えて言う人もいる。僕は、そういう時に「いやだー」とか「うざっ(笑)」とか、すぐにリアクション出来るタイプの人間では本来ない。なんというか、全部間に受けてしまうというか、言葉通りに聞いてしまう。「お前はダメだ」と言われれば「僕はダメなんだ」と思い込んでしまう。

軽やかにリアクションが取れる人は良いなと思って、そうなれるよう意識してみることもあった。根本は変わらないけど、その意識でだいぶ楽になった部分もあった。受け流したり、聞いてるフリをしたり、完全に無視してみたり。

そんな風にしてみると、案外それでことが済んでしまったりすることがあって、今まで全部間に受けて考えて反応していたのがバカらしくなるくらい。

いい加減にというか、気分の赴くままに言葉を発して、別に受け止め方はどうでもいいというような感じで話す人は結構いるものだと、それを機に気づくようになった。すべての人間が過不足なく言葉を発しているわけではなく、足りなかったり、言い過ぎてしまったりするのが言葉の常らしい。

それで、僕は本来「持ち帰り派」なので、その場ではリアクションせず(できず)、言われたことを持ち帰ってひとりになった時に改めて考えることがある。どう返事すべきだったのかとか、第一リアクションは何がよかったのかとか、はたまた答えのしようのない問いだったんだと気づいたりとか。

そういう持ち帰り品が、要は歌になっているんだ。時間があると考えごとは膨らむから、言葉がドバーッと溢れる。サビを書けるくらいの分量にはなって、それをゆっくり付け足しながら完成させていく。

僕の場合は歌だけど、持ち帰り品を、自分の描いたキャラクターに喋らせる人もいるだろうし、小説や映画にする人、SNSの裏垢で呟く人、日記にしたためる人。リアルタイムでのリアクションが苦手な人のその後の活動はさまざま。

歌にするという行為を、「わだかまりを昇華させてる」という意味で、僕は内心で自分の持ち帰り性分を正当化させたいと思ってる。その反面、人によって言葉や会話自体の重みが全然違うことに気づいた今、軽やかでいることも能力として身につけておかなければな、とも思う。社交モードと真理探究モードを切り替える感じ。

僕の中での最大の気づきは、常にどちらかのモードでしかいられない人がいるということ。そして、それに気づいた今、臨機応変に切り替えながら生きていけば良いのではないかということ。

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