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Le Makeup『Odorata』

この生活の中、この街の中、この私たちの中で。


Odorataってラテン語で「香りのある」「芳しい」って意味があるらしいんだけど、このアルバムにそういった自然的な香りがするかって問われると首をかしげてしまう。
音の感触がすごくテレビのコマーシャルや安っぽいドラマでかかってるOSTっぽくて、街の中にある打ちっぱなしコンクリートみたいな、人工的って形容したほうがしっくりくるぐらい。

でもそれがそれで終わらないのがLe Makeupくんの音楽の魅力の一つだと思う。
音の配置やメロディがすごく大胆で、でもLe MakeupくんとDove含む客演の歌声と歌詞が合わさって、それが傾きながら風に吹かれてるようで、有機的とかいう偽物の感触ではなく、生々しい線が絡みついてるようで惹かれざるを得なくなる。


前作の1st『微熱』よりもヒップホップ的なアプローチはほぼ無くなって(TohjiやgummyboyやJUMADIBAや環ROYとかフィーチャーしてるけどね)、でもアンビエントと一括りには出来なくなってて、それがすごく良かった。

薄靄が私の視界を緩やかに遮りながら、来ていた服から少し煙草の香りがする、知らぬ間にこの街が煙を吐いていたと知る。
お前も私たちと変わらないんだな、と丘をゆっくりと登っていくと上は思ったよりも肌寒くはなくて、靴下を履かずにやってきたからかスニーカーの中に直に熱が籠もる。その温もりが太陽の代わりになることがとても嬉しくて、嬉しくて。


今ここまで書いて、「香り」って自然のものじゃなくて、前述した煙草の香りだったり、洗うのを忘れてた2回ぐらい着たアウターの香りだったり、パートナーが起きたあとのシーツの香りだったり、街での生活の中にある「香り」のことを指してるんじゃないかってなんとなく気づいた。
そうだとしたら納得がいくかも。香りって記憶と一番結びついている感覚ってよく聞くもんね。


今のコミュニケーション(特にインターネット)って、相手を前にしたときの畏敬とかいうか、そういうのを最初から飛び越えちゃってあまりにも失礼な態度がデフォルトになっている気がして(マッチングアプリとかそれの末路でしょ)私自身疲れてしまうことがちょくちょくあったんだけど、そういった時代にこういうアルバムが出たことはとても救いになったし必然だったと思う。
手探りが全て良いってわけじゃないんだけど、だからといって大事なものを触れないまま他者と関わったらお互いに不快になる。
だから生身の工程をできるだけ無視せずに、関係が崩れてしまわないように対話を継続させる必要がある、そう考えるよ。


泳ぐエイ掴んだ 君がどこか探す
今はこの季節が 終わることを祈るよ
庭にまいた種 ぜんぶ咲いた未来
俺の中で溶けて 俺の中で溶けて

Le Makeup「カラブリア」


手を重ね合えるほど距離は近くなくて、でも身体を伴わないコミュニケーションをする必要があるほど遠くもなくて。
椅子から立ち上がる方法を忘れてしまったとしても、それでいいやと思えるような日々がやってくることに気がつかないまま。私たちも、この街も。

そんな時間の中で影は重なりあう、視界を遮られても分かるほど揺らめきながら。

20230511

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