商売のつぶし時

「商売のつぶし時」について考える機会はあまりないと思います。僕は会社を立ち上げたのが3年前ですけど、100年生き残る企業を目指したいと考えたことはあっても、廃業することを考えたことはありませんでした。

市議会議員の役を預かり、日々地域の事業創出を考えています。いかに新しい仕事が生まれやすいような環境を作れるかが、長期的な地域経済を維持するためには欠かせない仕事だと考えています。

僕は自分でも会社をやっていますし、人の創業を応援する側としてもできる範囲で活動しています。この記事を書いたのは、伊藤さんの経験したことが、これから地域で創業する人の役に立つと思ったからです。成功談も失敗談も世にたくさんありますが、これは後者になります。商売のつぶし時も見据えて、何度でも挑戦を続けられる状態をキープしましょう。

伊藤さんとはじめて会ったのは2年前のオンラインサロンのオフ会でした。消防士をやめてホリエモンプロデュースの〈小麦の奴隷〉をはじめると聞いて、ずっと関心をもっていました。それからしばらくしてからfacebookの投稿で別の仕事をやっていることを知り、パン屋はどうなったのか、なぜ転職したのか気になってメッセージしました。

特に僕が気になっていたのは、〈小麦の奴隷〉のビジネスモデルです。冷凍生地を活用して労働時間を削減するシステムは、職人不足の現代に大活躍しそうなもので、実際、全国に展開されているフランチャイズです。にも関わらず、伊藤さんは事業を続けている気配がない。何があったのか伊藤さんに連絡をすると、小麦の奴隷を廃業した経緯について話してくれると引き受けてくれました。僕らは名古屋マリオットアソシアホテルのラウンジで待ち合わせをしました。

以下本文です。


(牧)2年ぶりですね伊藤さん。マリオットにはたまに来るんですか?

(伊藤)ちょっとゆっくりしたいとき、妻と一緒に来ますね。

(牧)僕もいつか泊まってみたいな。伊藤さんとの会話で覚えてる限りだと、小麦の奴隷は1店舗じゃなくて、すぐに2店舗出店するような記憶をしています。出店場所はどちらでしたっけ?

(伊藤)大垣でスタートして、うまくいったら他の場所にも店舗展開を考えていましたけど、結局1店舗だけでした。

(牧)そもそものところから聞いておきたいのですが、伊藤さんが〈小麦の奴隷〉をやろうと思ったきっかけは何ですか?

(伊藤)前にお話ししましたけど、元々消防士の仕事をしていました。しかし肉体的に大変になってきて、何か収入が減らない形で、自分で仕事始めたいなと色々調べてるときに、コインランドリー経営を勉強しました。クリーニング師って資格があるんですよ。アイロン掛けとか公衆衛生とか。クリーニングの資格を取ろうと進めているときに、YouTubeで〈小麦の奴隷〉を知りました。堀江さんがプロデュースしていて、成功してる方だし、始まったばかりのところで興味を持ちました。開業資金的にはクリーニング店は7000万円以上かかるような感じだったんですけど、パン屋であればそこまではかかりません。

(牧)最初はクリーニング屋さんをやろうと思ったんですね?

(伊藤)元々心筋梗塞などもあり、夜勤がつらかったんです。それで副業を考えるようになって、消防士をやりながら、太陽光発電で副収入を作ろうと思って三重県に土地を買いました。

(牧)あの、広いところにソーラーパネルを並べたりしてるやつですか?

(伊藤)そうです。業者の人に土地をいくつか見せてもらって、ほとんど山しかなかったんですけど、宅地もあって。ちょっと値段はしましたけど、山よりはリスクないかなと思って、宅地を買ってソーラーパネルを置きました。250坪あって500万で買いました。田舎だから売れないかもしれないけど、山の斜面で変なところを買っても、絶対最後、処分に困るなと思って宅地にしました。

それから、友人にもらった借家があったんです。身寄りのない友人で、彼が亡くなった時に、僕のものになるようにしてくれていたんです。そこはずっと借家にしていたので、そこの家賃収入も得ていました。〈小麦の奴隷〉をやるタイミングで売りましたけど。

(牧)踏ん切りましたね。ハードルは感じなかったですか?

(伊藤)業態はそこまで問題じゃなかったです。クリーニングもパン屋も。全然違う業態だけど、そこは別に素人でもできるということを説明会で知ることができました。きちんと収入が得られるならいいなって思っていました。

(牧)起業を決めて退職されたのが、丁度2年ほど前にお会いした時ですね?〈小麦の奴隷〉もまだ名古屋に数店舗あったぐらいの時。その後、どういうふうに進められたんですか?

(伊藤)まずは東京に行って、本部の方と面談をして、店舗候補物件が決まったら連絡をくださいということになり、大垣で見つけました。

いろいろ見に行きましたけどなかなか見つからず。決めたところは駐車場が難点だったんですけど、20万円の物件に決めました。本当は15万円以内に抑えたかったんですけどね。駐車場は最大で5台。目の前にスーパーがあって、最初はお金払ったんですけど、「もういいですよ」って言ってもらえたんですね。それからはただで使わせてもらっていました。本部に見に来てもらってオッケーをもらい、それから具体的な費用のお話になりました。

フランチャイズ加盟料が300万です。そしてスタート資金としては、オーブンなどの機械類で550万。内装設計、内装費用と保証金などで合計ではざっくり2500万円ぐらいかかりました。安いプランでは1500万円程度でしたけど、看板や内装にお金をかけました。

(牧)開業資金としてはどれほど用意されていたんですか?

(伊藤)自己資金で元々2000万円ぐらい用意していました。全部自己資金でやるつもりでしたけど、銀行から借りませんかって言われたんで、2000万円借りました。

(牧)けっこう準備されていたんですね!開業に至るまでのやり取りはどんな感じですか?

(伊藤)本部とのやりとりは、ほとんどパソコン上での手続きだけです。店を用意できたら次に人材募集で、SNSで求人案内を出したら、ネームバリューもあったのか10人面接をして、アルバイトを8人雇いました。そして店長には元百貨店勤務の方を雇いました。僕は接客業が苦手なので、サービスが得意な人を選びました(笑)。人が決まったら、次はクラウドファンディングをやりました。小麦の奴隷をオープンされる方は皆んな行うように、と決まっていました。

(牧)どれほど集めたんですか?

(伊藤)目標額は30万円でした。お金を集めるというよりは、どちらかといえばPRでした。10000円いただいたら7000円分のパンチケットを返すといった感じです。最初はお客さんが来すぎて驚きました。宣伝もSNSしか出していないので、どうしてこんなに来るのか分かりませんでした。オープンが1月でしたけど、毎日10万円程度は売れていました。最初の月は320万円も売上がありました。2時半に起床して、すぐ店に行って焼くという毎日です。9時までにはすべて焼いて、15時で閉店していました。

(牧)パンの品目としてはどれぐらいあったんですか?

(伊藤)品目は20種類ぐらいですね。クロワッサンとか食パンとかメロンパンとか。例えばベーコンエピなんかは人気メニューじゃないですか?それが真っ先に売れなくなりました。正直なところ、システムの中身を知っていたら始めなかったかも、っていうところがあって。パンはヴィドフランスなんです。つまり山崎パンなんですけど。そこの生地を買って焼いているので、スーパーに併設されているパン屋さんと同じものになります。

冷凍生地は1次発酵が終わった状態のもので、前日にホイロ(発酵機)に入れてその日は帰ります。

(牧)僕はそれが小麦の奴隷の一番の発明かなと思っていたところで、地方の町には職人がいないので、こういうシステムを作り上げてパンを焼いていく他ないのかなと考えていました。

(伊藤)ヴィドフランスってどこにでも卸しているんで、小麦の奴隷で250円するものが150円でスーパーで売っているんですよ。同じ味だったらどっちを買いますか?お客さんはそれをよくご存知です。140円の商品もあるんですけど、それはスーパーで88円で売っていましたね。

それから廃棄が問題になりました。結構出ました。最初は売れていたからよかったんですけど、売れなくなったときに、どうしたらいいのかちょっと分からなくて。作る数を減らしてしまうと寂しくなってしまうので、しばらくは大量に作っていましたね。

結局、作った半分ぐらいは捨てていました。そうすると原価率だけでも70%超えちゃいまして。近所とか、お店の周りの人とかにあげたりもしましたけどね。それでもあげきれないです。いくら冷凍生地とはいっても、当日には焼けないですから、前日にある程度準備しておかないといけません。

雪が降って店を開店しなかったときは、1日分全部焼いて、全部捨てましたよ。あれは辛かったですね。売上は0円というか、仕入れた分マイナスですから。

オープンしてから最初はすごかった。3ヶ月ぐらいは毎朝4時出勤でした。5月ごろ目に見えて減り始めて、7月8月は1日開けていて売上は2万円とか。下手したら8000円の日もありました。最終的には6月ぐらいには月の売上が100万円ほどになりました。売上が100万で人件費が100万円です。完全に行き詰まりました。

(牧)これはもう駄目だっていうのはいつぐらいに思ったんですか?

(伊藤)5月にはもうやばいなと思ってたんです。黒字にできた月がなかったんで。まだ資金は残ってはいたんですけど、絶対どっかで尽きる。素人で判断ができなかったんですよ。どうしていいのかもわからずにダラダラと続けていました。そんな時、ある経営者との出会いが7月にあって、相談っていうか「実はこんな状態なんですよ」って話をしたら、「すぐやめろ」って言われました。それで7月にすぐやめる決断をしました。

コラボとか考えたり。子供向けの塗り絵とか配ったり、かき氷やったりとか、夏ぐらいには色々やってました。

銀行から借りてなかったら借金してなかったんですよ。でも多分、それだとあっという間に店は終わってたと思うんです。借りたがために長生きして、借金だけが残ったっていうのも辛いですけど。50歳からの就職で手取り20万円です。介護職なんですけど、報酬は良くないので大変です。銀行への返済が毎月17万円ですからね。

(牧)今どう思っていますか?起業してよかったと思えるのか、それとも選択を誤ったと考えますか?

(伊藤)「公務員のときの方が良かったでしょう」とは言われますよ。それはね、めちゃめちゃ楽でしたよ。確かに収入もいっぱいあったし、生活には絶対困らないから、そういう点では仕事は辛いことはあります。苛立ったりとかありますよ。でも、妻もしっかり仕事をしてくれていて、生活にそれほど困ってはないです。今は挑戦にはストップしちゃってるんですけど。挑戦し続けたい、という思いは今でもあります。何かしていきたい。「後悔してるか」っていうと「後悔したくない」かな(笑)。

そうだ唯一後悔していることと言えば、太陽光はまだ稼働してます。年間170万円ぐらいですかね。20年固定買取なのでまだ10年あります。もっといっぱい付けておけば良かったですね(笑)。

(牧)もう一度飲食業やってみたいと思いますか?

飲食業界は1番やりたくない。あれだけの食品ロスを出したかと思うと、やれないです。お客さんの入りが全く読めない。

(牧)色々聞かせてもらってありがとうございました。何かまた機会があったらお互いの近況報告できたら嬉しいです。

(伊藤)そうですね。お互い何かちょっとでもバネにしていけたらね。またいろいろ考えます。

(牧)ありがとうございました。

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