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【映画】GODZILLA アニメ三部作

はじめに

「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」の公開も間近なので、
何となく色々と思うところのあったアニメ版「GODZILLA」の感想について
書いていきたいと思います。
感想というよりは、登場キャラたちの哲学というかなんというか...

まずはざっとあらすじを...

各章簡潔なあらすじ

第一章 怪獣惑星
ゴジラや他の怪獣によって地球外への脱出を余儀なくされた人類。
生き残った人類は宇宙の流浪にも疲れ果て、
ついにゴジラの君臨する地球へと帰還する。
帰還した地球は2万年の時が経過しており、
そこはゴジラを中心とした生態系へと変化していた。
主人公のハルオと一部の地球人、
そして異星人ビルサルドとエクシフとともにゴジラ打倒の作戦を開始する。
ハルオの作戦のもと、ゴジラをついに倒すことに成功した人類。
しかし、倒したゴジラよりもはるかに巨大な「ゴジラ・アース」の出現で、
壊滅的被害を受けることとになる。
「ゴジラ・アース」こそ、かつて人類を地球外へ放逐した
ゴジラの進化した姿であった。

第二章 決戦起動増殖都市
「ゴジラ・アース」により壊滅した人類側であったが、
幸い、生き残りはフツアという種族に救われる。
旧人類の進化した姿と思われるフツアではあったが、
生活様式は原始的なものであった。
だが、フツアの使う武器からナノメタルを発見したハルオ一行は、
再びゴジラ打倒へと動き始める。
ナノメタルは、かつて対ゴジラ兵器として開発された
「メカゴジラ」を構成する物質であった。
いまなお、ナノメタルのプラントがあることを確信したビルサルドは、
開発プラントのある富士山麓へとむかう。
そこには頭部のみになった「メカゴジラ」が
自身を都市として拡大しつづけた「メカゴジラシティ」があった。
開発者であるビルサルドは「メカゴジラシティ」を掌握し、
対ゴジラ用の決戦都市へと作り変える。
「ゴジラ・アース」を誘き出し、
「メカゴジラシティ」で応戦する人類側。
しかし、ビルサルドはシティの効率化のため、
自身をナノメタルへと同化させていく。
攻撃部隊に加わっていたハルオも同化を強要されるが、
幼馴染のユウコも同化を強制されたために、
「メカゴジラシティ」のコントロールルームを破壊。
しかし、ユウコは助からず、
シティを破壊し尽くす「ゴジラ・アース」の姿があるのみであった。

最終章 星を喰う者
「ゴジラ・アース」に勝てないことを絶望する人類であったが、
エクシフのメトフィエスは、神ならば倒せると生き残りを煽動する。
結果、生き残りを生贄にすることにより「ギドラ」が高次元より飛来する。
「ギドラ」は星に誕生する生態系の頂点「ゴジラ」を餌とする
さらに高位の捕食者であった。
しかし、「ギドラ」が捕食するのは「ゴジラ」だけでなく、
その星そのものであった。
メトフィエスたちエクシフの目的は、文明の繁栄を促し
「ゴジラ」を誕生させ「ギドラ」に捕食させることであった。
エクシフの高度な科学力はすべての行く着く先は無であるとし、
最後は神「ギドラ」との合一化という結果に辿り着いたのだ。
高次元より一方的に攻撃を加える「ギドラ」に
手も足も出ない「ゴジラ・アース」であったが、
ハルオがメトフィエスが操る「ギドラ」降臨のための機械を破壊し、
実体化した「ギドラ」は「ゴジラ・アース」により撃退される。

だいぶ簡潔にまとめているので、細かい描写は抜きにしていますが、
詳しい内容は映画を見ていただければと思いますので、
今回語りたいことは登場種族の「存在」について。

彼らは何者であったか?

ビルサルド
今回の映画の面白いところは、
第一章では普通の怪獣映画といった感じだったのですが、
二章の「メカゴジラ」、厳密にいえばナノメタルによって変わってきます。
ナノメタルを開発したビルサルドは科学の信奉者とでも呼べる存在で、
生身の肉体や人間的感情よりも機械による合理化を進めていきます。
そのため、劇中でもビルサルドは「メカゴジラシティ」のために、
志願者がどんどんシティと同化していきます。
我々がトレーニングをして体を鍛えるように、
もしくは勉強をして知力を高めるように、
ビルサルドにとっては科学との融和は、
自己を高める当たり前のことだったのでしょう。

しかし、作中でも指摘されていましたが論理的であるだけ、
という存在は、果たして生命と呼べるのでしょうか?
ビルサルドはそれに対して、人を超えて怪獣となる、といっているので、
彼らは端っから人であることに拘りもないようでした。
論理として「存在」することに何の抵抗もないようです。
では、そもそも怪獣は何なのか?
ビルサルドの進化のたどり着く先には何が待っているのか?
ある意味、それに答えを出したのがエクシフでした。

エクシフ
エクシフは高度な科学力が故に、
全ての「存在」が無に行き着くことを知ってしまいます。
最高の終焉を迎えるため、「ギドラ」という神を使い、
ある種の集団自殺を行いますが、
おそらくビルサルドの進化の先も無に辿り着くでしょう。
たとえばナノメタルが惑星すべてと同化した結果、
合理性を重んじれば、環境を微動だにさせない状態を維持するため、
何もない無機物の惑星へと変貌したでしょう。
それはある種の無です。

ならば神の血肉となり高次へ進むというのは理想的にも見えますが、
結局エクシフの科学力を持っても
「無」がなんであるかはわからなかったのではないのだろうか?
「存在」するとは何か? ならば「存在」しないとはなにか?
これに答えが出ないが故に、彼らエクシフは「神」という蓋を使い、
「存在」と「非存在」について考えることを覆ってしまったのだ。
神との合一化による自殺は、決して栄えあるものではなく、
ある種エクシフの諦めに似たものなのではないか、
彼ら亡きいま、そう思えてならないのです。

人類
最後まで未熟なまま種族でした。
ビルサルドのように人を捨てることもできず、
エクシフのように神との合一化も図れず、
ただただ状況に絶望し、どん底でも足掻いていた「存在」でした。
故にハルオは最後に「ゴジラ・アース」へ単身挑み、
散って行ったのでしょう。
「ゴジラ・アース」との共存を選んだフツアの民にとっては、
ハルオのもつ「ゴジラ」への敵意は無用だったからです。

ある意味「ゴジラ・アース」との共存を選んだフツアは、
エクシフと似ているところがあるかもしれません。
合一化といはずとも、あんな強大な存在と共存するというのは、
尋常ではありません。

さいごに

何だか思ったよりも文章が長くなってしまいましたが、
たまにはこうやって長い文章を書いてみるのも
悪くはないと感じた次第でした。
何よりも「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」が楽しみです。

怪獣の話ばかりでした。

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