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2021年2月4日 取れないまま、見れないまま

空を見上げる余裕を失っている毎日は自分にとってあまりいい状況じゃないということ、これまでの経験でなんとなくわかっている。

ルーティンなことも楽しみなことも先にあることに対してそれが思い通りにいかなかった時、落ちこむ深度が深くなりすぎないようにダメになることを想定しながら過ごす、そんなことがダラダラと続くことで少しずつ心の底に澱が溜まっていく。溜まった澱は気持ちの感度を下げる。

それでも毎日は繰り返されていくし、たいした支障もなく過ごしていけるのだけれど、そんな毎日は空を見上げることもなく、目印となる楽しみが放つ光にもまっすぐ向かい合うことができず、「生きている」のか「死んでない」のかわからない時間をただ過ごしているだけのようだ。

今はそういう時、今は生きて家族と自分を守ることが何より優先される時。頭ではわかっていても、それなら今できる中で少しでも楽しいことを、と考えを切り替えられずにぶつぶつ文句を言い続けている。


先週の「イリュージョニスト」、気持ちが整理が追いつかず結局チケットを取れないまま短い上演期間が過ぎていった。
素晴らしかったんだろうな、と、これから先またきっと形を変えてたくさんの人の心に届く作品なんだろうな、と思う。
今回、困難を乗り越えて、形式を変え、日程を変え、それでも幕が上がったことは関わるたくさんの方の思いがあってのこと。作品にも、今その幕を上げるということにも、もちろん春馬くんにも向けられたたくさんの方の思い。批判する気持ちなんて全くなくてその強い思いが形になったことは素晴らしいことで、それは100%間違いなくそうなんだけれど、春馬くんが関わった「イリュージョニスト」は終わってしまったというか、終わりになってしまったというか、作品と春馬くんの思いの繋がりにカタをつけられてしまったというか。心の端っこにそんな気持ちが小さく居座っている。

次の作品がたくさん控えている俳優・スタッフの方々のスケジュール、この作品自体が次(さらなる高み、なのかもしれないけれど)に進まなければということ、たくさんの方の思いと事情の中でベストな選択をした結果だったのだろう。
わかっているけどでも、次にこの作品が私たちに届けられる時は、もう全く別の顔をした作品としてやってくるのかなと、寂しいというのか虚しいというのか、そんな思いがしていまだにまっすぐ向かい合えずにいる。
じゃあ、どうしたらよかったかということを表すことができないのにこんな後ろ向きなことを垂れ流すのは卑怯なんだけど、共にあるとずっと言ってくれていたことに嘘はないとわかっているけど、春馬くんの気配が消されていくようで、上演された3日間の公演に関する記事を読めないままでいる。


いけない。暗すぎる。
3月、一つ楽しみを準備することができた。きっと笑顔で観ることのできる楽しみ。気持ちにブレーキをかけながら楽しみを待つってほんとなんなんだろうなと思いながら、発券したチケットをこっそり手帳に挟む。

どうなるかわからないけど、今より暖かいその頃、何着ていくのかな。
どうなるかわからないけど、春めいた色の靴新しく買うのもいいな。
そういえば、音楽が田中馨さん演出がノゾエさんの舞台もあるんだよな。現実になったら嬉しいことを考え始めるとさっそくブレーキをかけるの忘れてしまいそうになる。でも、また一つ春馬くんと繋がっていたものが終わってしまった今、少し無理矢理にでもそうやっていかないといけないような気がしている。

「天外者」に関する嬉しいニュース、きっと春馬くんは嬉しそうにあの笑顔でどこかから見ているんだろう。
作品を通して繋がることが出来同じことを嬉しいと感じているのに、それを共有できない現実がある以上、嬉しいだけで満たされることはない。嬉しいことも悲しいこともそれだけではなくあるべきものがない感覚と共にあるこれから。「いなくなる前よりずっと傍にいる」ってこういうことなのかな。


今日は暗い思考に陥るバイオリズムの日だったんだろうか。風は強かったけどいい天気だったのに、桜餅の香りがする紫色のかわいい花を買ったのに。

いい事ばっかある訳ないよ
それでこそ my life

こういう気持ちの時、思い出す歌。
そう、それでも my life 。


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