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もらったもの、思うこと、願うこと


ファッション誌で魅せたモデルの姿

WEBマガジンでのリラックスした表情とインタビューに応える声の温度

受け取る側のことを思って沢山postしてくれたInstagramの短いコメントと、思わずふふふとなってしまう絵文字のチョイス

舞台仕様の短髪で、こんなかっこいい人職場にいたらひっくり返るよと、絶対いないのにあれこれ想像してしまう新しいCMでの姿

普段の穏やかな感じとは異なる、レイシズムに対する強いメッセージ

表現の場に立っている姿ではない、沢山の動画

  飼い犬と遊んでいるようですっかり遊ばれている無邪気な姿

  心臓が飛び出るほどドキドキした湯気で曇るお風呂での姿

  奏でる音はもちろん操る指に釘付けになったギターを弾く姿

  長い指に引っ掛けただけの指輪がセクシーだったインタビュー

  新しいことに楽しそうに取り組みはじめている事を知らせてくれる姿

いろんな思いを込めて、作る過程も含めてこちら側に届けてくれようとしているチャリティー企画


エンターテイメントが「不要不急」とされ、舞台、映画、ドラマが息を潜めることになった3月末からの4ヶ月。ずっと積み上げてきたものがそんな扱いをされて、こちらの想像なんて及ばない程悔しくてやり場のない思いをしていたはずなのに、それでも、その期間にこんなに沢山届けようと動いていてくれた(ここに書かなかったこともたくさんある)。あんまり実家で楽しくしている様子のpostが続いたから、もう俳優の仕事への熱が覚めてしまったのかなと心配になった自分が氷魚くんの仕事への思いを軽んじてしまったようで、とても恥ずかしくなった。SNSの熱狂もその移ろいもなんだか虚しいなと感じていた。


そして7月15日、きっと早く「こんな楽しいことを考えてるよ、楽しみにしていてね!」と言いたかったであろう、待ちに待った新しい表現の場のお知らせをくれた。

世の中がこのような状況にある中、どうにかして皆さんに感動や喜び、エンターテインメントの素晴らしさを届けたいと日々考えていました。そんな中、今回のお話を頂いて本当に救われました。
今回の作品は、見えない敵との戦争。
お互いを「モンスター」だと思い込み、相手を憎み、疑い、軽蔑する。自分を正当化し相手に全ての不幸をなすりつける。
まさに今の世の中と重なります。
僕は今だからこそこの作品をやる意味があると思います。
初めての二人芝居を親友の大鶴佐助と演じられる幸せ、そして、初舞台の劇場であるプレイハウスで再び芝居ができることを本当に嬉しく思っています。

ボクの穴、彼の穴|PARCOSTAGE
https://stage.parco.jp/program/bokuana2020

ずっと考えていてくれたんだ。表現の場を与えられることで救われる思いだったんだ。氷魚くんがそう思っていてくれることで、それだけで私は救われているよと、こんなに真摯に自分の出来ることに向き合う人に出会え応援する事ができて嬉しいんだよ、とどうやったら伝えられるんだろう。


新しいことが動き始めているのに、感染症の情勢は正しい情報なのかの確かめようのない中ではあるけど、明るいものでは決してない。悔しい思いを経て巡ってきた機会なのに、また理不尽に振り回されてしまうかもしれない。舞台が楽しみ、全力で発してくれるものを間に何も介さず受け取りに行きたい、と思うことそのものが浅はかなことのような空気にまた支配されてしまうかもしれない。

予定していたことがその通りに行われることが当たり前ではない、それが新しい生活様式なのかもしれないけれど、積み上げてきたものを取り上げられることに慣れることなんて、「仕方ない」そんな一言で済まされることに慣れることなんて、簡単には出来ない。


先のことがどうなるかなんて誰にもわからない中、9月に無事舞台の幕が上がるために今自分が出来ることを考える。人は人、自分は自分、憤りを他の何かにぶつけたって何にも変わらない。自分にできることを粛々と。信じて、願って。



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